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高校時代真面目にどんな授業にも接してきて、板書もして、そして定期テスト
高校時代真面目にどんな授業にも接してきて、板書もして、そして定期テストも抜群の成績を修めてきて 早稲田に入学した一群と (当然予備校にも通っていた) 高校の授業なんてこれぽっちも受験に関係ない、と割り切りさぼりまくっていて 早稲田に入学した一群。 (おなじく予備校に通っていた) さあ、前者と後者とでその後の人生における知的能力や知性や教養に差異は発生してきますか? ∥ 高校の授業を真面目に受ける意義などあるものなのか?? どういうところでその有無の差が出てくるのか?
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ええと、話がかみ合っているかどうか心配なのですが、まず、断っておくと私は後者タイプの人間です。それで満足しています。さて…… >高校の先生のやる気ない授業でも真面目に聞くことの利点とは何でしょうか? あるとすれば、その利点を探すことに意義があるわけです。 >何を得られるゆえ真面目に受ける意義がおありだとお考えなのでしょうか?? 最悪でも反面教師となるでしょう。そして、例えば前者の人が存在するとしたら、おそらくその人は、そのやる気のない先生の授業をうまく活用できたのだと思います。例えば、その教師が教科書を丸写しして黒板に書いているとすれば、それを前者タイプの生徒は丸写しすることで「教科書を書いて覚える」という作業を授業中に片づけられた、とか。それは個々の授業や生徒によってさまざまでしょう。 >あなたさまは今現在でも心に残ったレクチャーがおありなのでしょうか? いくつかありますよ。現代国語の先生がたまにぽつりぽつりと話していた戦争体験などが印象深かったです。その先生の考えは万人に共通するものではないかもしれませんが、生身の体験者が知人として語ってくれる言葉に重みがあり、のちのち文学という学問やその学問を社会で活用するに当たって役に立ちました。
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- ucok
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>前者と後者とでその後の人生における知的能力や知性や教養に差異は発生してきますか? 実際にそんな例を知っています。前者は高校時代や大学時代の経験を生かして安定した社会生活を築き、後者は高校時代に勉強をさぼっていた分、精を出していた他の物事や、大学時代の経験や、一点集中型の集中力を生かして安定した社会生活を築いています。知的能力や知性や教養は、それぞれに優れていますが、優れている点と活用方法が違います。 >高校の授業を真面目に受ける意義などあるものなのか?? もちろんあります。ただし、厳密に言うと、「真面目に受ける意義」に気づくことに、その人の意義があるのですが。
お礼
ありがとうございます。高校の先生のやる気ない授業でも真面目に聞くことの利点とは何でしょうか? 何を得られるゆえ真面目に受ける意義がおありだとお考えなのでしょうか?? あなたさまは今現在でも心に残ったレクチャーがおありなのでしょうか?
お礼
ありがとうございました