歴史のことは知りません。
法制史によれば、鎌倉時代から長男相続の風習が出来たと書かれてありますが、あれは文献上のみのことで実社会とは異なります。
民族学や社会学では長男相続という常識はありません。
ある学者の学説を引用します。
私はかつて、青山先生還暦記念論文集「家族の法社会学」に、日本の家族は東日本と西日本とにおいてその構造や規範を異にし、東日本では姓を同じくする直系・父系中心の同族結合、長男単独相続=長男優位に表徴され、西日本では姓にこだわらず血縁・姻族等つながりの近い者を中心とし、長男、非長男とも並列的な地位におかれる、と述べた。
右の仮説は正確さを欠き、修正を必要とするが、その基本的な理念は少しもかわっていない。
すなわち、日本の家族は東北型と西南型に大別され、東北型家族は同族結合、長男単独相続に示される直系、父系的家族であり、西南型家族は別居隠居、共同相続に示される血族中心的家族であって、前者は東日本に、後者は西日本に普遍的にみられる、ということである。
極端な場合は末子相続というのがあります。
長男が婚姻すると母屋は長男に渡し、両親は次男三男を引き連れて隠居家に引っ越し、次男が婚姻するとその隠居家を次男に渡し、更に隠居家を建て三男を連れて引っ越します。
ですので末子が相続することになります。
詳細は民族学の隠居をお読みください。
長男単独相続すなわち家督相続は、地租の徴収と徴兵に都合が良かったので明治政府の作った幻想のようです。
婚姻による女の氏の変更も天皇制度維持のための家制度を盤石にするための政策のようです。
婚姻すると夫婦につき新しい戸籍が出来ますので入籍という用語は養子縁組の場合です。
しかしながら結婚のことを入籍または籍に入るという戦前の用法が常識となってます。
常識や現在使われている用法はかなり間違っていることがあります。
長男相続も単なる幻想のようです。
古代においては女が家の実権を持っていたため、所有権は女に属し、女の子供を作るため男は種馬として毎夜女のところに訪ねていたようです。
そのうち荘園制になり男は労働力として女ところに通ったそうです。
婿入り婚から嫁入り婚に変容していったのです。
女子相続から男子相続へと変容したのです。
男子相続も均等相続の地域もあれば長男単独の地域もあります。
そうしたことを抜きにして、長男単独相続が日本古来からの伝統であると明治政府の国会議員は発言し民法が立法されました。
国会議員の発言は、今も昔も同じです。
でもおそろしいことに、それが歴史となり常識となってしまうのですね。
現在の普天間基地の迷走を将来教科書はどういう記述をするのでしょうかね。