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 鎌倉幕府の藤原将軍の4,5代先祖は、九条や一条とも呼ばれます。

 鎌倉幕府の藤原将軍の4,5代先祖は、九条や一条とも呼ばれます。 足利直義は、京都入りしてから、邸宅の名前からか三条殿と呼ばれ、 武田晴信の継室は三条の方と呼ばれています。  この○条というのは、京都の○条通りと関連がありそうですが、 どういう意味なのでしょうか? ご存じの方、よろしくお願いします。

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回答No.1

> 鎌倉幕府の藤原将軍の4,5代先祖は、九条や一条とも呼ばれます。  藤原氏は藤原鎌足が始祖ですが、鎌足の孫の代に北家、南家、式家、京家に分かれますが、この内、のちのちまで反映したのは北家です。北家も反映するに連れて多くの分家に別れたので、互いに区別する必要が出てきました。そこで、それぞれの有力な分家はその邸宅がある地名にちなんで、九条家とか一条家とか呼ばれるようになったのです。 > 足利直義は、京都入りしてから、邸宅の名前からか三条殿と呼ばれ、  これも同じく地名ですね。直義は尊氏の弟なので、本家の尊氏と区別する上でそう呼ばれたのでしょう。 > 武田晴信の継室は三条の方と呼ばれています。  これは上に書いた藤原氏の三条家出身なのでそう呼ばれたのです。 > この○条というのは、京都の○条通りと関連がありそうですが、 >どういう意味なのでしょうか?  京都の平安京は碁盤の目のように縦横に道路が並んだ計画都市として作られていますが、そのうち、東西方向の道路を北から一条通、二条通……と読んでいます。昔は道路の名前で地名が区別されたので、地名の方も一条、二条と呼ばれるようになり、さらにそれが家の呼び方に転嫁していったのです。  ちなみに、源氏の足利とか新田とか武田とかいうのも地名です。こっちは地方武士なのでその所領のあった荘園等の地名にちなんでいます。  藤原とか源というのは姓と言い、氏族を区別する正式な名称ですが、一方、一条や九条、足利や新田という便宜上区別する用途で用いられているものを苗字と言います。明治になって旧来の姓は廃止され、国民はすべて苗字を義務付けられたので、現在は姓名の姓というと苗字のことを指すことになりましたが、本来は別のものだったのです。

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