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守護霊って本当にいるのでしょうか?
霊って本当にいるのでしょうか?先祖供養って意味があるのでしょうか? ※オカルトで一括りに断ずるだけの、「思考停止」および「浅い回答」をする方はお断りします。
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お礼、ありがとうございます。 ddtddtddt様はお詳しいですね。 物理に限定せず、科学ということなら、人間や意識について大いにやってますよ。生物学などは一生懸命に人間を含む生物を理解しようとしてます。例えば分子生物学まで進んできてます。そもそも生命とは何か、ということについては古代から興味を示されてきたことですが、自然科学的に本格的には17世紀から脈々と研究されてますよ。 意識のいい例が人工知能の研究でしょう。AIも17世紀あたりからです。現在も、人間の作った機械に自意識が芽生えるか、などということも真剣に議論されてます。その前に自意識とは何か、も盛んに議論されてますね。 霊だってまともな人は「現状分からない」と答える人が多いですね。自然科学的な観測にかかってないですから。単純な人、あるいはビリーバーに対してカウンターを狙う人は「そんなもん、いるわけないじゃないか」と言ったりもしますけどね。
#5です。#8さんとそのお礼に関する事です。 >「人間」「意識」といったいわゆる「複雑な構造を持った物理現象」を科学がちゃんと扱う事って無いのでしょうか。 扱う努力はしています。ウィーナーの提唱したサイバネティクスという言葉が聞かれなくてって久しいですが、サイバネティクスの思想はそのまま残らなかったものの、かなりの影響を残しました。 その一つが、制御理論から精神疾患を理解できないか?、というもので、少し成功しました。この発想には、従来の要素積み上げ型方式では、「意識」のような動的システム全体の問題を扱いにくいという反省があります。システム理論の基礎には、シャノンの通信理論や物理学者ブリユアンの情報理論があり、それらを統一的にインテグレーションしようとしたのがウィーナーです。この方向は今では、ある意味常識になっています。 もう一つは要素積み上げ型の発展形で、ファジー,カオス,ニューラルネット,複雑系の科学です。こちらが現在の主流と思います。物理学者プリゴジンなどです。複雑系の科学は、シナプスみたいな単純で決定論的なものでも、たくさん集積すると、予測不可能な挙動を示す事を具体的に示したところに意味があると思います。 ただし両者とも、せいぜい複雑な自然現象(生物除く)をやっと扱える、といった状態ですが、これらのアプローチの限界を見定めようとしたのが、ペンローズと思えます。 >シリーズ本読めば分かりますが、あれももう物理ではないですし。 そうなんですよ、あれは物理ではなくて、数学の本なんです(心の影あたりを念頭においてます)。それが証拠にペンローズは冒頭で、意識とは、(1)非数学的(非物理的)なものか?、(2)計算的なものか?(現行アプローチで理解できるのか?)、(3)非計算的なものか?、という問いを立てて、(3)を選びます。 理由は、(1)だったらやってもしょうがない(彼としては)、(2)は現行アプローチの限界を検討しないので安直すぎる、からです。それで彼は、(3)の数学的根拠として、ゲーデルの不完全性定理を持ち出し、その物理的実現機構を、量子力学の波束収縮過程に求めます。量子力学の波束収縮過程は現在のところ、未知の物理機構であるにも関わらず、計算可能で結果はいつも観測に一致するという厄介なものです。 ペンローズは、現行手法の行き詰まりを何とかしようとして、顧みられていない、数学と物理の可能性の限界を試論した、という事になります。なのでこの本での彼は、ものすごい奇説を話すクレージーにも見えますが、プレートテクトニクス(大陸移動説)だって、たった50年前は奇説だったのに、今では定説です。 長くなりました。すいません。
お礼
循環系・神経系・体細胞についての協同現象、進化あるいは脳機能の成熟過程としての自己組織化、脳神経システムの運用としての制御理論と分岐現象、そして意志決定というカタストロフ、情動という流れ場に対する流体力学。 「人間システム」について研究が大成する頃には本当に無数の(全ての?)学問がミックスされている事でしょう。
- lumiere01
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霊はいるのか? います。 あなたも霊です。肉体を持った霊です。死ねば肉体がなくなるだけです。 守護霊は先祖霊です。 正確には、安心成仏した先祖霊です。 先祖霊の中には成仏していない霊もいます。 その霊を供養するのが先祖供養です。 先祖供養は縁のある子孫にしかできません。 なぜ先祖供養をする必要があるのか? 先祖をずっと遡れば、根源の存在に行き当たります。神様です。 根源の神様から自分まで一筋の線が延びています。これを霊線と呼びます。 安心成仏できていない先祖霊がいると、この線が詰まります。 霊線が詰まっている状態だと、その転写を受けて、生きることにハンデが増えることになります。 先祖供養をすれば、次第に成仏していきますので、この霊線がクリアになっていきます。 その転写を受け、ハンデが減ります。 悩み苦しみがなくなるわけではありません。 悩み苦しみに対して、最も有効な方法を自然に選べるようになります。 現実界で努力したことに対しての結果の表れが早くなります。 では、正しい先祖供養の方法とは何か? 参照URLの「伊勢白山道ブログ」に詳しく書いてあります。
お礼
すみません、そのブログは本を売ろうと結託した沢山の人たちで作ったサイトだという事で有名ですが・・・ 伊勢白山道の応援ブログの多くもそのブログの運営者たちが運営していますが、ご存知ありませんでしたか?
