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地球の未来は?温暖化か氷河期か
- 地球はこれから温暖化するのか、氷河期に向かうのか気になります。何故なのかを教えてください。
- 最近の地震や天災を見ていると、地球は生きていると感じます。長い年月を経ても環境が変わる可能性もあるのでしょうか。
- 生物が住めるようになってから数えると、地球の環境は何度も変わってきました。自然的要因によって今後も変化する可能性があるのでしょうか。
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気温の推移を数億年レベルでみると、現在の平均気温はかなり低い方です。氷河期の小康期かな?ってレベルです。 なので、これから平均気温が上昇していくことは問題ではありません。ただし上昇速度は問題ですが…… さて、質問者さんが求めるものとは違うかもしれませんが、一つお話をします。 昔々ある星に、多種多様な生物達が住んでいました。 彼らはお互いに捕食しあい、資源を奪ったり、時には共生したりしながらも、 バランスのとれた生態系を維持していました。 しかしある時、ひとつの種が彼らにとっての猛毒を吐き出し始めました。 その毒に耐性のない彼らの多くはひとたまりもなく絶滅していきました。 それでも毒は吐き出され続け、その星の大気組成も変化し、「オゾン層」が出来上がりました。 ここまで書いたらもう分りますね。 「ある星」とは地球のことで、「毒」は酸素のこと、「毒を吐す種」とは植物の先祖のことです。 嫌気性生物の観点からみると、大気中の酸素濃度が20%を超える現在の地球環境は 「汚染されている」とみなすことができます。 「自然」とは「自ずと然り(おのずとしかり)」、つまり「あるがままの姿」という意味です。 生物的側面で見れば、生物達が資源を奪い合い、棲み分けし、時には共生した結果なのです。 彼ら生物は「それが正解だから」その姿になったのではありません。 各々が「自らの都合のいいように」ふるまった結果が「今の自然」なのです。 そして、彼らの資源をめぐる「交渉」は今も続いています。 彼らが妥協した産物ともいえる現在の自然の姿は一見すると安定しているように見えますが、 それは動的平衡であり、常に変化の可能性を孕み、時には実際に平衡点が移動しています。 生物的側面以外にも、地球の極点は移動し、太陽の表面活動も変化し、 自然の形は常に変化の要素に曝されています。 なので「地球を守れ」等という美辞麗句のもと、自然に正解の形があるかのように考え、 人間が自然に干渉すること、それ自体を否定するのはナンセンス以外の何物でもありません。 また、本質的には「自然物」と「人工物」との間には何の違いもありません。 合理的な理由もなしに「人工物=悪」とするのは勘違いであり、 また「道徳的善悪」という「人間固有の概念」を自然に持ち込むのは 個人的見解を言わせてもらえば、「人間原理主義の極み」であります。 自然には「正解の形」も「善悪」もありません。 我々人間がそこに見出だすのは「こうあってほしい」というささやかな願いだけです。 そのささやかな願いが時に傲慢さに化けてしまうのは悲しいことですが…… 以上脈絡もない話を長々と失礼しました。 この話が質問者さんのエコロジーに関する考え方の参考になれば幸いです。
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- aburakuni
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地球の歴史を例えると、2000年と言う時間は「エンパイヤービルと切手の厚さ」でしかありませんので、寒暖どちらに傾くかは期間によって判断できるものではありません。 しかし人類文明は極めて限定された条件下でしか存在し得ないものなので、皆が騒いでいる訳です。 適当な条件の立地と潤沢なエネルギー供給といった限られた場所に、皆が住もうとすれば必ず破綻が起きます。 地球誕生から半分の23億年前には大気には酸素が無く、今の大気中2割の酸素は殆どが当時の二酸化炭素から23億年間の光合成により得られたものとすれば、当時の高温は途轍もないものだった訳で、それ以降の気温変動はたかが知れています。 本来在り得ない様な好条件を、将来100億を超えるであろう人類全体が享受しようと言う考え方に無理があると思います。
お礼
ご回答、ありがとう存じます。なるほど!つまり、残された好条件区域を巡って、将来的に争いが起こらない方が、不思議なことになると言えるのでしょうか? そうなると、核・生物・化学兵器を撲滅しなければ、その区域も即壊滅してしまうことになりますよね? 行く行くは、「風の谷のナウシカ」のように、あらゆるものが毒されてしまい、それを人間が受け入れながらも、改善の道を模索することを迫られるのでしょうか? 戦争と環境の問題は、深く結びついていると思うのですが、天災・環境変化を要因として人口が多少減少しても、好条件区域に収まりきることは難しく、今、宇宙へヒトは、飛び出していくことを模索中ですが、それも限られた人口を受け入れるのが精一杯だと思いますので、やはり、地球の自然的な変化以上の変化をヒトはもたらしてしまうのでしょうか? 何か平和的で、画期的な対策が将来的に確率される可能性は、ありませんか?
