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軍人とジャーナリズムと大衆の目
諸外国では現在の話なのですが、本邦に於いては過去の話ですのでこのカテゴリーで質問します。 戦前は、軍人も取材対象としてある程度門戸が開かれていたと思われますが、 どうにも今ひとつイメージが湧きません。 無理矢理現在に置き換えるとしたら、政治家や官僚がインタビューに応じているのと一緒、 みたいなイメージでいいのでしょうか。 それとも意外に、現在の芸能人みたいな目で見られていたのでしょうか。 諸外国で、将軍から政治家に、みたいなコースを辿るとき、微妙にミーハーな雰囲気を感じるもので。 漠然とした質問でもうしわけない・・。
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- ?橋 昌也(@fudousin)
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山本五十六が海軍次官だったときの定例会見は、記者に好評だったようです。 他のものなら話さないようなことも、ずいぶん正直に言ったらしい。また、言えないことは「それは言えない」と明確にしていたそうです。今の政治家にも見習って欲しいモノだ^^;
- k16399638
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蛇足です。 国会議事堂に映画カメラを導入して、報道させるようにしたのは東条英樹からのことです。この点でも、陸軍が報道の重要性を知っていることが見て取れるでしょう。
- k16399638
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陸軍にも海軍にも、まず本省に記者クラブがありました。海軍のは黒潮会(こくちょうかい)といいました。 海軍は1カ所を基地とすることがなかなかないので、地元でなじみの記者、というものが着きにくい反面、観艦式のような行事には意外とおおらかで、撮っていけないものの写真(あるアングルの空母、潜水艦、造船所)をとったりしなければ、取材は歓迎ムードです。進水式、特に新型艦の進水式などは招待状がだされ、服装とかも指定がなかなかやかましかった反面、大きな軍艦ほどお祭りだったようです。ただ、以下に書くように陸軍ほど地域に根ざしていないので(横須賀、佐世保のような基地はべつです)、どうしても報道合戦では、陸軍に後れをとっていた感じが強いです。 陸軍は、今は考えにくいですがちょうど警察署があるような感覚で、地方に多くの、その土地に根ざした「郷土連隊」がありました。東京なら赤坂と麻布です。それら連隊担当の記者が、地方紙などには必ずいました。また、連隊は天皇から軍旗を賜った日を創設記念日とし、軍旗祭(ぐんきさい)として、かなりオープンにお祭りをしました。兵隊さんも中隊対抗仮装行列などやって、地元の人もまねいて、大変なにぎわいだったようです。郷土連隊ですから、自分の肉親が入営している人も多く、お菓子・お寿司などの差し入れもあり、連隊のほうでも軍隊式料理の模擬店をだしたりしたそうです。兵器、戦車などの展示は、特に喜ばれました。 地方では連隊長になると、土地の名士です。官舎は50人はかるく入る座敷が必ずありました。陸軍はこのように身近にいたので、記者が「時局について」という題目で、なにかしゃべってもらうなどは、よくあった話です。 戦場では、従軍記者、カメラマン、従軍文士、従軍画家などがいます。これらの人々が写真、記事、文章、絵画などで、戦地の様子を伝えてきます。××戦線従軍記、などが新聞連載され、本になったりしたわけです。写真集もでます。絵画も展覧会などがひらかれ、人々にカラーで現地の様子を伝えました。 このように世間への影響力が陸海でちがったため、陸軍が政治的影響力をもったとも考えられます。また、海軍より大所帯なので、人や地域などで「派閥」ができ、権力闘争もおこったりしたわけです。 最後にエピソード的な話ですが、ナチスがポーランド侵攻をした直後に欧州をでた船に乗っていた海軍の大使館付き海軍武官が、神戸で記者に囲まれ、 「英国は外貨準備もしっかりしているし、簡単にはナチスも勝てないと思います」 と普通に語り、そのまま乗った東京行き夜行列車が、大阪で新聞積み込んだのをみたら、びっくり。昨日自分がしゃべったことが、とんでもない大事のように報道されてます。 「そんなとんでもないこと言ったかな?」 と思っていたら、その人と学校が同期の大きな新聞の記者がきて 「いまナチスの悪口いうのは、よほど度胸があるか命知らずだぞ。陸軍なんてナチス万歳だからな」 この人はのちに本省勤めになるのですが、 「陸軍があなたの記事で怒鳴り込んできて、騒いでいますよw」 「え、訳を話しに行きますよ」 「いや、次官が相手していますから放っておきましょう」 ヘンなことになったな、と思っていたら数日後に、この書類を大臣に届けてくれ、という命令が。 海外帰りの人がお使いとはなあ、とおもったら、秘書官が、大臣米内光政と、次官山本五十六に紹介し、じろっとみられて、開放されたそうです。 やっとご本人も、ああ、海軍では自分の発言がまっとうに受け取られていて、大臣と次官は、どんなやつがナチスの戦争が大変だ、なんてしゃべったのか見たかったんだな、と合点がいったそうです。 散漫になりましたが、ご参考になれば。
お礼
ご回答ありがとうございます。
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