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天網快快疎にして漏らさず、という言葉は真実でしょうか。

天網快快疎にして漏らさず、という言葉は真実でしょうか。 悪行を行った者は、地獄に落とされるのでしょうか。 宇宙の歴史のすべてを記録したアカシックレコードなるものは実在するのでしょうか。

みんなの回答

回答No.10

答えは事象の地平面地平体地平胞の向こう側にあります 一度死ぬ経験を夢のなかでもしてみること 時間の謎溶けたらみえます

  • abc2008
  • ベストアンサー率17% (7/41)
回答No.9

『天網恢恢疎にして漏らさず』とは厳然たる事実ですが、確かに事によっては迷宮入りとか、時効等で罪を免れたり、また、その悪事自体が発覚せずに罰を受けずに済むなどというケースも間々ありますが、ただ、これらは国法や世間法という人為による規律や罰則等の網に引っ掛からなかっただけであって、『天』即ち『究極の精神的実在』(人によっては、これを神とか仏とか言いますが)には、全て照覧されていて誰一人免れることはできないでしょう。なぜなら、『究極の精神的実在』とは我々生命の基盤、根幹だからです。つまり、分かり易く言えば、我々はこのような大生命体といってもよい大木にある末端の木の葉みたいなものかと思われます。となれば、全てお見通しということも当然かと思われます。 それで、同じ人として生まれたとしてもその差別的境遇、つまり、戦乱の国に生まれる者もいれば、平和の国に生まれる者もいるし、裕福な家に生まれる者もいれば、貧しい家に生まれる者もいる。また、病弱な体で生まれる者もいれば、健康な体で生まれる者もいる。もちろん、人だけではなく犬や猫、魚類や昆虫等に生まれることもあるでしょう。いずれにしろ、このような差別、我々自身では何ともし難い状況がなぜ生じるのか。それは当然、人為の網から漏れたとしても、天の網には必ず引っ掛かり、それなりの報いを受けさせられるからではないでしょうか。 ただ一方、宿業論にもあるように、自ら為した善悪の報いは必ず自身に返るとあるように、自分の蒔いた種は必ず自分で刈り取らなければならないのであれば、これも当然、人為の網から漏れたとしても、自身の宿業の網からは逃れられないので、やはり、それなりの報いを受けざるおえないという事です。 結局、天にしろ宿業にしろ、その自身の所業の報いからは誰人も決して逃れることは出来ず、必ず自分で償わなければならないということです。 あとの二つの質問に対しては、分かりかねます。

  • kogoefuyu
  • ベストアンサー率10% (64/610)
回答No.8

良い事も悪しきことも その人の心の底にある動機の現れ。 悪しき思いから、見せ掛けの善行をそれに利用するものもありけり。 しかしやはり、心の奥底にあるの意思はひとつ所以、 本人自身はそれを知っている事自体は、本人にも誤魔化せないし逃れられない。 表向きいくら良くとも、心の底を本人自身が知っている。 同じ拠出故、いくら手法を講じ表向きを変えても、やはりその奥底の心から発せられた影響は波及一巡廻って、その周囲からも嗅ぎわけられたその真実に見合った裁きを常に得る。

回答No.7

No.さんが誤植をお教えくださっておられます。  どこかでご修正されるか、もう一度新規に質問を起したらいかがでしょうか?  私もネットで確認したのですが、老子の道徳経の第73の11番目にあります。  『天網 恢恢 疏而不失』だそうです。  これが正しいかどうかも分りませんが、やはり老子の思想の伝統的理解やあるいは原点からも勉強したいですね。  老子も生没年なども確実でないところがありますが、私たちが信奉するマハ・バーララ・ババジ(“ばば”おじさん。“じ”敬称です。ババジも老子も固有名詞かどうかも、議論があるかもしれませんね。)と比定する方もおられまして、インドの思想に通じるところもあるようですね。

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.6

 天網恢恢疎にして漏らさず(失わず) 老子ですが、恢はうつろな広い空間という意味です。 悪人は逃げおおせると思っても、いずれどこかで正義の網にかかるということでしょう。 正義といっても、それはどんな形の正義かわかりません。公とはかぎらず、正義が真理と一致するともかぎりません。 ただ、調和をそこなわない意思のはたらきであるといえます。 そのようなはたらきが遍くわたっている世間の道理を言ったもので、地獄に落ちるという問題ではないと思います。 地獄なるものは他人の身の上に期待するようなものではないでしょう。 わたしたちが地獄と思うようなところも極悪人はなんとも思わないかもしれません。 まさに地獄を生きている者が悪人なのでしょうしね。 アカシックレコードは存在にはなりえないように思います。 記憶、情報がミクロの物理学によって記述されるとするならば、 それは存在概念を超越した数学でしか記述されないでしょう。 ひも理論やM理論と並べられはしませんが、一種の統一理論ですから、 記述によっては、別の概念で捉え直されるべきだろうと思います。 天国や地獄と同じように、アカシックレコードも戯画化されたものは戯画化されたものにすぎません。 期待もなく賭けるものもないはずの体のものです。 無限という正体のしれない事象を現在時に照らし合わせるという行為によって アカシャの概念は成立しうるのです。 哲学を有した上での占いと数学が、 この行為そのものに寄り添う行為なのではないかという気がします。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