- Mokuzo100nenn
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地球にはいろいろな生物が生存競争しながらその個体数のバランスをとって生きてきました。 百獣の王ライオンでさえ、なかなか獲物が取れずに、空腹の子に満足に食べさすことができない、というのが現実です。 天敵がいないホッキョクグマだって、定期的な気候変動に対応して、個体数を増減させつつ、いままで生き残っているわけですよね。 さて、その生存競争に完全勝利を収めることができる生き物が現れたらどうなりますか? そう、向かうところ敵なし、際限なくセックスし、際限なく子孫を増やします。 これは、どうやらDNAに組み込まれた命令(=本能)らしいから、なかなか止められない。 地球上の哺乳類で一番数が多いのがヒトです。 そして、まだまだ増え続けている。 これがどういう結末を迎えるか、、、、。 丁度、人体に癌細胞が発現し、抑制することができない場合と似ています。 癌細胞は増殖を続けて、やがて宿主である人体を食いつくし、死に追いやる。 愚かなことですが、がん細胞は自己抑制が効かない。 癌細胞と人体の関係は、人間と地球の関係に似ていませんかね。 一人当たりのCO2発生を押さえながらも、人間の数=人口を抑えることができないかぎり、人類は癌細胞のように自らが原因で滅びるでしょう。 でも、これは、生物の歴史には、珍しいことではなく、二億年も君臨した恐竜が絶滅した後に、哺乳類が大増殖したように、人間が絶滅すると、他の生物が大増殖して繁栄の時代を謳歌するのです。 人間の次の王者は何になるか分かりませんが、CO2をあまり排出しない動物であれば、CO2問題も解決ですね。 人口の抑制問題は、みんなが「自分だけは別、、、」と考え、主張する問題ですから、中国が共産党独裁で一人っ子政策を強行したように、民主主義でない強い地球支配が実現しないと、難しいでしょうね。 民主主義をまもって人口爆発で自滅するか、地球独裁政権を樹立し、人間の個体数制限を実現するか、なやましいもんだいですね。 ご質問の趣旨からずれましたが、人類の近未来の問題として共有できればとおもいます。
お礼
ご回答、ありがとう存じます。 わたしも、共通意見を多く感じました。 政治思想については、ミックスバランスを持った新たな道を模索する必要があると、個人的には感じています。 しかし、ここのスレッドで深めるお話ではないので、触れる程度にしておくとしまして、わたしが、生物学のコーナーに質問されて頂いているスレッドにも書きましたが、人は、これまで、戦争をすることで、数をある程度コントロールしていたのではないかとも(戦争を正当化するものではなく、ヒトを生物として捉えた時のお話です)思えます。 ある時代を境に、例えばダイナマイトの発明が、悲劇的にも発明者の思惑とは逆の用途で使われたことによって、爆薬の威力が増し、より人間以外の生物に戦争が影響するようになったこと、さらには地球を何度も壊せる程の核が、存在するようになったこと、などを見てみると、ヒトは、種の選り分け役に、一時期誕生しただけの生き物なのではとも、思えます。急激に増え、地球環境を厳しいものに追いやって、それでも生き残れる、他の生物の誕生を促す役割を持っているとも思えます。 今日生物の種は多様化されていますが、原始、地球初の生命体から枝分かれしたもので、皆元をたどればそこへたどり着く訳ですから、その生命体の膨大な可能性が、地球に存在しては消え、厳選されて来たとも考えられなくはなく、わたしたちのように矛盾を抱え、極限の環境には耐えられない生き物は、正に生物界の仕分け人であり、この環境変化が一定に達した時、役目を終えてしまうのでしょうか。 しかも、いつかは、この星も死を遂げるというご意見も真理であると思われます。そうなると、宇宙は強い星を選り分けているとも思えてきます。 それは、何のための作業かは解りませんが、少なくとも温暖化し氷河期がやって来た時、もう一度、地球は試されるのでしょうね。
- rk58628
