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教師は完璧でないといけないのでしょうか?
他スレで盛り上がっていたのですが、本筋とそれるので別スレを立てます。 教師は、完璧でないといけないのでしょうか。他スレで、完璧であることが当たり前という意見を目にしました。教育のプロなんだから、当たり前と。ぐうの音も出ません・・・。またその方は、教師は医者と同じく完璧を求められるものとおっしゃっていました。 ここで疑問です。なぜ、教師と医者は同列に扱われるのでしょう?私はとっても不思議に思います。聖職だからでしょうか?私は教師と医者は比較対象にならないと考えています。 (1)医者のミス=医療ミス=患者の生死に関わる=許されない。では、教員のミスは? 医者のミスというとき、それは医療ミスを想定している場合が多いと思います。では、教師のミスはどんな種類のミスを指しているのでしょう。医療ミスが許されないのは、患者の命に関わるからですよね。では教師のミスが許されないのは、なぜなのですか? (2)医者には長い研修医期間があるけれど、教師にはない 医療ミスはあってはならないことだからこそ、医者には研修医期間が設けられています。けど、教師には研修期間などありません。せいぜい初任者研修くらいです。医者と同等にミスが許されない教師なら、研修医期間に相当する時間がほしいです。 (3)なぜ会社員とは比較されないのか? 給料をもらっているプロという点では、会社員も同じです。一般企業の新人は、失敗は日常茶飯事でしょう。失敗を繰り返し、上司に叱られ、一人前になっていくのでしょう。教員にそれは許されないのでしょうか。給料をもらっている人は、みな一様にプロとは言えないのですか? 私は小学校の教員です。4年目です。失敗の連続で、学級経営もうまくいってません。間違えて子どもを叱ることもあるし、授業だってへたくそです。教師たるものこんなことではいけないとわかっていますが、現在の自分は力不足で、情けないですが子どもと共に成長していくしかないと思っています。今の子供たちに申し訳なくて、学校に行くのが億劫です。でも担任である私が逃げるわけにはいきません。今の私のままで向き合うしかないと思っています。 保護者は温かく見守ってくださる方、平気で子どもに私の悪口を言う方、いろいろです。子どもは親御さんの言うことは絶対ですから、親御さんが悪口をいう担任への信頼は薄れます。それでますます学級経営がうまくいかないという悪循環です。憤りを感じますが、そもそも私の力不足が要因ですから仕方がないのかなとも思います。 教師も医者と同じくミスが許されないのなら、ミスが許されながらも修行ができる期間がほしいです。残念ながら今のシステムでは、教師にはその修行期間は保障されいません。 教師は完璧ではありません。失敗することだってあります。もちろん、失敗していいとは思いません。自分を磨く真摯な姿勢は忘れてはいけません。けど、ネットで「教師は完璧であるのが当たり前」という書き込みを見ると、暗い気持ちになります。教師は完璧ではありません。悩み、子どもを傷つけ傷つけ合い、そうして人間くさい教育ができるのではないかと思っています。 こんな思いは、私の甘えなんでしょうか?みなさんは、どうお考えでしょうか?興味を持たれた方の回答をお待ちしています。厳しい意見も覚悟しています。よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
はじめまして。 教員です。 教師のミスが許されない、というのは、教育者サイドにいる人間が、自戒の意味で使う表現かと思います。 http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?bango=4%2D18%2D913119%2D9 http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?bango=4%2D18%2D909115%2D8 (同様の記述がありました。こちらが最初なのかも…) 大勢の子供に囲まれると、さぞかし大変だろうなぁと思うのですが…自分が理想とする姿を求めて成長していくしかないので。 「変えられるのは自分と未来」だと割り切って、身銭を切って勉強に励むしかないのかな、と思ったりします。 私も忙しさに負けて自己修養をサボりがちですが、ここでの書き込みをきっかけに、勉強して行こうと思います。 ちなみに、上記の書籍は、集団をまとめるときに必要なことが書かれていて、とても勉強になった覚えがある本です。古本屋にも並ぶくらい古い本ですが、未読でしたら、ぜひ一度読まれてみてください。 では。
その他の回答 (14)
