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明治30年頃の永田町2丁目
こんばんは。 いつもお世話になっております。 明治30年頃の東京府麹町区永田町2丁目の様子を ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。 存在した建物、会社、学校、民家、人々の生活の様子など。 よろしくお願いいたします。
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手元に明治40年4月16日発行の地図があり、それによると、 まず、現在の赤坂見附を北西の角、三宅坂を東の辺、虎ノ門を南の辺として、長方形の土地をご想像ください。 その周りはほぼ一周(虎ノ門から三宅坂には繋がっていません)市電の路線が描かれています。 赤坂見附は当時広場で市電の乗り換え場になっていたようです。 (北側の辺から東方向へ) その角の内側には、日枝神社のこんもりした山その右側には赤坂門、その右隣に学習院学校が木造の塔を持つ校舎で描かれています。その右隣、やや南側に(清国公私邸)その右側に独逸大使館その右側に陸軍省で、その東前が三宅坂です。 (南側の辺、西方向から東方向へ) 西側面から、虎ノ門までの間、上の土地は堀に囲まれています。(現在の溜池?)その内側ですが、東京大学校と書かれ、角からほぼ虎ノ門のところまで校舎のような大きな建物三棟が描かれています。その建物の南側は小道を挟んで堀です。その建物が終わる所で堀は直角に南に曲がり、曲がりの内側に虎ノ門と書かれ、堀の角、すぐ南側には橋が架かっています。 東京大学校の東側には小さな広場があり、南側には砲台のような小さな石垣があります。 その広場、東側にはロシア大使館、その北側にはイタリア大使館があり、さらにその北側に(清国公使邸)があります。 南東の角には外務省があり、道を挟んで南には海軍省があります。ここの道には市電は走っていません。 外務省は上の敷地内ですが、海軍省は上の敷地外です。 外務省の東側は三宅坂の市電が走る道で、西側は道を挟んで、ロシアとイタリア大使館です。 外務省の北側に参議院本部、そのさらに北に陸軍省があります。それらの東側は三宅坂の道に面しています。 地図の字はたいへん細かく、ルーペでやっと読めるような字です。また、番地なども載っていないので、清国公使邸など、確信がありません。 不明な点がありましたら、コメントしてください。 参考になればいいのですが。
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- bass_gill
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付帯質問の「イ」ですが、ゼンリンの住宅地図にある表記法と同じですね。 日枝神社の南東すぐに五六番、さらに三三番ノ一がありますが、その間のゴチャゴチャしたところに「イ」の字が見えます。この部分の拡大図かと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ゼンリンの住宅地図でも同様の表記がされているのですね。 ところで付帯質問は「イ」の意味や拡大云々ではなく、「拡大された箇所が何なのか?」です。 「イ」については先にも書きましたように概ね予想はついております。 ということで、一度気になりだすと気になって仕方がないので個別に質問を立てることにします。 ありがとうございました。
- Mumin-mama
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ANo.1です。 残念ながら、貼っていただいたサイトから(おそらく私のPCのせいで)地図を見ることができませんでした。 しかし、日枝神社の右下にはロシア大使館イタリア大使館がありますので、イタリア大使館の略の「イ」ではないでしょうか。
補足
お返事が遅れてしまい、申し訳ありません。 IE専用のようなので、ブラウザの問題でしょうか。 「イ」の意味ですが、たぶん、イロハニ…現在ならABCD…やアイウエオ…とするような、 単純にナンバリングの意味で書かれているのではと思います。 ただ、その部分だけ小さすぎるため拡大されているので何かなと思ったわけです。 形状的には町屋のようにも見えるのですが、この一角だけなので違和感がありますし、 町屋にしても狭すぎるように感じるので倉庫か何かだとは思うのですが。 画像は以下のURLからご覧いただけますでしょうか?(717KB) 赤丸で囲った部分の拡大図が左上にあります。 http://fx.104ban.com/up/src/up11426.jpg
お礼
回答ありがとうございます。 質問を投稿してからも自分なりに調査を続けており、 以下の資料を見つけました。 URLが直接貼れないので、以下のページから 「東京市及接続郡部地籍地図」で検索してください。 http://kindai.ndl.go.jp/index.html これの「上巻 35/647」が永田町二丁目の地図になります。 大正1年の出版なので恐らく明治後期のデータが元になっていると思われますが、 その地図の一番下、ちょうど真ん中辺りに清国公使館を確認できます。 番地は「七ノ一」と書いてあります。 以下の記事にある番地と合致しますので、間違いないでしょう。 http://manju.livedoor.biz/archives/51022765.html ところでその地図を見ていて少し気になったのですが、 地図左上に記載されている部分は何でしょうか? よく見ると日枝神社の右下に「イ」と印があって拡大されているのがわかりますが、 他の敷地に比べて極端に狭いので民家ではなさそうです。 これは倉庫か何かでしょうか?