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私は年を取っても心の中では10代でいたい…と思うのですが、

私は年を取っても心の中では10代でいたい…と思うのですが、 どうも実年齢がチラついてしまって溜め息が出ます。 年齢を意識しない、気にしないようにするにはどうしたら良いでしょうか?

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  • jinseiwalk
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回答No.2

私は20の誕生日にもう年は取らない、実際に歳はとりますが精神的にはつらつとしているという意味、を決めて老人という世代になりました。 来年は56ですが、写真を見てください、若いでしょう。まだ老眼になっておらず新聞も本も平気です。毎日2時間ウォーキングかサイクリングします。雨の日も台風の日もです。 夏の体重は冬よりも7キロ絞ります。これは30の時からしています。いまだ人生に希望と夢は持っています。ですので同年代の者は殆どからだが動かなくなってますので若者のサークルに入ったりしてます。 実生活がこうですので、全然年齢を意識したことがありません。若者と同じことをすれば年を気にせず生きることができますよ。

noname#112936
質問者

お礼

皆様、たくさんのコメントありがとうございます。 やはり「老いていく…」というネガティブな感情を捨てる、 世間の認識にとらわれないことが若さを保つ秘訣になりそうですね。 周囲の評判を気にしないというのはなかなか難しそうですが、 少しずつでも意識を変えていけたらと思います。

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回答No.5

実年齢とため息 と内容が漠然としていますが、 ご自身の年齢を思うとき何を関連付けるかが鍵じゃないでしょうか。 たとえば 40歳で本来なら結婚して子供もいるはずなのに、彼氏すらいない・・・とか 28歳なのにキャリアも何もない・・・とか あるいは 60歳で空手を習いたいけど体力が・・・とか 30歳になってしわが目立つのが嫌だ・・・など 上の二つはsocial clockといって、世間一般で何歳くらいにはこれくらいをしておくのが「普通」とされる目安です。 下の二つは生物学的に老いることに対する嫌悪。 social clockという年齢の制限は社会が与えるプレッシャーです。例外があったからといって罰せられるわけでもないのですから無視することに徹すること。自分は自分、人生で一番若い今日を楽しむべきです。 生物学的に老いることへの嫌悪は、ageism(エイジズム)といって偏見のひとつです。テレビでも街中でもかまいませんが、誰かを見て「この人年取ったねー」とジャッジしている自分はいないでしょうか? 有名な哲学者の言葉、「人間は生まれた瞬間から死に向かって歩いているだけだ」。 死が当たり前にやってくるように、老いも当たり前にやってきます。しわができた記憶力が体力が落ちたなど、自然の摂理として受け入れてよいのだということを知ることです。他人の老いをジャッジすると自分の老いもジャッジすることになりますから、意識を変えていきましょう。 もし、上記以外で 好きなあの子は20歳、自分は38歳。告白するのに年齢を考えたらため息が・・・  なんていう場合は、20歳では持ち得ない経験と智慧に自信を持つこと。年齢を理由に毛嫌いするような子なら一緒になっても心温まるお付き合いなんてできないのですから、いいテストの機会です。 年齢でため息ついてたら、それこそ年をとって耳が遠くなったりでもしたらどうしましょう。健康で生活できること、これに感謝を持ったら年齢は気にならないはずですよ。