No.10です。 投稿しようとこのスレを開いたところ、No.14さんが同じ方向で回答されていました。別の視点で回答します。 質問者のかたは、受け持ちのクラスの生徒全員を、跳び箱を跳ばせることができますか。もちろんその学年にとっての標準的な高さ( 段 )です。 跳べない生徒がいた場合、どのような対応をしますか。 がんばれ、もう少しだ、勢い良く踏み切れ、と声援を送るだけですか。これなら一般人にもできますね。 たかが跳び箱、跳べなくたって人生に影響などないよ、跳べなくたって良いんだよ、となぐさめの言葉をかけますか。これなら一般人にもできますね。 跳べない生徒は、ごく少数ですよね、多分。クラスのほとんどの生徒は跳べるのに、自分だけが跳べない生徒の気持ちはどんなでしょうか。 全員を跳ばせる技術があるのです。公開もされています。私にもできるでしょう、多分。 生徒全員を跳ばせることができる技術があって、その技術が公開されていて、しかも簡単に先生も私にも技術を身につけることができるのです。 それでも、たかが跳び箱、跳べなくても良いんだよ、でしょうか。 ある病気を治療する技術があるのに、患者が来たとき、治らなくても良いんだよ気持ちを楽にね、というような不勉強な医者にはかかりたくないです。 全員を跳ばせる技術があって、技術が公開されていて、簡単に身につけることができるのに習得しないのであれば、教師として許されないミスですよ。 「完璧であることが当たり前と」書いた回答者の方の本当のお考えはわかりませんが、私の考える完璧とは、上記のことです。先生として身につけるべき最低限のことを、100パーセント身につけていることです。 >教師は完璧ではありません。悩み、子どもを傷つけ傷つけ合い、そうして人間くさい教育ができるのではないかと思っています。 最低限の完璧さは身につけてください。 No.14の方が紹介している本の中にも、さまざまな、身につけていただきたいことが書かれています。 なお「続・授業の腕を上げる法則」もお薦めしておきます。 たとえば、先生( 質問者のかた )は、ご自身の方から生徒たちに挨拶をしておられますか。挨拶は自分からせよ、です。 今、学校では画鋲を使うのでしょうか。画鋲ひとつにも、とめ方があります。教室内の掃除のさせ方にも技術はあります。
お礼
はい。全くおっしゃる通りです。反省です。 とび箱を全員飛ばせる技術があることは知っています。さか上がりだって全員飛ばせることができる技術があります。このことを知っているのに身につけないなんて、言い訳のしようもありません。おっしゃる通りです。 むやみ完璧じゃないといけないか?なんて考えるより、明確に具体的にこう指摘していただけると、自分が何をすべきかはっきりと見えて、なんてくだらないことで悩んでいるんだろう、私がすべきことははっきりしているじゃないかと気付かされます。 ありがとうございました。
- ryuken_dec
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一部賛同、一部反対でしょうか。 教師が完璧である必要はありません。世界で60億人ほど人間がいますが、完璧な教師の資質を持った人は1人もいないでしょう。 ただ、医師も完璧である必要は全くありません。 (1) 医師のミスも許されないわけではありません。 人間ですからミスはします。そのミスが想定された範囲内なのか、またその後の対応がポイントです。それを逸脱している場合に大きな問題になっています。 これは教師も同じでしょう。些細なミスや、予測される頻度で発生するミスは許容範囲です。(頻度で言えば、配布資料の誤字が10年間で1度あっても問題ではありませんが、1日100回では大問題) 医師も教師も変わりません。 (2) 前提条件が違うかな・・・と。 研修の問題ではありません。研修や知識・技能試験はその作業を行う基準に達するのに最低限として設けているものです。業務が単純であれば、研修が短かったり無くてもいいでしょう。 倉庫での荷物運びのアルバイトには研修がありませんが、それならばミスしてもいいのですか?accchibuさんの理屈だと単純作業ほどミスしていいとなります。 (3) 会社員も同じです。 会社員だってミスをすると営業所全員の前で、「お前は何をやっているんだ!!この給料泥棒が!!」なんて怒鳴られる営業もたくさんいます。 (4)おまけ >私は教師と医者は比較対象にならないと考えています。 accchibuさんは、自分が完璧を求められてつらいと言いながら、どうして医師に完璧を求めるのでしょうか? 昨今は産婦人科・小児科医不足の特集などが組まれています。彼らはまさに世間が医師に完璧であることを要求することに嫌気が差して辞めています。36時間以上連続勤務で家にも帰れない状況で働いているのに「受け入れできないとは何事だ!!」などと言われます。 accchibuさん自身が医師に対して思っている理不尽な要求が、他の人にとっては教師に向かっているとは思いませんか?
