2000字では書ききれなかったもので、もう一回書いてみます。もう一つは『永遠』で出来ていると書きました。この事が『心を病む』と言う事と関係しています。人間には何がしかの『不安』が付きまとう事があります。或いは漠然とした不安、或いは罪悪感や、業と呼ばれているものが在ります。
この二つの意識の落差を意識の根底で感じているためです。つまり『心の矛盾』を意識はその意識の根底で感じています。自分は何者かと言う疑問や、此処は何処か、或いは何処から来て何処に行くのかといった疑問の事です。
この疑問は『幼子』は持っていません。この疑いの無い心境を天国と、聖書には書いてあります。この疑問を持つ事を『知恵が付いて天国から追放された』と聖書には書いてあります。知恵が付いたという意味は『幼子は脳の機能が未分化の為に、『心が一つしかない』と言う意味になります。
知恵が付いたと言う事は脳の機能が完成に近ずいて『心が二つになった』と言う意味になります。つまり人間は『心の矛盾や対立や分裂』に苦しむように出来ている。と言う意味になります。
貴方の友人が今、妄想の中にいると書きましたが、それは感情をわかせる者を嫌っていると言う意味になります。意識が無意識の意識と仲たがいをしていると言う意味です。
他の言い方をするなら『自我意識が出て』無意識に入りにくくなっているという意味にもなります。心を病むという事は、自我意識が出た状態から『無意識』に入りにくくなった状態と言えます。
他の例で説明してみます。眠る事を意識の力で眠ろうとしてしまう場合があります。その場合は眠れなくなってしまいます。その事を『不眠症』と言います。自然の眠りとは、眠ろうとした場合、自然に意識がなくなっています。その状態が『無意識』の状態です。その無意識の状態から本当の眠りに入ってゆきます。自我意識が無くなって無意識になった事は自分でも気が付きません。
意識の力で字を書こうとしても、手が自由にならなくて両手で書こうとしても、なお更書けなくなってしまう事があります、或いは上がる事を意識した場合、無意識の自分に任せられなくなった場合には、体も心も自由がきかなくなってしまいます。
今言った反対の例です。優勝が掛かった一打を打つ場合です。『自我意識が出ないようにして』 打ちます。思い通りに打てます。自我意識が出ないのに『誰が打っていますか?』或いはオリンピックのメダルに近い演技です。自我意識が出た場合には、失敗が付きまといます。自我意識が出ないようにした場合にはうまく行く事が多くなります。
自我意識が自我意識のみで何かをしようとした場合に、『妄想』の虜になります。対人恐怖であっても、脅迫行為であっても、自律神経失調症であっても、欝の場合などにも言えます。それは『無意識』の意識を拒んでいると言う事になります。
無意識が教える事も、無意識その者さえも拒んでしまいます。ますます『妄想』の虜になっています。是が『負の連鎖、或いは負のスパイラル』から逃れられなくなってしまう、と言う現象です。
この解決は『本人』しか出来ない事ですが、不安を受け入れると言う事になります。不安を受け入れる事は『無意識の意識』を受け入れる事になります。不安を受入れられなくて『苦しい思い』をしている人に、その苦しみを受け入れさせる事は至難の技ですが、それが出来たなら『完治』の時です。
自我意識にその時々の情報を右脳が言葉によらない情報で伝えています。それを悉く拒んでいる状態が『妄想」と言うい事になります。不安や恐怖とは、右脳による情報の事です。
精神疾患や、神経症や、自律神経失調症などの症状は、悪い情報ではありません。もう一つの自分の意識からの『救いの手』とも云える情報の事です。只自我意識が勘違いして受け取りを拒否している事に当たります。
それは世の中の見方や、認識の誤りとも言えます。それは好きと嫌いで世の中を判断している事に当たります。人生には誰であっても良い事も悪い事も、同じように降り掛かってきます。只分別が邪魔をしている事になります。嫌な事を避けている事で返って、何もかもが嫌に見えてしまうと言う現実となっています。
嫌な事から逃げないで、嫌な事に成り切った時に、嫌な事さえも忘れています。不安も恐怖も頭の中で作り出した『架空』の世界です。不安を受け入れる事で、不安は安心に変わります。
もう一つの意識とは全てを肯定して働いている働きです。自我意識が不安を受け入れた時に、不安は安心に変わります。それは意識に感情を沸かせていた者が『誰であったかが判る』からです。自分の不安の元が誰であったかがわかるからです。その事を『自分の性を見た』と言います。つまり悟りを開いたと言います。是以後は心の矛盾は解消します。完治の時です
お礼
生きていけないかもしれないという不安を一度に2件受けた事が大きく影響しているのだと思います。完治する日を楽しみにがんばります。ありがとうございました。