  • kigurumi
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回答No.4

河合隼雄さんの本に童話の解説がいくつかあります。 もちろん専門は心理学なので、心に沿って解説されたものです。 その本の中で<昔話の深層―ユング心理学とグリム童話> http://www.amazon.co.jp/%E6%98%94%E8%A9%B1%E3%81%AE%E6%B7%B1%E5%B1%A4%E2%80%95%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A0%E7%AB%A5%E8%A9%B1-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B2%B3%E5%90%88-%E9%9A%BC%E9%9B%84/dp/4062560313/ref=pd_sim_b_1 だったと思います。 喪失したことで、今まで得られなかったものが手に入る ということを解説してました。 いくつか有名な昔話が書かれています。どの物語も英雄が竜を倒してお姫様と結婚してメデタシ という内容の類ではない。 「最後は何もなくなってしまう」みたいなものす。 でも 何も無くなっても 幸せに暮らしている終わり方になっているんです。 実は何も無くなったのではなく、手放したことで空きができて、新たなものをつかむことができた という解説でした。 執着をすることで、手から落ちることが我慢ならないわけです。 必死で喪失しないように、自然に逆らい無理をするが、自然の行為を妨げたところで、人間の力などたかがか知れているので、結局は手から滑り落ちるわけです。 喪失してもうなにもかも終わりだ と喪失前は思っていたのに、喪失後は 以外や以外。 今まで見えなかったものが見える、わからなかったことがわかる、幸福とは本当はこういうことだったのか とわかる。 そういった内容が童話に書いてある というのが河合さんの説明でした。 単に子供に読み聞かせるために童話が作られたのではなく、昔の人は自分の経験を童話を通して人に伝えたかったのでしょうね。 ということで、執着も難なく手から滑り落ちないようにできるのなら、所持していることに執着していればいいのですが、滑り落ちるようになったら、 let it be なるようにさせる。 今おいくつなのかわかりませんが、若い頃はわからなかったことが、今はわかるとか 喪失することで獲得した何かがあるんじゃないでしょうか。 喜ぶべきことじゃないかと。

  • daigomi
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回答No.3

心は変わらなくても、年とともに外見の変化が出てきます。 体力の衰え、体の不調の増加、無理がきかなくなってくるなど 老いを受け入れることも大事かと思います。

  • hyuuma8579
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回答No.1

実年齢が進行しても、他の自然現象と同じく肉体は物理や化学や生物の法則に従い、その形状を失っていくしかないですが、心は不変です。 何故なら、最初から心には形はないからです。 形がないということは、肉体のような面倒くさい時間空間の制約を受けないことを意味しますから、自由意志そのものです。 故に自由意志は、思いだけなら肉体の制限を受けません。 制約を受けるとしたら、自由行動の方です。 いつか必ず思い通りに体が動かなくなる時が来るからです。 だからこそ、生きてるうちに、動けるうちに心に悔いを残してはならないのです。 肉体のあるうちにやるべきことはやったので、もう一片の悔いもないのだといえる人生が望ましいのです。 やりたいことをやるのもそうですが、最低でもやるべきことはやったといえることが重要なのです。・・・・・・蛇足な話ですみません。 元へ、心は自由意志で若返ることはいくらでもできるのです。 心の世界は主観性で自由を謳歌し、実年齢の肉体は、客観性で受け入れれば、矛盾はしないし、相克もしないと思います。 むしろ、本当の実年齢10代よりは、今のあなたの方が真実に近い10代の姿を映し出すことでしょう。 本当の10代では、生きてる実感さえ薄い年齢だから脳天気にただ時間が過ぎ去っていくだけですが、あなたの場合は、残り少ない時間を考えれば、それだけ真剣な立場で10代になれるからです。 そういう意味で無知だった一度目の10代よりは、経験と知識を身につけた立場で味わう二度目の10代の方が真剣で濃厚で充実した思いを込められるのです。10代の価値は10代ではわからないのです。 10代の価値を知っているのは老齢な人でなければなりません。 経験と知識と感性・・・たくさん刻んだ年輪に感謝すべきは、こういう時ですね。 経験のないただの若さだけでは、若さの価値を知る術もありません。 若さの価値が本当にわかるのは、肉体が滅びに向かわんとする年老いてからなのです。 あなたの思いがそれを示しています。 若いときは、通過していくだけの若さ・・・ それが、今あなたは通過するのではなく、自ら求めておられる・・・ その姿こそ本当に若い姿を映し出している以外の何ものでもありません。 つまり、心と体が逆転しているのです。 10代の若者は無知無経験ゆえに体は若くとも、心は老人の如くに動きを制限され、あなたのように年老いた者は、豊富な経験と知識ゆえに 真実の自由を謳歌できる・・・ 本当に皮肉としかいいようがないですが、確かに10代ぐらいは本当の老人かもしれません。せっかく若い肉体を神様が下さったのにね。

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