お礼
わたしはその体験を通して思いました。医者は命を救うことが仕事です。患者やその家族の思いも救いとってくださるならこんなに嬉しいことはないですが、内科医は心のお医者さんではありません。治療を確実に行い、治療に最善を尽くしてくださればいいのです。確かに、今回の主治医の対応で少なからずとも傷つきました。泣きました。けど、叔父は最期まで精一杯がんばった。私達は叔父の看病をさせてもらうことができた。最期も叔父のそばで看取ってあげることができた。医者は治療を行い、痛みを緩和してくれた。 それでいいのです。主治医の先生は責務を全うしてくださいました。 けど、教師は心のケアが大切な仕事の一つです。もし、わたしが叔父の主治医のような心ない言葉を子供に言ってしまったとしたら、配慮が足りない担任として責められるべきでしょう。 医者は医療技術が要である。 教師は教育技術と共に、心も伴うべきである。 その意味で、医者と教師は違うと思いました。
補足
>accchibuさん自身が医師に対して思っている理不尽な要求が、他の人にとっては教師に向かっているとは思いませんか? 正直、よくわからなくなってきました。ごめんなさい。ただ、私が医師と教師が違うと考えた理由をお話させてください。 私は、数ヶ月前に叔父を看取りました。叔父は生涯独身で、数年前に癌が見つかってからは一人で闘病していました。変わり者の叔父の家に電話はなく、かといって気軽に行けるような距離ではなく、なかなか連絡がつかず母はいつも心配していました。数ヶ月前、母に叔父の近所の方から連絡が入りました。家を訪ねたら這って出てきたそうです。慌てて駆けつけたところ、弱りきった叔父は一人布団に横になっていました。すでに固形物はのどを通らず、水だけを飲んで耐えていたそうです。病院に連れて行ったところ、あと一週間の命だと告げられました。 私達家族は主治医の先生の対応の仕方に大きな疑問を感じずにはいられませんでした。 医者であれば叔父がそのうち寝たきりになるような体であったことは承知のはずです。ならば、なぜそんな叔父を自宅に戻したのでしょう。戻すなら、なぜ家族であるわたしの母に知らせてくれなかったのか。もし近所の方から連絡がなかったら?叔父は一人、干からびた姿で発見されていたでしょう。 また、主治医の先生は母が病院に着くなり呼び出し、席に座ると同時に「あと一週間です」と告げられたそうです。同じことを話すにしても、もうちょっと順序立てて話はできないものでしょうか? 他にも「お医者さんって冷たいんだな」と失望するような言動がありました。私達はいつもより神経過敏になっていましたから、余計気になったのだと思います。
40代、会社員、管理職をしています。 そして母親です。 完璧な人間なんていません。 しかし、私はどんな職業でもプロ意識を持つべきだと考えています。 給料をもらうってそういうことだと思います。 私たちのような企業に勤める者は、給料を貰う為に、利益をあげなければなりません。利益をあげるために、どうするか。 その為に必要な勉強をして試験を受けたり、資格をとったりして個々の能力をあげる努力をし、自分の手と足と頭をフル回転させて、目標を達成しなければなりません。利益があがらなければ、当然のことながら、賞与は減給です。日々必死ですし、厳しいですよ。 そもそも完璧な教師ってどんな教師ですか? 完璧イコール失敗がないということなのでしょうか? 失敗なんて誰にもあることです。 むしろ失敗から学ぶことはとても多いです。 大切なのは、失敗をしないように普段から努力していたのか、 起きてしまった失敗から逃げずに早期に対処したのか、 そして解決できたのか、同じ失敗を繰り返していないかということだと思います。 私は先生には子供に勉強を教えてほしいです。躾は親の仕事だと思っています。けれど授業参観などにいくと、躾のできていないお子さんが、授業を妨害して、先生が困っています。 それで、授業参観にもかかわらず、先生が子供を叱るだけで、授業が終わってしまいます。真面目な生徒はこれでは勉強になりません。だから塾へ行かせます。親御さんの中には、学校の先生には何も期待してない、といいきる方もいます。勉強は塾でというのです。 授業を受ける姿勢から正していかないといけない今の先生は本当に大変だと思います。躾のできない親にも問題があると思います。しかし、先生という職業が、教育のプロであるというなら、どんな状況であれ、生徒の学力をあげる先生は優秀な先生だと思います。だから、授業がへたくそだなんて、謙遜だとしても言わないで下さい。