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現代の以下のものは、昔においてどんな道具だったのでしょう?
現代の以下のものは、昔においてどんな道具だったのでしょう? また、現代との違いはどんな所でしょうか。 (日本国内で、電気を使用しない時代ならどんなものでも良いです) ・歯ブラシ ・冷房、暖房器具 ・道路 ・時計 ・メディア 大まかな質問なので、大まかに答えて頂いてかまいません。 また、上記のもの以外でも、面白いものがあれば是非教えていただければ嬉しく思います。 よろしく御願いします。
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- ultraCS
- ベストアンサー率44% (3956/8947)
歯ブラシは、このページにある「房楊枝(ふさようじ)」と呼ばれる物です。日本以外についても載っていますね(色遣いがOperaでは見づらいけど)。 http://www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/hakubutukan/hamigakisyu/hamisyu1.htm 時計は古くは、水時計(「漏刻(ろうこく)」ともいいます)か、香時計(常香盤)という、線香の燃える時間で計る器具を使っていました(線香の燃える時間は、遊郭や娼館で時間の目安として使われていました)。そのうち、櫓時計(機械時計)が作られるようになり、裕福な武家や市民が持つようになります。 http://www.geocities.jp/whiteprince1jp/watokei.html
- 川原 文月(@bungetsu)
- ベストアンサー率51% (834/1628)
こんにちは。 NO6.のbungetsuです。 >>道の整備?はどうやってしていたのか不思議です。 雑草が生えたり石が転がってたりしませんよね‥? よくTVなどの時代劇では、例えば、江戸の街の道路は舗装されたように平らになっていますよね。 とんでもない「大ウソ」!! まず、商家の建ち並ぶ、いわゆる、繁華街では、丁稚の朝一番の仕事が、店の前の道路掃除でした。 晴天が続けば、打ち水をして土埃が立たないようにし、雑草が生えていたら「むしりとる」。 しかし、路の中央は荷車の轍(わだち)の跡や馬のひづめの跡などで「デコボコ」。 関東ローム層のため、浸透性もありますが、逆に、保水性もあり水溜りも当然ありました。石ころもゴロゴロでした。 なお、荷車については、もしも戦が起きたら江戸の街は軍用道路でもありましたので、行軍の邪魔になってはいけない、と言うことで、荷車の使用には勘定奉行の「許可」が必要でした。庶民の誰もが使用できたわけではありません。(意外・・・) かえって長屋の通りのほうが綺麗でした。 荷車の跡もありませんし、馬のひづめの跡もなく、そして、「ドブ板長屋」と言う言葉を聞いたことがあると思いますが、向き合った長屋のそれぞれの家の前には「溝」があり、道路の中央部はやや高くなっていましたので、道路の水は溝に流れる仕組みとなっていました。 また、農家などが密集している、いわゆる「村」では、半年に一回位の割で、 「明日の朝は、皆で草刈でもやるべ~か」 と、雑草を刈り取っていました。 では、街道では・・・と言うと、これはかなりgoodでした。 毎年、参勤交代があったことはご存知と思いますが、当然、他藩の領地の道路を通過しなければなりませんでしたが、通過する藩は、使いを立てて、 「何日頃、通過いたします」 と、口頭での届出をすることとなっており、通過される藩では、領民を駆り出して、道路の整備や草刈、また、橋などの修復などもして、まあ、お互いに気を遣いあいました。 従って、東海道や中山道などの主要街道は、割合綺麗に整備されていたのです。
- k16399638
