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三国志:袁紹
袁紹一族はなぜ曹操に滅ぼされたんでしょう? 敗因が知りたいです。
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袁紹は猜疑心の塊のような人物でした。 名家の出ゆえ押し出しはよく、多くの人材が自分を重用してくれるものと 期待して集まってきましたが、彼らはじきにその判断が誤りであったことに気づきます。 袁紹は周囲の進言を容れること少なく、また意見を聞いたとしても 自分勝手な判断でそれを覆すこと再三でした。これでは彼のために 命を投げ出そうというものなどいません。官渡の戦いにおいても 袁紹軍の士気は最低の水準にありました。 一方曹操はその好対照をなしていました。参謀を能力いっぱいまで使いこなし、 軍の隅々にまで曹操の意思が浸透していました。 袁紹軍は人数こそ多いが烏合の衆、少数精鋭を誇る曹操軍には 敵するべくもなかったのです。
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- taroimo_hasami
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曹操が黄巾族の残党である青州兵を手に入れたことが大きいと思います。彼らは信仰の自由を保障される代わりに曹軍に入り、曹操の死後は銅鑼を鳴らしながら故郷に散っていったと言われていますが、とにかく屈強な兵隊だったそうです。宗教集団に特有の、死をもいとわないその戦いぶりは恐ろしいものだったそうです。 袁紹が優柔不断であったこと、部下の扱いが下手であったこと、その他の事については他の方が言われている通りです。
袁紹は官渡の戦いで負けてますね。 本来は袁紹の勝ち戦だったのですが、許攸の寝返りで 兵糧庫が焼かれてしまったのが敗因かと思われます。 許攸の言うことを曹操が簡単に信じたのは、旧知の仲 だったからかもしれません。 また許攸は日頃から袁紹に不満を抱いていたようで、 これが原因で寝返ったのであれば許攸への対応が 敗因だったのかもしれませんね。
- nagayan-aichi
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曹操が、袁紹軍と対戦していた頃って、 関羽も曹操軍に加わっていましたよね。 関羽の戦場での活躍も勝因の一つではないでしょうか?