プロ意識に欠ける発言だと思います。教師だからというのではなく、職業人として、?、と思います。 あと、修行期間がほしいというのも、 どんな職業でも日々修行じゃないのかな? 私なんて未だに修行中だと感じますよ。 いくら修行期間なんて設けても、満足なんてしませんよ。 仕事ってそんな浅いものではないはずです。 と、いうわけで、教師が完璧であるのが当たり前というより、 仕事は完璧をめざすのが当たり前、ということでしょうか。 厳しいことをかいてしまったかもしれませんが、 質問者様は、ご自分を冷静にみつめ反省することができる方なので、 これからいい先生になっていくのではないでしょうか。 同じ働く女性として、がんばりましょうね。
お礼
はい。ありがとうございます。 お言葉、真摯に受け止めさせていただきます。 最近、自分の未熟さが身に染みて感じます。 >仕事は完璧をめざすのが当たり前 自分はまだまだ甘ちゃんですね。当たり前のことができるように、一日でも早くできるように、がんばっていきます。 ありがとうございました。
- g-space
- ベストアンサー率44% (49/109)
「完璧である」とはどういう状態を指して言うのでしょうか? その具体的なイメージが質問者様にはありますか? 他から出た話とはいえ、なぜ医者や会社員と教員とを比較しようとするのでしょうか? 教員にとって許されるミスと許されないミスとの違いは何でしょうか? 「研修期間」でしたいことは何ですか? 「研修期間」に望む条件は、誰かが最終責任を取ってくれることですか?それとも責任は自分が持つが欲しいときに助言助力を得られることですか? 「自分を磨く」と言うとき、「磨かれた自分」の具体的なイメージはありますか? 「人間くさい教育」とはどのようなものですか? そもそも、なぜ教員になろうとしたのですか? なぜプロとして認められる最低限の条件である教員免状を取り、教員採用試験を受けたのですか? ひとつひとつの言葉はきれいです。私はその中身を知りたいと思います。でなければ、回答のしようがありません。 蛇足ですが、フランスでは、教育実習に相当する「現場での研修」をみっちり積み上げ、なおかつ自身が決めたテーマについて教育学的研究を行って修士号を取った者のみに、「国家資格」を持つ教師として仕事に就くことを認めています。国家資格を持たない者は教職に就けません。 質問者様は、このような研修をお望みですか?
お礼
人間くさい教育=失敗を繰り返しながら、成長すること。どんなに嫌な思いをしても、背を向けないこと、向き合うこと。教師対子どもも、子ども同士も。 なぜ教員になろうとしたのか=小学校の時、友達に勉強を教えることが好きだったから。相手にわかるように言葉を選び、知識をかみくだいて教えることが何よりも楽しかった。 教員免許を取った理由=教師以外の職業の道も考えたが、高校時代の恩師のようになりたくて、教育大学に進学したから。教育学がおもしろかったから。恩師のような教師になろうと理想に燃えていたから。 教員採用試験を受けた理由=大学卒業後、自分の人間性に疑問を持ち、教師になる自信がなくて、一時期違う職種についていた。けど、他の仕事をしてみて、やっぱり教師になりたいと思って挑戦した。 まだ、言葉がきれいですね。質問に答えていない項目もありますね、きっと。どこか格好つけている自分がいるように思います。 最後に、日本で教師たたきが進み、学校評価制度とか教員免許更新とか政府が行うならば、フランスのように大学教育を厳しくすることが必要だと思います。学ぶべき時期に思いきり学ばせてほしい。望みます。
補足
痛いです・・・。はっきりと答えられないことばかりです。 自分は、具体的なビジョンを持てていないと感じる出来事がここ数日でありました。 他人の真似から考えることも大事だけれど、やはり私自身が具体的にイメージを持っていないと子どもを惑わすだけだし、いざとなったときに子どもを守ることさえできません。 「他の誰が何と言おうと『これが俺の学級だ。悪いか』くらい言えるような学級作りをしないと」と言われたことがあります。 完璧である=授業がうまい。冗談がうまい。保護者の対応がうまい。子どもの気持ちを見取る力がある。子どもの気持ちを見取ることができる。褒め上手。 医者と会社員と教員とを比較する理由=教員と医者だけに無責任に完璧さを求める意見に疑問を感じたため。私の同僚は特別な人間ではないし、私が出会ってきた医者も特別ではない。なのに、完璧であるのが当たり前という意見を目にして納得できなかった。仕事に完璧であることを求められるのは、どの仕事も同じではないかと思ったから。でも、その一方で医者と教員に共通する特殊性は感じていた。だから、医者と教員の比較、その他の会社員との比較という形で質問した。 教員にとって許されるミス=失敗 教員にとって許されないミス=失敗しても振り返らない、認めない、謝らない 「研修期間」でしたいこと=授業スキルの向上 研究期間に望む条件=責任を持つボスがいる元で学ぶこと、助言を得られること 磨かれた自分の具体的なイメージ=現段階では、子どもの気持ちにフォーカスできる自分