- ベストアンサー率33% (342/1035)
歯ブラシは、竹串の先をささくれにしたような道具を売っていました。日本人の歯ブラシ好きはかなりのもので、西南戦争に従軍取材した西洋人記者が、兵卒まで全員が歯ブラシを持っていたことに驚愕しています。 冷房は、みんなで決まった時間に打ち水をすると、夕方町全体がクールダウンするという住みかたをしていました。 暖房は火があればなんとでもなりますが、基本的には厚着です。薪や炭が高かったからです。 道路は、日本の場合、馬車が通らないので石畳にしなかったのです。なので、基本的には土の道でした。埋め立て地(蒟蒻島など)の地盤を固めるため、そこに遊廓をもうけて人を誘導し、踏み固めをするようなことはありました。 時計ですが、ほとんどの人には縁がありませんが、和時計という精密機械を作っています。当時の暦に合うように作ってあり、いまでも和時計をつくっているメーカーがいくつかあります。時間を読むのに一苦労ですが、よかったら検索してください。ちなみに、複雑です。 http://www.topart.co.jp/watokei/ メディアは、まず読売(よみうり)といわれた瓦版がありました。 また、日本は独自の美濃紙のサイズ規格があり(今でも、B5、とかいうときのB、これが美濃紙の規格です)、また本のとじかたが完成していた(和綴じ)。さらに、木版で本を大量生産していた本屋が多々あり(浮世絵もこの人たちが作る)、それでも高かったので貸本屋が大量にいました。風呂敷に本棚みたいな枠を背負って、お得意さんの所を巡回するのですが、いわゆる18禁ものも扱っているのが暗黙のお約束です。その手の本は黄表紙といわれ、棚の下に入れてあります。子供がいるときは、棚の下は触らせないわけです。今で言う、ネットでの配送レンタルみたいなものですね。 日本は寺子屋などで読み書きそろばんを教えており、識字率が異常に高い国でした。特に、武士はもちろんですが、商売やっている人はみな読めたはずです。 ちなみに、フランス革命のときのフランス軍では、読み書きができたら、すぐに軍曹です。いかに文字を読める人が少なかったかの証左でしょう。
- 川原 文月(@bungetsu)
- ベストアンサー率51% (834/1628)
こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 う~ん。NO4.の方、中々簡潔にまとめてありますね。 もう少々付け加えるとすれば、 歯ブラシ: 主に「柳」の小枝でした。杉とか松などは、しっかりと棒状ですので、やや「グニャ」となる「柳の小枝」の一旦を「ささら状」にして「塩」を付けてこすりました。後は、指に塩を付けてこする。竹は、破片が刺さったりするため、用いられませんでした。 冷暖房: 「家の造りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる」 は、兼好法師の「徒然草」の有名な一節。 冬の寒さは、厚着をしたり、コタツや火鉢、焚き火などでも暖はとれますが、夏の暑さだけは、逃れる方法がありませんでした。 そこで、日本の家屋の多くは夏に過ごしやすいように風通しの良いように造られていました。 そして、NO4.さんの答えを引用すれば、打ち水や扇子、団扇などなど、そして、音からも「涼」を得ようと「風鈴」や「虫の声」などが重宝しました。 また、夏は「蚊」や「ブヨ」などの発生がありましたので、暑さと共にこちらの対策も苦労がありました。 「蚊帳」(かや)が用いられるようになったのは江戸時代で、それ以前は「蚊遣り」(かやり)といって、香りの強い木片やおがくずなどをいぶして追い払いました。 道路: 現代のようにアスファルトではありませんでしたので、例えば、江戸を例にとると、晴れた日が続くと「土埃」(つちぼこり)が舞い上がるため、男も女も外出には「頭巾」が必須アイテムでした。 