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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文: 「法華経」に違和感を感じてしまいました。 )

「法華経」に違和感を感じてしまった理由

このQ&Aのポイント
  • 「法華経」は仏陀を神格化した創作ではないかと疑問に思われました。
  • 「法華経」は原始仏教の内容との矛盾があると感じられます。
  • "法華経"は、仏陀を神格化し大衆化させるために創作された可能性があると考えます。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

こちらのカテゴリーには専門家の方がたくさんいて、私よりも知識のある方からたくさんの回答がよせられると思いますが……。 (1)「法華経」は、弟子の創作だと思いますか。 仏教学を学んだ者の常識としては、『法華経』などの大乗経典は、釈尊の死後、弟子たちによって創作されたものとされています。つまり『法華経』それ自体を釈尊が実際に説いたということはないと思います。 ですが、全部が全部、弟子たちの創作かといえばそうではないと思います。 釈尊の教えを、弟子たちが極端にデフォルメしたものというふうに私は理解しています。 (2)最澄、道元、日蓮などは、「アーガマ」等の原始仏教の経典を読む機会が無かったのでしょうか。 機会がなかったというよりは、当時、政治や文化の面でお手本にしていた中国での“最新流行”の教義を学んだということでしょう。もちろん『阿含経』なども基礎知識として持っていたはずですが、それよりも広く人々を救ってくれる有り難い経典として『法華経』をとらえていたのだと思います。 中国ではすでに天台宗の教義ができており、釈尊が経典を説かれた順番を“五時教”(最初に『華厳経』、次に『阿含経』、『方等経典類』、『般若経』と説かれ、最後に『法華経』『涅槃経』が説かれたとする)に分けています。 実在する釈尊が実際にどういう順番で説いたか、歴史的に見るのではなく、思想の上で順番を決めて、結局、『法華経』が最後の最後に説かれた重要な経典だとしたわけです。 これがその当時の最新の教えだったわけですから、インドから歴史的にも地理的にも遠く離れた当時の日本人にとっては、中国の最新の教えが一番であるととらえていたのだと思います。 それが連綿と伝わって、今の日本の仏教が形成されたのではないかと思います。 明治以降、こういう歴史に反する仏教は本来の仏教ではないとする主張がなされ(大乗非仏説)、伝統的な仏教学と両立する形で、学問的には釈尊の時代に原点回帰する傾向にあります。

yuimakozi
質問者

お礼

忙しさにかまけて、お礼が遅れてしまいました。ご回答いただき、ありがとうございます。 専門家のかたの回答を待っているのですが、中々いただけません。 (2)については、当時の日本にアーガマ等の原始仏教の経典が伝わっていたのか調べてみるつもりです。

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その他の回答 (11)

  • YGB53265
  • ベストアンサー率24% (7/29)
回答No.2

(1)については間違いなくそうだと私は思っています。 確かブッタの没後、十大弟子(十人の優れた弟子)達が教団を引き継いでいき 数十年から百年単位後に経典が書かれてきたと聞いています。それまでは口伝でしょう。 ブッタ本人が書いていない、直弟子も残り少ない状況で書かれたものだから アーガマなども「創作」と見ても良いと思います。 法華経などいわずもがな、でしょう (2)については無かったのではないでしょうか? 玄奘三蔵などに代表される人たちが多くの経典を中国に持ち帰ってきたでしょうが 教団の肝となる経典を渡したとは考えずらいでしょう。 原始仏教の経典があった可能性は捨てきれませんのではっきりとはいえませんが 中国で翻訳される時に中国風になってしまったのでは無いのでしょうか?

yuimakozi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。わたしが提示した「創作」という意味は、第一回仏典結集以来弟子達の口伝をそのまま文章化したものではないものという意味です。特定の弟子が仏陀の説いた法を独自に解釈したり実際には無かったような逸話をでっち上げたりして書いたものを「創作」と言っているのです。 そういう意味では、「アーガマ」や「スッタ・ニバータ」は創作ではないと考えています。

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