該当するスレッドで回答した者です。 ただし「完璧であることが当たり前と」書いた者ではありません。 医者のミスは、場合によっては、取り返しがつきません。 教員のミスも、場合によっては、取り返しがつきません。 そのことが「完璧であることが当たり前と」書いた回答者の方の真意ではなかったのかと思います。 生徒の心に深い傷を付けてしまう、その傷は外からは見えない、一生治らない傷かもしれない、そういう危険と隣り合わせの職業だということでしょう。 質問者のかたが小学校の教員と名乗っておられるので、私も申し遅れましたが、個人塾の者です。 おそらくどのような職業にせよ、完璧さは求められると思います。不完全な部分を許してくださるのは相手の方です。私の場合でいえば、生徒たちであり保護者の方々です。 でも学校の先生と大きく違う点があります。生徒も保護者も、塾を選べます。学校の先生は選ぶことができません。嫌になったら塾を辞めることができます。別の塾に行くこともできます。 学校が嫌になったら転校でしょうか?不登校でしょうか?原則として、代わりとなるものがありません。 学校そのものが嫌になることはあまりなくて、先生が嫌になることが多いのではと推測します。 たとえば、いじめを受けても先生が適切に対応してくれなかったとか。 問題のカテのように、ある生徒が物を盗まれたので保護者が先生に手紙で訴えたら、先生が「お前の不注意のせいでお母さんに責められることになった」とみんなの前で言ったとのことです。これ、仮に冗談でも言ってはいけないことでしょう。笑いをとるつもりだったのでしょうか。それにしては、他の生徒の反応が悪いですよね。 自分から、人間は不完全だから許して、というのは甘いのではと思います。許す許さないは、繰り返しますが、生徒であり保護者です。
お礼
回答ありがとうございます。該当スレッドからどなたか回答にいらしてくれるのではないかと思っていたので、嬉しいです。 回答者の方の言葉、納得です。 場合によっては取り返しのつかないミスにつながる、その通りだと思います。私は「教師と医師に完璧が求められるのは当たり前=どんなミスも許されない」と受けとめられて、非常にショックだったのです。 仕事をする以上、「不完全だから許して」は甘え以外なにものでもないでしょう。けど、その一方で、保護者の方の話だけで「ああ、それはダメ教師だね」と判断される方の声を目にすると、非常に悲しいものがあります。このような方が保護者になるのかと思うと、重い気持ちになります。 この質問をして、たくさんの方の意見を聞き、そのような方ばかりではないと知って正直ほっとしました。 学校は逃げ場がありません。逃げ場がないからこそ、教師は子どもたちを笑顔で帰す最大限の努力をしなければなりません。最近はその難しさに触れ、学校に向かう足が重くなるときがありますが、やっぱり教室で子どもたちの笑顔を見るとふきとんでしまいます。子どもたちは弱いし、強い。すごいけど、危なっかしい。そのギャップが教育に携わる仕事の魅力なのだと最近はつくづく感じています。
- ftogsr1974
- ベストアンサー率35% (272/768)
あの先生、甘いんじゃありませんか? 理想ばっかりで現実に指導がままならなく、自分を卑下する事で、こんな所で擁護回答にばかり求めている自分を、オカシイと気付きませんか? (教師を医師や会社員と比べている事が、このご質問をただの「愚痴」としか思えません) あのね、「逆く」ですよ。 先生を好きか嫌いか、これは児童が決めることです。 子供が先生を「嫌い」と言ってしまえば、親は先生の指導を注意深く観察するほかありません。 「何故家の子は嫌いになったのか」これが知りたい分けです。 その裏には、親として、担任は(若かろうが)全ての児童に公平であると親は信じているからです。 「失敗したら」児童に謝って下さい。 「指導が間違っていない」と思えたならば、児童を叱ってもらって結構です。 集団で共通意識を学べるのは、今は学校しか無いんです。 先生と言うのは、これは子どもにとって、親より絶対な立場なのです。 先生は児童傷つけては絶対なりません。「真摯」等と言葉遊びされていますが、人間臭いを勘違いされてます。 いいですか、児童を傷つけ傷つけあうと言うのを、例え「いじめ」を例えているにしても、これだけは双方認められませんよ。 児童の良い所を褒めて下さい。 親が褒めるのは当たり前ですが、先生に褒められるとそれ以上の努力が出来るのです。 親の知らない良いところを発掘して下さい。