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最初に、一つの考え方であることを断っておきますので、これが全てとは思わないで下さいネ。 地球という星は、たくさんの偶然が重なり合って生まれた、言わば奇跡の星です。 宇宙の中で、ガスが爆発し、ぶつかりあって、星が生まれると言われています。 太陽を中心とするいくつかの惑星でも、地球のように水と酸素がなければ、生物は生きていけないとされています。いろんな星の引力で引っ張り合って、今の位置関係で存在しています。(月の引力で海の潮が、満ちたり引いたりすることはご存じでしょう?出産にも影響あるといわれています。) 何かの原因で、地球が太陽から離れたり、近づいたりすることがあれば、恐らく地球上の生命は生き続けていられなくなるでしょう。 太陽の寿命がいつまでなのか、定かではありませんが、太陽が死んでしまえば、地球にも生物は住めなくなるし、地球が今の位置にいることもあり得ません。 地球が今までの歴史において、熱くなったり、寒くなったりを繰り返して来たとみられています。 何故、そんな大きな環境の変化がおきたのでしょう? ある説によると、隕石の地球表面への落下や、火山の大規模な爆発等が言われています。 隕石が地球表面へ到着することは、大気圏に突入すれば、その摩擦熱でその殆どが燃え尽きてしまうので、まずありませんが、もしその熱に燃えながらも、地上まで落下する程の大きな隕石があれば、その衝突の影響で、空気の中に多量の塵や埃が巻き上げられて、空を覆い尽くし、太陽を遮り、想像を絶する範囲で生物の生存を脅かすと想像されています。 また、その衝突の影響で、地殻変動が起き、火山の爆発、地震や津波で大多数の生命が奪われるという事です。 地球温暖化ですが、地球はオゾン層や大気で覆われていて、その中である程度の温度で保たれているし、太陽から有害な物質が届くのを防いでくれてもいます。(これらがないと人間は外では暮らせない) その中で、人間や動物、植物・・・みんなが息をして、吐いて、植物は光合成をして酸素を出してくれたりしているのですが、人間は文明や欲を持った生き物で、より良い、より楽な、より安全な・・・生活を求め続けて来ました。火を使い、工業を発展させ、川を汚し、生物を殺し・・・。 しかし、これは人間が持って生まれた性です。どうしようもありません。 しかし、地球という生命体からみれば、自分の中に悪い虫が居るようなものですね。 人類が生きている限り、地球は温暖化に向かうでしょう。今、いくらCO2排出基準がどうのこうの言っても、その温暖化のスピードが少し遅くなるかどうかだろうと思います。何十年か後には、日本は熱帯地方になっているかも知れません。 こと人類に限って考えると、温暖化等の環境の変化で、地球上で生きて行ける場所、人口に限りができる。(人間の使う酸素の量は増え続け、植物は切り倒され・・・) また、地球は生き物でもあるので、火山の爆発、大地震、地殻変動等の災害がいつ、どこで起きるか解らない。 新たな疫病の発生、今も居る細菌もどんどん変異を遂げて強くなっていく。 そして、人類の遺伝子の劣化、染色体の異常(男性の出生率低下=人類の滅亡)。 幾分、悲観的な内容に傾いてしまったかも知れませんが、あくまで参考意見です。 長々と私見を書かせていただきましたが、我々人類は明日をも知れない命を負っています。 人類の進化=破滅への道を駆け足で進んでいるのかも知れません。 大切なのは、自分がいつも今を一生懸命に生きることしか無いのでは・・・と思います。 失礼しました。
お礼
貴重なご意見、ありがとう存じます。 確かに何時かは、この星にも寿命がやって来てしまうと、わたしは思います。それは、ご回答にあったように、外側からの要因も含めて、「終末」は、あるものだと思います。 宇宙自体が生きているとも思います。永遠なものでもないのかも知れませんね。 けれど、奇跡的に奇跡の星に宿ったわたしたちの命が為すことが、是可否かというこの大きな疑問は、また別にスレッドを立てさせ頂くとしても、この奇跡の時間にわたしに出来ることを探すことは、例えこの宇宙にまで終わりがあっても、無駄ではないと信じています。
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3634/18947)
他天体との衝突で破壊されることがなければ膨張した太陽に呑み込まれます 今のところ確実なのはこれだけです それ以外のことは推測であってそうなるかどうかは不明です
補足
ご回答、ありがとう存じます。 まさか!そんなことがあるのですか? もう少し、詳しく教えて頂けますか?