「悪行」の定義づけは多様ですから、厳密に言えば嘘でしょう。 地獄というものがあるということも証明できません。 唯一確かなのは、人はみな死ぬということです。 つまり、 「悪行を行った者は、地獄に落とされる」というのは、 「悪行を行った者は、みな死ぬ」と同じことで、それは間違いありません。 但し、「善行を行なった者も、みな死ぬ」こともまた事実です。 結局、「人間は皆死ぬ」と当然のことを言っているに過ぎないわけで、一種の詐欺みたいなもんじゃないでしょうか。 こういうことを信じる人がいるので高い壷とかが売れるのかもしれませんね。    「天網快快疎にして漏らさず」とは、一種の脅しで、 子供に対する、 「悪いことしたらおまわりさん呼ぶよ」 「うそついたら閻魔さんに舌抜かれるよ」 などと同じような効果程度は、もたらすこともあることでしょう。 こういったやけくそ的脅しが諺にまでなっているという事実が人間の進化の程度を物語っているわけで、いずれ笑い話として登録される類のものであろう、と考えます。 アカシックレコードというのは面白いですね。 wikiで少し拝見しましたが、 「宇宙や人類の過去から未来までの歴史全てが、データバンク的に記されているという一種の記録をさす概念。」 ですね。 アニメのモチーフにできるんじゃないでしょうか。   

回答No.4

20億秒程度の人生期間ではわかりません

回答No.3

 残念ながら本当のようです。  ・天知る地知る我知る、でした自分が知っています。自分の知らない自分を通して、天(創造主)にも地(創造界)にも通じてしまっているようです。  ・壁に耳あり障子に目あり、で誰かが見ている聞いている。   ここ東京の下町、誰も知らないと思ったら、みんな知っている、ということはよく見聞します。   『あの奥さんね、パジャマと外出着しかないの』ってちゃんとみている。   『あの奥さんね、いくつかな。うん70ちょいと。へえぇ、男と○○駅(自転車で12分)の近くに住んでいるよ。帰ってきたら旦那うちに入れるかな』・・・『無論入れるって』・・・・   『○○さんのおばぁちゃん、駐車場でおしっこしてたよ』、『あぁ私もみているよ』   知らぬは亭主ばかり、本人ばかり。    という具合に隠している事は必ず顕れています。いやぁ人はちゃんと見ていますね。分っちゃっていますね。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

天網快快疎にして漏らさず、という言葉は真実でしょうか。 ○ 真実ですよ。 現実を見ていろんな疑問がわくでしょうが、それは天の網の大きさの認識が間違っているからですね。 おそらく、あなたも含めて多くの人が、例えば、魚の養殖用の網を天の網と考えているからですね。 しいて言えば、天の網というのは太平洋にかかる網なんですね。養殖の網から逃れても海からは逃れられないようなものですね。 魚の養殖網では、ちょっと判りづらければ、池でもいいんですよ。池にたくさんの魚がいますが、池の中で何をしようがとがめられなくとも、池から飛び出るとこれは魚の領域ではないですね。猫に食べられるか、親切な人に救われ別の水槽で飼われるか、日干しで死んでしまうか、いろいろありますね。 ここで池を覆う網が天の網ということですね。この魚が池から飛び出ると死んでしまいますが死後の世界も含めた全ての世界にかかる網が天の網なんですね。だから非常に公平および公正なのですね。 池の中で悪さをした魚は、日干しか猫に食われるか、これを地獄といっているのですね。拾われて環境のよいところで住めるのが天国ということですね。 まあ、人間は偉そうなことをいってもね金魚鉢の中の金魚みたいなものですから、金魚鉢から出るとまな板の金魚になるわけです。そのまな板が天の網ですね。どう料理されるかは金魚鉢での平均寿命80年できまるということかな。反省無く悪さがひどいとなますにされるのでくれぐれも気をつけましょう。

  • conntian4
  • ベストアンサー率40% (318/787)
回答No.1

私の母親は小さい頃よく「お天堂さまが見ている」と 悪行を戒めるように言っていました。 小さいながらも悪い事をしていたら、 回りまわって自分に悪い事が降りかかると思っていました。 よい事をしたら自然の摂理で、よいことがめぐり自分に降り注ぐのですよ。 これも親切にしたらめぐりめぐってその行為が自分にも降り注ぐという経験があります。 私の人生、全てこれに当てはまり、悪意に満ちた行為を私に仕掛ける人物は、 とても酷い仕打ちを後々受けています。 それは人を憎む、妬む、羨む行為でしょう。 陰口を叩くのもそうですね。 汚い言葉は宇宙に記録(記憶)され後々、自分の身に降り注ぐそうです。 世の仕組みと言うより、宇宙の摂理なんでしょうね。

freedamnippon
質問者

補足

悪行を行いまくっている連中でも、まったくばちが当たってないような、のうのうと暮らしているような連中も存在しますよね。 逆に、悪行を行ってなさそうにみえる人でも、原爆投下やエイズ薬害や殺人の被害に遭われている方々も存在しますよね。 この現実をどう思いますか。

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