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21世紀の教師像について
21世紀の教師像についていろいろの意見が聞きたいです。 自分なりの意見としてはコンピュータを使えたりだとか、常に研究や研修を行っている先生が必要とされてくると思います。 これらのことでいろいろな意見を聞きたいのでいろいろと意見ください。
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- juney
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「21世紀の~」ということなのでPCということなのでしょうが、世紀がかわっても教師像が変わる必要はないんじゃないかと思います。 確かに授業をしていくにあたって、PCなどのスキルや分かりやすい授業進行をしていくための研究・研修は必要でしょう。 しかし生徒が先生に求めているものは本当にそんな事なのでしょうか? 学校や父兄から見てというのではまた別でしょうが・・・ 僕は教師という人種にあまり良いイメージがありません。 結局は自分の言う事をよく聞く生徒には優しく、そうでない生徒には冷たくする。 そんな人間を尊敬するなんて僕にはできません。 でも、そんな教師ばかりではない事も知っています。 ちゃんと皆と対等に向き合ってくれる人。 僕はそんな先生と出会うことができたので今を楽しくすごせていますが、そうでない人はどうなるのでしょう? よく言われることですが、生徒は教師を選べません。 教師に当たり外れがあっていいのでしょうか? 先生には尊敬できるところを一つでも多く持っていて欲しいです。 生徒に尊敬される先生、そんな人が増えることを願っています。 偉そうなこと言ってすいませんでした。
- jive
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教員採用試験の近い時期で、そういう意味の質問かな、とも思いますけれど、おっしゃるようにあくまでいろんな意見の一つとしてご覧下さい。 「生徒にとって、学校は本当に必要なものですか?」 私の感覚では、生徒は学校を必要なものとしてあまり意識していないような気がします。高校生などに至っても、学校に来ることが「私にとって本当に必要なこと」、と思っている生徒がどのくらいいるだろうかと思います。 生徒が学校にあまり期待していないのです。 自分の若い時期の大半をこの狭い空間で過ごすのに見合った理由を見いだせていないのです。授業を受けるために毎日長い時間いすに座っていることの意味は、大抵二次的なつまらない理由でしかないのではないでしょうか。 これは学校という存在自体の必要性の問題です。社会を維持する上で、なんらかの教育システムは必要です。しかし、そう考えているのは、社会学的な立場であり、教育を受ける当事者が「自分にとって必要」と感じなければ、存在意義はかなり希薄です。「とりあえず今日もみんなが行くから行く」という認識の下では、学校は一層形骸化するでしょう。 学校は形骸化の果てに、なくなっていいものでしょうか。 いや、学校は社会にとって必要です。警察がそうであるように、効率が悪いからと言って民営化されていいものですらありません。 学校が生き残ろうとするなら、学校は21世紀において「本当に必要とされる」存在を目指さなくてはなりません。おそらく、22世紀では手遅れでしょう。 私が考える21世紀の教師像とは、「本当に必要とされる学校を作ろうとする教師」です。 まず、「必要とされる学校」について具体的に3点申し上げます。 第1に、学校の時間の大半は授業です。これが必要とされなければなりません。授業のカリキュラムに工夫を凝らすことは当然ですが、個々の授業に創意工夫が必要でしょう。おっしゃるように、研究や研修を行う必要があります。必要ならなんでもやる気概が必要です。 第2に、学校に来る若い世代は、生活や将来に様々な障害や不安を持っています。学校はそういうことについて、手助けをできる組織であるべきです。それは、教師だけでなく、生徒同士という意味においてもそうです。「若い世代のための総合的な手助けの場所」であるべきです。 第3に、地域における「教育センター(教育の中心的存在)」となるべきです。生涯教育の普及に努め、地域の人々(つまり多くはかつての生徒)の教育をサポートできる存在であるべきです。 学校はいまだ旧態依然としており、今や社会の変化にで取り残されかねない存在です。変わらなければ学校は社会における立場を失います。 こういった学校そのものの変革に立ち会うべきです。今や新しい教育ビジネスも盛んで、その影響は近い将来学校にも影響を及ぼしてくるでしょう。世の中の動きをよく見て、積極的に行動すべきです。 教師は公務員です。楽しようと思えばいくらでも出来ます。しかし実際は、生徒のために必要な技能、経験は実に多岐に及びます。これからも新しい教育の方法はどんどんでてきます。一方で、昔から変わらない、本当に大切でしんどいこともあり、そこは少しも楽にはなりません。そんな中で、生徒のために、学校がより良く「生まれ変わる」ように努める教師が必要だ、と思います。