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
温暖化が進むと氷河期が訪れるのだそうです。その理由については、私も何度聞いてもわからなくなるので、改めて今、「温暖化 氷河期」で検索してみたら、いろいろな情報がヒットしました。簡単に言うと「温暖化が進むと北極や南極の氷が解ける。すると、海に大量の真水が混じる。すると海の流れが悪くなって、地球がいい具合に温まらなくなる。ゆえに氷河期が訪れる」ということだそうです。ちなみに、恐竜が大量に死んだのは、巨大な隕石が地球に落ちたからだと、先日、テレビでやっていました。 で、お書きになった「わたしが感じていること」には私も賛成です。たぶん、それに備えて人類は、一時的にでも宇宙に脱出できるよう、宇宙開発を進めているのだと思います。いずれにしても、「氷河期」というのは、地球が丸ごとすっぽり氷になるわけではないそうですので、その時になったら(その時の)南国に移住しようと思っています。 とはいえ、少しでも快適な暮らしができるよう、負担にならない程度の心掛けはしています。例えば、レジ袋を断れば、割引してもらえますし、次のプラゴミ回収の日までゴミがたまりすぎる心配が減ります。自宅の狭い庭やベランダに植物を増やすだけで、夏は2度涼しく、冬は暖かく過ごせていますし、庭いじりや見た目においても癒されます。植物を増やせば洪水も防げるので、何億円もの税金が使われている貯水トンネルも要らなくなるかもしれません。それにきれいな虫やかわいい鳥がよってきて害虫が減ります。楽しいですよね。
お礼
ご回答、ありがとう存じます。 なるほど。温暖化があって氷河期がある訳なんですね。 南極も北極も徐々に解けているようですし、海流が変化するということは、海の生き物が変化を受けることになりますよね。もう既に熱帯魚が北へ向かって生息圏を延ばしていますね。 そうなると生態系が変化て、もしかすると、今世界各地に点在している動物園・水族館で飼育されている種が、環境に適応して進化することもあるなと、わたしは、考えることがあります。南極に人が住むようになった時、生き残るのは、北半球の飼われたペンギンかも知れませんね。 ちなみに、映画中毒なわたしが見たパニック映画では、(ネタバレするので、タイトルは伏せます)地殻変動で大噴火と地震の連鎖によって、水底に街が沈み、方舟に乗り込めた人類の生き残りのは、何故か人類の始まりの地、アフリカ大陸にたどり着いていました。(その方が面白かったからなのかも知れませんが。) それからエコロジーは、お洒落です。ビニールをジャリジャリ言わせて歩くより、お洋服に合ったバックや風呂敷・傘袋の方が、見た目もスッキリ、センス良く見えますし、選ぶのも楽しいです。 野菜くずでとったスープストックは、栄養もあって、美味しいですし♪ エコロジーということは、生活を楽しむものでもあると、わたしも思います。
- ortothoo
- ベストアンサー率0% (0/4)
1951年~1970年の期間に比べて、2011年~2030年の期間では、暑い昼・夜の増加 と寒い昼・夜の減少が予測されました。 その温暖化の影響の大きさは、陸上のほとんどの地点において、気候システム の数十年規模の自然の揺らぎよりも大きくなることが示唆されているそうです。 すなわち、近未来の温暖化による極端な高温の増加と極端な低温の減少は、 自然の揺らぎによって覆い隠されることなく、世界各地で顕在化する可能性がかなり高い と思います。 しかしそれらがco2排出と因果関係を証明出来るかといえば、実際難かしいものです。 それをいいことに排出権を利権化し、既得権益に持ち込もうとする動きが助長させて いると思っています。(近年の温暖化問題のネガティブキャンペーンは)まあビジネスチャンスなんでしょうけど・・・ 私は温暖化については問題化していません。