また、雨が続けば泥んこでしたので、「足駄」(あしだ)が発明されました。 時計: 平安時代に中国から「振り子時計」が伝わりましたが、日本では「歯車」を作る技術がなかったため、模造品は作られず、「水時計」が主に用いられました。陰陽師が管理しました。 戦国時代頃、再び、「振り子時計」が、今度はオランダなどから伝わり城中などで使われたり、江戸の日本橋石町(こくちょう)の「時の鐘」などに用いられ庶民へ時刻を知らせました。 ちなみに、石町の「時の鐘」は、およそ2Km四方まで聞こえた、という史料もあります。 農村などでは、お寺の鐘などで時刻を知りましたが、朝日が昇ったら「明け六つ」、夕日が沈んだら「暮れ六つ」で、当然、夏と冬では時間が異なりました。 お寺の鐘も聞こえないところでは、朝日が昇ったら起きる。お日様が真上にきたら昼、夕日が沈んだら寝る。雨の日は、もっぱら「腹時計」でした。 メディア: 古くは「木簡」(もっかん)など、木の薄い板で、良く考古学の発掘調査で見つかったりしますよね。 後は、おもしろいところでは、「一石一経石」(いっせきいっきょうせき)といって、10円玉くらいの河原の小石などに一文字ずつ「経文」を書いて信仰の対象としたりしていました。 また、江戸時代では、日本人のほとんどが文字の読み書きができました。 幕末にアメリカ人やイギリス人が日本に上陸した時、実に、日本人の85%が読み書きできる、と本国へ伝えています。当時のイギリスでは教育普及率20%、フランスにいたっては1.4%だったと言われています。 ですから、江戸を例にとっても、「瓦版」や「絵草子」が飛ぶように売れたのです。 また、江戸にしても地方にしても、新しい制度などは「札の辻」に高札が立てられましたが、ほとんどの人が読めました。
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3634/18947)
昔ってどれくらいの昔? 人類が登場した頃犬や猫と大した違いはなかったのではそんな物は無かった
お礼
質問に書いてあるもので、現代と同じ用途で使われていたものがあれば どんな時代でも構いません。 歯ブラシとして使われていたものであればどれだけ古くても構いませんが、 なるべく現代とは形が異なるものが見てみたいと思い、質問させていただきました。
- yyuki1
- ベストアンサー率50% (184/364)
歯ブラシ。 細い木の枝の末端部を少しほぐした物とか、竹の先端を細かく裂いた竹串(ブラシ)の様な物。 冷暖房。 洞窟(ほら穴など)、木陰、せせらぎのほとり、打ち水、団扇、扇子、日光浴、人肌(ぬくもり?)、酒、焚き火、火鉢、暖炉、囲炉裏、温泉(地熱)など。 道路。 歩行可能な原野全て、けもの道、生活道路として踏み固められた場所、あぜ道、戦国武将が力を入れて整備した軍用道路など。(熊野古道などから昔の道の原型が想像できると思います) 時計。 腹時計、太陽(日の出と日没など)、日時計、水時計など。 メディア。(メディアって何の事ですか?) 記憶媒体(メモリーなど?) 地面、石、岩、骨、葉っぱ、木の皮、竹の内側、紙などに書く。 報道や情報伝達の手段? 大声(雄叫び)、ホラ貝、のろし、太鼓、かがり火、笛、伝令、早馬、飛脚、立て看板、かわら版、口伝え、井戸端会議(噂話)など。 ご質問の的を射ている回答かどうか自信が有りません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 希望通りのご回答で感謝します! メディアというのは、情報伝達の媒体、新聞やテレビなどのことでした。 説明不足で大変申し訳ございませんでした; 冷房に関しては、自然のものが多くありますね。 とても素敵だと思いました。 メディアはやはりアナログで、面白いです。 熊野古道、調べてみたいと思います。 どうもありがとうございました!