現在までで人格は物理学の対象ではないので、物理屋から専門的な回答を得ることはできないでしょうね。霊でも生身の人間でも無理です。ペンローズが少し量子論と脳の関係を考えてますが、シリーズ本読めば分かりますが、あれももう物理ではないですし。
お礼
「人間」「意識」といったいわゆる「複雑な構造を持った物理現象」を科学がちゃんと扱う事って無いのでしょうか。
- smzs
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昔ラジオで聴いた、お化けと宇宙人は科学の対処となるか、との話の解説の受け売りです。 守護霊とは少し違いますが、物理学のカテゴリーのご質問なので・・・ ・宇宙人:科学の対象となる。 なぜならば、宇宙人の存在は、現在の科学ですでに確認されている。問題は、その「宇宙人」がいるのは、この太陽系第三惑星(=地球)だけなのか、それ以外の星にもいるのか、という点だけである。 言い換えると、我々が地球という星に存在している以上、条件さえ整えば、この宇宙に生命体が発生するのは証明済みである。問題は、その条件が整っている星が、地球以外にあるかどうか、ということである。 ・お化け:(現在の)科学の対象とはならない。 なぜならば、現在の科学では、お化けの存在は確認されていない。現在の科学で存在が確認されていないものは、現在の科学の対象にはならない。 ということで、物理学のカテの中での議論であれば、霊はいない、なぜならば、(現在の)物理学・科学では確認されていないから、が回答になると思います。 ただし、物理学の枠を離れ、心理学・宗教学、あるいは道徳といったレベルで考えるのであれば、他の方の回答のとおり、相応の意味があると思います。
お礼
写真や映像などの形で確認されても「コラージュだ」「水滴だ」とパッと見の印象だけで断じられる事が全てですので、「確認」してもらえる事は無いでしょうね。 写真専門家も本当にいい加減な事を言いますから・・・ 加納典明という経歴の不明な妙な写真家が、心霊写真に映っていた明らかに手ブレではない真円の波紋状の揺らぎを「これは手ブレだよ!」と断定していたテレビ番組がかつてありました。 ああいう自称専門家を鑑定に使う限り、まともな進展はありえないでしょう。
- masudaya
- ベストアンサー率47% (250/524)
これらの話は本人に深く起因するものと思います. 現実にいるかどうかよりも,その本人が感じるかどうかがより重要になるからです. 科学的には,その本人が感じる物を他の方法で検知できるかにかかっていて現在の所出来ていません.(その意味で,検証不能です.) ただ,本人がそこに意味を感じるのであれば先祖供養も必要ですし,科学者だから先祖供養しない訳でもないと思います.同じように子供の頃に見た火の玉は何かを研究していた人もいるわけですし. なんか曖昧な回答ですみません.
お礼
ありがとうございます。 知性による認識が存在に繋がるという仮説もありますよね。とても興味深いです。
幽霊を3回,守護霊を一度だけ見た、と信じています。何を見たかを具体的に書いても、単なる体験談になるだけなので、それはやめます。 守護霊を見た話を家内にしたら、酔っ払いの妄想だと馬鹿にされましたが(状況はおわかりですね^^)、この人はUFOを信じてます。そして大酒呑みです(こっちの状況もおわかりですね^^)。
お礼
ありがとうございます。 人はそれぞれ自分が信じるものがありますので、それを攻撃しない事も大事ですよね。
- info22_
- ベストアンサー率67% (2650/3922)
精神世界、この世とあの世、現世と天国、肉体と魂 の問題は科学で立証したり、説明が付くものではありません。 守護霊を信じる人には見えたり存在が意識できたりでき出来るでしょう。先祖を敬い供養することで心の安寧がえられ満ち足りた毎日を送れるかと思います。不幸な死に方をした人の霊、恨みを持ったまま亡くなった人の霊、なぜ自分が死んだのか分からぬまま漂ってあの世にいけない霊が憑依する霊、天邪鬼霊、などなど沢山の霊がいると思います。 あの世(天国にいけない)にいけない霊、この世に未練がある霊、昔に沢山の人が亡くなった処刑場や戦場など、沢山の人が葬られている墓地、沢山のなくなった人々が納骨されている寺院、沢山の人が何百年と願いを込めてお祈りしてきた神社、仏閣、キリスト教などの宗教施設などにも沢山の巨大な魂のような精神的なエネルギーが存在すると思います。 でも、信じない人には、意味がないと思います。 人は、精神的に弱いものです。なので神頼みしたり、神様、仏様、私の守護霊様、守ってください。勇気をださせて下さい。成功させてください。合格させてください。などとお願いし、それによって勇気がでたり、頑張れたり、他人に優しくなれたりします。 この世とあの世が行き来できない以上、死に掛けて生死を彷徨い、生き返ってきた多くの人たちの話なども、まったく無視は出来ないでしょう。 