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日本の南北朝時代の京都について。
最近、大河ドラマ「太平記」を見て思ったのですが、 南北朝時代の偉い人たちは何故京都の奪い合いに躍起になっていたのでしょうか。 京都は交通便利ですが、攻めやすく守りにくい場所でもありますし、 偉い人たちが固執していた理由がよく分かりません。 京都じゃないと政治ができないなんて理屈もある筈がないですし。 それとも単に京都の歴史的正統性に捕らわれていただけなのでしょうか。
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天皇は京都にいるべきだ と、みんなが思っていたから。 そして、天皇の取り合いをしていた。 南朝のあれは行宮であり、旅先の仮の宮であります。 上記の意味で、京都の歴史的正統性でしょうね。 東京も、まだ正式には遷都していませんので。
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- asaoka0623
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回答No.2
「もともと京都は政治の主導者がいる所。」 という固定概念が離れなかったのではないでしょうか。
質問者
補足
回答ありがとうございます。 その固定観念を打破できなかったのが南北朝の特徴なのかも分かりませんね。
補足
回答ありがとうございます。 やはり京都のもつ権威に盲従していたのですね。