お礼
興味深いお話をありがとう存じます。 日照時間が変化してるなんて、初めて知りました。 わたしは、切り花のバラに新芽がついていたので、勿体なくて、花瓶で水と光だけで育ていますが、菜種梅雨に伸びた枝と、雨が少なくなって伸びた枝に成長差が見て取れます。 菜種梅雨に伸びた枝が、元気がないので久しぶりの晴れ間に窓辺に置くと、ふ入りの葉が、枯れてしまいました。 こんな小さな変化で、植物は分かれ道に立たされるのですから、長期的に光合成出来る時間が変化するということは、多くの植物にとっては、一大事であり、食物連鎖にも影響が出るということなのでしょうか? 地球の明日ということ以前にわたしは、森を維持するということは、豊かなことだと感じますし、ゴミを減らすということは、とても誠実な行いだと思います。水を汚さないということについても、同じ考えです。 エコロジーが説かれるようになってから、あれこれ学術的には紆余曲折あったのだとしても、人間が豊かな暮らしについて、じっくり議論するきっかけになったことは、素晴らしいと思います。 ortothooさんのおっしゃる通り、CO2排出権市場については疑問をわたしも感じます。CO2を出しながら、CO2より危険な物が地下へ流れていったことは、現代化してきた国では、必ず起きて来ました。 排出権を買うということは、どころかでコストを下げる必要出てくる筈ですから、人件費が下がるか、安価でも危険な方法で商品を作るかという可能性を捨てきれないのではと、わたしは考えています。人権とも関係してくるのでは?
お礼
ご意見、ありがとう存じます。 わたしのもう1つの観点を後押しして頂き、更に新たな価値観を与えて下さる、深い経験でした。 わたしは、生物学のスレッドに「戦争」を生物学的に位置づけたら、どう説明できるか質問していますが、「戦争」というものが、人類と今あるカタチの地球に良くないというだけで、自然から排除して考えて良いものか、長年の疑問をぶつけてみたのです。 勿論、わたしは、平和主義者ですから、暴力の行使は反対ですが、わたしの傾倒している思想に「大宇宙は、不必要な出来事は起こさず、必要なものが、必要なだけ存在し、繋がり合って、大宇宙を形成している。また大宇宙の意思は、壮大なもので、人間の想像を絶するものであり、善悪は人間の裁けるものではない」というものがあります。 ですから、その考えからすると、人類の戦争は、ヒトという宇宙のかけらの働きと捉えることになります。 そして、宇宙に地球以外生物が住める場所はないという考え方も1つの考え方ではありますが、絶対的ではないと言えると思われます。 何故なら、お応え頂いたご意見にもあるように、酸素を害とする生物が存在していたとするなら、ヒ素をエネルギーとする生物も、また真空出なければ生きていけないというものがいても、不思議ではないからです。―あるがままが、自然であるなら、今地球に起きていることも、必要なことに置き換えられます。 その2点において、わたしの思想の説明が容易になったのです。 つまり、戦争や自然への侵攻を行う反面、愛や平和を好む、人間の宇宙での存在意義は、新たな展開へのきっかけであるのだと、説明がつきます。 種が絶えることが免れない生物の存在意義を、自分に説明が出来るようになったのです。 ただ、美しい地球の色が、数百億年後、褐色になってしまうとすれば、やはり栓なくも、悲しい想いも致します。