お礼
耳が痛いです。 >児童の良い所を褒めて下さい。 >親が褒めるのは当たり前ですが、先生に褒められるとそれ以上の努力が出来るのです。 >親の知らない良いところを発掘して下さい。 わかりました。
- ginga2
- ベストアンサー率12% (576/4567)
教師は生徒に対しては完璧で有るべきでしょう。 私は技術系の会社員ですが、お客様に対しては完璧だと思っています。 (思っているだけかも知れません) 医者は患者に対して等、全てに対して完璧には出来ないと思われます。 だって人間ですもの最低なになにに対しては完璧と言えれば(思えれば)良いのではないでしょうか 気負わずに頑張って下さい。
お礼
ありがとうございます。 気負いすぎですね。 数年後、何て青いことを言っているんだろうと恥ずかしくなるのかもしれませんね。 学校の先輩先生にも言われます。「考えすぎない」と。 頑張ります。
「医師同様、教師も完璧でなければ」 という一見もっともらしく、その実、 粗雑な意見に振り回されるところが、 いかにも新米教師のようで、 そこがはたから見ていて危なっかしい。 べつに難しく考えなくてもいいのでは。 医師がそろってみんな完璧なら、 日本列島「名医師」で溢れかえってるし、 片や教職歴30年、片や教職についたばかりを おなじ土俵に上げてあれこれいうのも、 酷であり雑である。 新米教師に「教師だろう。完璧にやれよ」と 難癖つけられたってねえ。。
お礼
ねちっこい性格なんですかね(汗)。小さなことにくよくよと悩んでしまうこともよくあります。 最近、いろいろと考えるところがあって、すごく気になったのです。 いろいろと考えさせてくれる仕事があって、辛いけど幸せだなぁと思います。 回答、ありがとうございました。
- Ama430
- ベストアンサー率38% (586/1527)
(1)教師のミスが許されないのは、なぜなのですか? 「許されない」という立場の方にとっては、教師は心の医者という側面があるからでしょう。 (2)医者には長い研修医期間があるけれど、教師にはない 医療行為は、大変複雑であるけれど、教育行為に比べてマニュアル化がある程度できるという面があるでしょう。 仕事そのものの中で教育力量を上げていくというスタイル自体は理由があるものと思います。 問題は、仕事の中で研修するというスタイルに見合う「ゆとり」がほとんどないという職場環境です。 日本では、先進国で類を見ない多数の児童を相手にしています。政治的思惑が優先した学習指導要領を押しつけられています。その上に、「トラブルは全部教師の個人的責任」という教育行政のスタンスがあったのでは、新人教師でなくても、失敗も織り込み済みで指導力を向上させるということにはならないのが当然です。 むしろ、現代日本の学校現場は、教師の手弁当による自主研修に支えられて、かろうじて破綻を免れているという状態なのではないかと思います。 (3)なぜ会社員とは比較されないのか? 「モノ」相手でなく「人間」相手だから、修理したり買い直したりできないと考えられるからでしょう。 人間にはミスはつきものです。 それが重大な事態につながらないようにするために、組織があり、システムがあるのです。 医療現場でも、少ないスタッフで無理をさせられる病院では医療ミスが起きています。 逆に、教育現場でも、自治体独自で職員を補い、学年部や生徒指導委員会などのシステムが有効に機能している学校では、大きなトラブルは少なく、小さなトラブルそのものを教育の場面にすることができています。 教育行政のねらっている学校の姿は、「校長の強力なリーダーシップのもと、スーパーマン教員が働いて、政府の意図した人材だけを育てる」だと思いますが、それはあまりにも無理のある方針なのです。 そうした口車に一部マスコミが追随して、「ダメ教師がいっぱい」というキャンペーンを続けています。 それを闇雲に信じてしまう保護者が多ければ、学校との協力関係は崩れ、結局子どもにとっては不幸なことです。 不信感をもたれても仕方がないような教員は確かにいます。 それは率直に認める必要がありますが、それも「真の協力関係」をつくるためであることを、教師も保護者も忘れてはならないと思うのです。