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
#2です。 メディアのところに誤植がありました。 1945年 => 1645年 と読んで下さい。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
時計: 明治以前は日本は不定時法と言って、昼を6等分夜を、6等分する方法で時間を計っていました。そうすれば、どの季節でも太陽が南中するときが正確に昼になるので時計が無くても時間がわかるし、さらに、電灯がない時代にはその方が遥かに合理的だったからです。したがって季節によって昼と夜で時間の進み方が違います。そこで、江戸時代の人は節板式尺時計あるいは波板式尺時計と呼ばれる世界中に何処にも無い独特な時計を作りました。コンピューターチップのない時代に、日本人は季節による昼と夜の時間の変化を自動的に調整してしまう時計を作ったのです。以下のURLを参考にして下さい。 これはほんの一例ですが、日本は西洋から教わる以前から独創的なハイテクの国だったようですね。ハイテクと言えば、日本の縄文式土器は今から1万6千年程前からあり、世界で最も古い土器です。また、日本の土器は世界にはない一つの特徴があります。それはほとんどが集落のゴミ捨て場から見付かるということです。ところが外国の土器は大抵の場合、お宮跡などから見付かるそうです。と言うことは、外国では土器は始めのうちは祭事用に作ったらしいですが、日本では始めから日用品として用いられていたようです。日本のハイテクは江戸時代に始まったわけではなく、すでに古代からそうだったようですね。 冷房、暖房器具: 日本の夏の蒸し暑さは、冬の寒さよりも不快です。そこで、日本の家屋は密閉型にせず、風通しを良くして蒸し暑さを防ぎました。その結果、冬は密閉型よりもずっと寒くなってしまいます。そこで、暖房は部屋全体を暖めるのではなく、コタツと言う独特な物を作って、局所的にだけ暖める。また、厚い布団の中に湯たんぽを入れて暖をとる工夫が発達しました。しかし、綿自身が江戸時代になってやっと普及しはじめたので、綿布団のない地方もいっぱい在りました。東北地方では明治時代まで、等身大の箱の中に細かく切った藁くずをいれ、その中に潜って寝ていたという記録が残っています。 メディア: 現存する日本で最古の新聞は1615年の大坂夏の陣の報道です。確か早稲田大学が所蔵しているはずです。それより僅かに早い1609年にドイツが「Relation」、それより遅い1945年にスエーデンの「ポスト・オック・ インリッケス・ティドニンガー」が共に、「世界最古の新聞」とされています。と言うことは、日本の新聞も「世界最古級」と言って良いようです。 からくり人形のゼンマイ: ゼンマイは今では鋼で作りますが、江戸時代のゼンマイはクジラのひげで作りました。実物を見たことがありますが、弾力の良いプラスチックのような感じで、ゼンマイに最適でした。また、からくり人形の中の歯車の歯の数は原則として素数でした。その結果、歯車同士の歯の数の最小公倍数が大変大きくなり、からくり人形はなかなか同じ動作を繰り返さないように出来ていました。周期運動を繰り返すと、すぐにオモチャだと判ってしまうからです。日本のロボット産業は江戸時代からあったのですね。また、名古屋のトヨタ博物館で豊田佐吉の作った紡績機を見ましたが、歯車は木できていて、からくり人形の内部とそっくりでした。日本人はからくり人形で遊んでばかりいたわけではなかったようですね。
お礼
ご丁寧な解説付きの回答、ありがとうございました! 時計に関して調べてはいましたが、尺時計は初めて知りました。 日本ってやっぱり独特な国なんですね‥ 回答を読んでほんとにそう感じました。 世界ではあまり普及していないものが、日本では日常的だったなんて とても面白いです。 からくり人形にしても、日本は技術に関して貪欲だったのでしょうか。 それは現代でも同じことですね。 暖房に関して、一部分だけ暖をとるという発想もまた面白いですね。 日本人の考え方、というものがあるのだと実感します。 本当にありがとうございました!
- teapoton
- ベストアンサー率17% (8/46)
歯ブラシは、木の枝だったみたいですよ?よくわからないですが・・。
お礼
どんな木だったんでしょうね‥ ありがとうございました!
お礼
ご回答ありがとうございました! 冷房には困っていただろうと思い、どんなもので暑さをしのいでいたか 本当に気になっていました。 風鈴も確かにその一つですね!思い出せませんでした。 江戸の町並みは時代劇でもよく見たりしますが 道の整備?はどうやってしていたのか不思議です。 雑草が生えたり石が転がってたりしませんよね‥? 頭巾をかぶることは知りませんでした。 そして文字に関して、確かに日本では「読み書きができない」ということは なじみのないことですよね。 これも日本文化だと思い、面白く感じました。 どうもありがとうございました!