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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:私は今大学生です。)

大学生の学問への考え方とは?

このQ&Aのポイント
  • 大学生の目的は学問を楽しむことではなく、大卒をもらう手段になってしまっている。
  • 人間が手段に走った瞬間、俗物になると考えている。
  • 学問において手段に走ることは避けるべきだと思っている。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • MandM
  • ベストアンサー率31% (15/48)
回答No.8

再び補足をありがとうございます。 そうですか、大学の講義を聴くことが即ち学問であり知の探求とお考えになりますか。私は少し違った考えを持っています。講義をどのように位置づけるかは、ひとりひとり違っていてよいかとも思われます。他の人の考えも参考にしながら、ご自分の見方を深めていかれるようにお祈りしております。大学で信頼できる先生にご意見をうかがってみるのもよいかと思われますが、いかがでしょう。

GODSAVE
質問者

補足

>>MandM氏 もしよろしければ、 あなたの意見もお聞かせ下さい。 私もとらえ方は人それぞれだとは思っています。

その他の回答 (13)

  • MandM
  • ベストアンサー率31% (15/48)
回答No.3

 残念ながら学者や医者がどう考えているかは知りません。ごめんなさい。でも、「哲学」というのは、誰か偉い人の考え方を学ぶことよりも、自分の頭で考えて実践することだという話しをどこかの哲学の先生の本で読んだ覚えがあります。  『手段』に走ったら駄目だと思っていらっしゃるそうですが、「走る」の意味を取り違えていたら許してください。人生のほとんどは、「手段」でできているように思われます。「目的」に向かっていくその道は、「手段」に他ならないように思うのですが。  何かの「目的」を目指して大学の講義は参加するのであって、講義に出ること自体が目的ということはないのではないでしょうか。もしかして、受験勉強の目的は、大学生になることだったかもしれません。「大学生になること」は、すなわち「大学の講義にでること」と考えるのでしょうか。僕が学生の頃、「勉強は一人でする方が能率が上がるから、家で本を読む人は講義に出なくていい」という先生がほとんどでした。  卒業することが目的であれ、勉強することが目的であれ、「講義に出ること」は目的とはなりにくいように感じます。

GODSAVE
質問者

補足

>人生のほとんどは、「手段」でできているように思われます。「目的」に向かっていくその道は、「手段」に他ならないように思うのですが。 確かにそうです。 厳密に私が考えていることは「最初から手段になっているのは許せない」ってことです。 『目的』を目指し、やがて達成した時に振り返ると『手段』になっていたというケースは許せます。 専攻は法学です。

回答No.2

なにを専攻されているか分かりませんが、もし哲学だったら、専攻見直した方が良いと思います。 哲学だけは手段じゃなくて目的じゃないとね。 もし、商学部など、商売や金儲けの手段と割り切っている学部あれば、それも良いと思います。 文科省の補助金で、あなた自身の商売の知識を仕入れることができる。お得ですね。 閑話休題 目的、手段、って意思の問題ですね。 人生だって目的は無いですよ。 少なくともあなたが意思を持って目的を定めるまではね。 大学の勉強も同じで、自分の意思で目的を定めると、迷いがなくなる。 いちいち意味を求めたりしなくなりますよ。 最後に蛇足ですが、 俗物になるのが厭だと言って、俗物以外になれるものでもないでしょう。 傑物が傑物になったのは結果であって、それ自体を狙ったからではないですから。

回答No.1

私も大学時代同じことを考えました。 とりあえず興味のある授業だけを片っ端から受けてみては?

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