お礼
回答ありがとうございます。 教育行政には、憤りを感じることがあります。あのころころ方針が変わる指導要領は何とかならないものでしょうか。現場がやっと方向性を見出せたと思ったころにまた改訂です。10年ごとにあんなに内容が変わっては、何が良くて何が悪かったか検証することさえできないのではないでしょうか。教育の歴史を学ぶとこんなに指導方針が変わるようになったのは、ゆとり教育が打ち出された20年前からのように思います。 私は保護者の対応が苦手です。あちらが年齢が上の分、意見を言っても負けてしまうからです。私がもっと堂々と保護者と渡り合えるようにならないと「真の協力関係」をつくるのは難しいだろうと思うので、なんとかしたいのですが・・・うまくいかないものです。 冷静な回答、目が覚める思いでした。ありがとうございました。
先生は、本当に大変だと思います。子供とは言え、自分とは違う人間を多数相手にして、的確に判断しないといけないのは、神業に近いと思いますし、辛いだろうと思います。 なお、私は、専門家でも親でもありません。 1.多くの場合、子供の生命や精神を健全に維持できなかった場合だと思います。ミスが許されないのは、子供の将来に影響するからでしょう。医師は、患者の体(精神科なら精神もありますが)が無事ならそれで良い。教師は、精神的な指導も委ねられているのが現状では。 もっとも、中学受験希望者が増えた現在、学力面の圧力もあるのかもしれませんね。 2.教育学部在学期間4年は、一種の研修期間だと考えます(医学部等医療職を除けば、数少ない単一の専門職養成学部です)。教育実習などは、その最たるものでしょう。 教員採用試験の競争率等や、教員を希望しても教員になれない人の存在を考えますと、これ以上研修期間を増やすのは、希望者に過酷だと考えます。 質問者様のイメージと合うかどうかは不明ですが、研修の試みをしている教育委員会も存在します(参考URL参照)。試みは理解できますが、個人的には、教員希望者にとり、あまりにも過酷だと思います。 3.医師もそうですが、免許を持つ職業はプロとみなされます。失礼ながら、比較対象が間違っていると考えます。自動車の運転免許でも、罰則に反すると明確な罰があります。 素人の私が書いても助けにはならないでしょうが、自らの力を率直に評価し、改善の試みをしている質問者様を応援しています。保護者の中にも、私と同じ考えの方もいるはずです。月並で申し訳ありませんが、頑張ってください。
お礼
ご意見ありがとうございます。大変参考になりました。 子どもたちを前にすると、いかに世の中にはいろいろな考え方をする人間がいるのだろうと驚きます。また自分がいかに狭い見識しか持っていなかったのだろうとも反省します。 残念ながら、私が卒業した教育大学で学んだ内容のうち、現在役に立っているものはほとんどありません。今となっては何を学んでいたのか思い出せないことがほとんどです。きっと他の教育大学でも同じでしょう(こんなことここで書くとまた批判がたくさんありそうですが、それが現状です)。私は教育実習に行って、自信を失いました。たったの5週間子供たちに向き合った程度では、何も学べず、また自分の未熟さを認識しただけでした。大学卒業後、自分なりに自分を成長させようといろいろ模索しましたが、教職についた今、その期間も役に立っているのかどうかもよくわかりません。もっと早くに現場に入って勉強すべきだったのかもと自己嫌悪に陥ることもあります。 あと10年、がむしゃらにがんばってみようと思います。回答者さんがおっしゃる通り、私は教員免許をとったプロでした。給料ではないですね。まったくその通りでした。見失っていました。教えてくださって、ありがとうございます。 教育のプロとして恥ずかしくないよう、研究と修養を重ねていきたいと思います。ありがとうございました。
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お礼
回答ありがとうございます。 私もこの本、読みました。初任者の時に読んで、今また読み返しています。1年目の時にはこの本を読んでいろいろと考えたはずなのに、いつのまにかこの本の内容が頭から飛んでいたことに気がつきました。反省です。 教育は心であり、技術であり、ですね。 私も自己修養に励んでいきます。