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臥薪嘗胆の東門

閲覧ありがとうございます。 私は今漢文の授業で 十八史略の「臥薪嘗胆」をやっています。 そこで今日疑問を持ったので質問しようと思いました。 はくひ(漢字変換できませんでした)が 「子胥が自分の謀が採用されなかったことを恥じて、王を恨んでいる」 という中傷を夫差に言うじゃないですか。 その後、夫差は剣を子胥に与え、自害を命じます。 そして子胥の遺す遺言の部分に入るのですが 書き下し文で言うと 「吾が目を抉りて、東門に懸けよ。」 という文があります。 ここでひっかかったのが「東門」なのですが 越が呉に攻めてきて呉を滅ぼす様子を見るのなら 西から攻めてくるのではないでしょうか。 ※見えづらいですが画像の矢印参照 どうして「東門に懸けよ」なのでしょうか。 文章力がなくわかりにくい質問になってしまって申し訳ありません。 できるだけ早く解決したいので、 ご存知の方がいらっしゃったら回答をお願いします。 ここまで読んでくださりありがとうございます。 失礼します。

みんなの回答

回答No.1

 はっきりしたことは分かりませんが……  「東門」は(蘇州城=現在の蘇州市)の東の門ですよね。  「姑蘇城外寒山寺」の詩で有名ですね。  蘇州市は太湖という琵琶湖の3倍ほどの大きな湖(添付してくださっている「画像」の呉」の字の西〔画面では上〕の方にある)の東側にあり、太湖と蘇州市の間にはそう高くないものの山地があったりするようです。(画像の「呉」の字のあたりを攻めるのではありません。)  当時の地形等から考えて、越から呉の都である「姑蘇城」を攻めるには、太湖を大きく迂回して東に回って東門を攻める方が一番有利であり、子胥もそれを考えての上での発言だったのではないでしょうか。 http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%C1%C9%BD%A3&lat=31.300008&lon=120.616683&lnm=%C1%C9%BD%A3&idx=100&type=scroll&sc=13&v=2&ei=euc-jp