また、正夢というのもあります。また精神世界と交信できる霊能力者も居たりします。中にはいんちき霊能力者も混ざっているかも知れませんが。。。 自分が知っている範囲(生まれてから一度でもお世話になったことのある今は亡き近親者については、大切に供養してあげたいと思うでしょう。ただし、それらの人に虐待されたり憎しみがある場合は別だと思います。しかしすべての祖先に対して恨みを持つ人は少ないでしょう。いつかは自分のその先祖の仲間入りして、子孫に供養して貰う立場になります。先祖を大切にしない人は、亡くなったとき先祖にあたたかく迎え入れてもらえるとは思えないでしょう。この世で悪さをしたり、自殺(自らを殺)したりする人は、不幸な死に方をしたり、亡くなったあと地獄に行くと去れています。 これらを信じられる人、信じられない人、人それぞれです。 私的には、守護霊(多くはおばあちゃんや爺ちゃんだったり、大切にして飼っていた犬だったり猫だったり)や神様や仏を信じられない人は不幸なと思います。そして先祖を大切に供養できない人も不幸だと思います。 精神的に何か欠けていたり、満たされなかったり、他人の善意が信じられない人から、犯罪者や自殺者や他人を大切にしない、そして自分を大切にしない人々や他人を消耗品のよう扱う弱者切捨てをする政治家や大企業経営者などが出る原因にもなっているのではないでしょうか? などと思います。 僕の家内も霊感が強く、亡くなった親や親戚の人が夢の中で、訴えてきたり、悪いことが起こりそうな時に枕元に一瞬現れて心配そうに覗き込んで座っていたりすることがあることを話してくれたりします。
お礼
ありがとうございます。 「信じるものは救われる」、この言葉は表面上の意味以上に深い意味が込められている、とこの年になってから分かるようになりました。 浅い考えの人は布教活動の洗脳台詞だと愚かな事を言いますが、「信じる」という事は神に限定せずとも「自分は多くの存在に支えられて生きているんだ」という、自分の目に見えない多くの助けの力に感謝する、世の中に感謝する、世界の摂理に感謝するという、それも単なる恩義に対する表面の感謝ではなくて「自分は何者であるか」という最も深い認識に通ずる感謝なのだと。その認識を得た人間が救われないはずはありません。本当に深い言葉です。
霊を「居る」と表現する時点で、何か人格的なものを感じさせますね。 ただの物理現象なのかもしれないのにそのように表現をする事に、違和感を感じざるを得ません。 霊があったとして、先祖供養しなくちゃならない理由があるのでしょうか? 先祖供養については、遺族や子孫の気持ちの問題でもあることなので、霊の有無とは切り離して考えるべきと思います。
お礼
人間の思考だって生命活動だって、結局は物理現象です。 しかし人間の存在を物理現象だと本気で考えている人は「心を病んでいる人だ」と考えるのが正常な人の認識です。 中途半端に古典科学をかじった思考ではなく、もっと本能で捉える事が実は最も本質に近いのだと思いませんか。人の姿をしたものに何となく人格を感じたり、長年使い込んだものにただのもの以上の感情を抱くのは違和感を感じたり異常な事ですか?人の思考が宇宙を定義づけるという仮説も最先端科学から飛び出したではありませんか。 人が事物に人格を与えて考えたがるのも本質ではないでしょうか。
- ohkinu1972
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一般的に言われるような霊はいないと思います。 ただどちらかといえば宗教的なものですので、 それを信じることで心の安定や、活力が得られるのであれば、 それは有益な結果を生むでしょうし、 霊的なものに守られていると考えることもできなくは内容に思います。 先祖供養も同じようなものだと思いますが、 それ以外には一族の結束を固める意味があると思います。 親戚などは法事でしか会わなかったりしますが、 そういった席で顔をあわせていれば、普段行き来が無くても、 いざというときに助け合おうという気になると思います。 そういう意味で供養を行う意義はあると思います。
お礼
ありがとうございます。 しかし霊の存在は宗教が誕生する以前から信じられていたという事がミソだと思います。 人が宗教と言うある意味文明的なものを作るよりももっと前から、死者の霊を畏れ大切に思う気持ちが全世界的にあり、文明の進んだ現代でもその考えがしっかり残っているというのは、とても重要な事実だと思います。
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お礼
情報学においてのAIの研究は、意識というより論理解決能力、識別能力の研究といった方がいいのではないでしょうか。 人工的な意識の研究については、工学分野の方が脳チップなどで直接的アプローチを取ってくれていますね。