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憤激か称賛か
個人的な幼い頃の記憶です、以下のような、実の父と息子という、男性二人それぞれの光景で、当時、ただビックリして印象に残ったのですが、両親が好んで視聴していた懐メロ歌謡番組か何かでしたか、テレビから 「悪いときは、どーぞ、ぶってねぇえ~♪」 「あなた好みのォお~んなぁにィなりたぁいぃ~♪』 という、鼻にかかったお色気声が流れてきたとたん、私とは年齢が大きく離れた、当時お年頃だった兄が、食卓に着いて掻き込み中だったお茶漬けをブブッーと吹き出したのを憶えています。なぜなんでしょうか? (そのあと、鼻の下が伸びてました。) もう一方では、 「おんなひとりとるためにぃいくさしてもイイじゃない♪」 ここが流れたとたんに、 「ぬわにをぅ!!!」と、新聞から目を離して、父が激しく気色ばみました。(ちょっと怖かったくらいです。)なぜなのでせうか。 添付リンク先の歌詞を参考に御覧いただいたうえでの「哲学的考察」というものをみせていただけますか。 http://www.fukuchan.ac/music/j-sengo2/koinodorei.html http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36275
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NO.2 です。 笑って20点頂けるかと楽観していたのですが、良そうに反して突っ込まれました(笑;)。 >どこがどう哲学としての答えになっているのか? NO.1様の第一行の言葉ですね。 確かに哲学的な答えではないと私も思います。正確には回答者様ご当人のお答えを俟つしかないと思いますが、私見では、これは反語であって、「たかがこのような質問に”哲学的”もないだろうよ」という気分を篭めていわれたものであろうと思います。私も同じ気分ですが、これはある意味真面目ではない態度かもしれません。 >、「日本のごく普通のスノッブ的知性」とは、いかなる内訳のものなのですか このような同時代における通俗エンタメを心から楽しめるレベルの知性というような意味で申しました。失礼がありましょたら申し訳ありません。 >性別や年齢に関係ある、または、ないことなのでしょうか。 一般的にはある、といえるでしょうが、対象のエンタメ、曲などによっては幅が異なり、あるかもしれないし、ないかもしれません。少なくともリンダの歌はかなり共感の対象と幅がが狭く作られてあるとは思います。 >なぜ、こうした歌謡曲のつくりが、彼らをして、そのような感情的高ぶりを引き起こしたのでしょうか。 一般的には「共感」でしょうね。お父さんの場合は”怒り”ですから「反感」でしょうか(私は”嫌悪”ではないと思いますよ。)。そういったものを意図して織り込むことだって通俗曲には(話題を作るという意味で)あると思います。いずれにせよ”反応する”という意味では同じようなものです。 ご参考まで。
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NO.4 です。 近々にこのスレを閉じられるということなので、間に合わないかもですが、ようやく質問者様の主張のようなものが鈍い私にも分かりかけてきたような気がします。 多分、質問者様はこの二人の女性が唄った対照的な内容の歌謡曲に対するそれぞれの男性の反応(軽蔑と嫌悪?)を女性一般に向けられたものと解釈し、女性代表として非常に深刻に受け止められたということなのでしょうね。 それがどこまで実際に社会的に深刻な問題を含むものなのか、単に平均的な俗物的人格のありきたりの反応にすぎず、議論するまでもないのか、部外者である私の方が判断するべきことではないということだけは確かに認めます。 ご拝察の通り今の私には間違って入ったかという後悔だけがあります。お詫びと共に、今後はもう少し注意深く参入の是非を判断したいと思います。
お礼
もう閉めるつもりで覗いてみましたら、また御投稿いただいていました。 このたびは、数度にわたるお手数をおかけしたことでした、自分の質問の立て方のマズさを(あらためて読み返してみて、これでは、それこそスケベーな男がフザケ半分で立ててみたかのような印象を持たれかねないですね;)お詫びします。 元来がオチャラケ気味をたしなめられる性分でして。。 ここに至りまして、ある意味、No.5さまがおっしゃった「ソクラテスの」云々ではないですが、この私自身が、わりに最近まで、ジェンダー関係の問題意識等に薄いほうだったものですから、たしかに当初、狙いがかなりアヤフヤなままに質問してしまったということは認めざるを得ません。 そんな程度でしたので、もともとは、それほど深刻に受け止めているつもりはなかったのですが、もしも自覚以上のものが潜んでいたとすれば、それには、確かに、私にとっては危惧感を抱かせる切っ掛けとなった実際の出来事がございました。 それを、ある質疑応答から思い出させられたということでした。 ある意味で対照的な歌詞を持つ二つの歌謡曲と、それに対する対照的な反応を示した二人の男性。それを通して、 質問したかったことの本質とは何だったか、と今になって、もう少し絞ったことを申し上げられるならば、 世情の端的な現れである流行歌に潜む男女の人心、 その流行歌が象徴しているものの人心への関与、 はたしてエンターテインは本当に「エンターテイン」なのか、 よもや「エンターテイン」という名の「拘束具」に化けてはいないか、 こういったことだったのかなと思います。 私にとっては、本来、求めていた御回答をいただくことはできなかったのですが、いままでが、ジェンダー関連をめぐる事がらや男性の本音や本質というもの一般に対して、至ってノンビリと関心薄くて来ましたものですから、ある意味、また、個人的経験を裏付けるうえでも、お二かたの、多分に典型的であろう男性視点というものを再確認させていただいたこと、ならびに、回答者さまには今回、望外の労をとっていただき、お相手つとめていただいたことに謝意を表して、ポイント決定させていただきました。 私からは、どうぞ、お元気でと申し上げねばなりませんが、今回のふつつかな質問に凝りませず、良き御投稿をお続けくださいますよう。 ありがとうございました。
- cyototu
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#1です。 質問者様の逆鱗に触れてしまったようですので、お詫び申し上げます。しかし、逆鱗に触れることができたので、私の回答も生産的な意味があったという点では無駄ではなかったのかと、勝手ながら楽しんでいることも、正直な感想です。私の尊敬する先生の墓碑に「驚きは創造性の源である」と書いてありました。また、私がかつて指導した学生が、「人間は規則を破る時にのみ、考えるのですね」と言っておりました。その凝縮した言葉の表現に、感心させられたことを覚えております。質問者さんの初めの質問では、何処に論点を絞れば良いのかはっきりしなかったのですが、私の回答の反応から、質問者さんの哲学に関する認識が、少し見えて来ました。まあ、自惚れて烏滸がましいですが、私にもソクラテスの産婆の爪の垢の役割ぐらいは出来たのかな、と思いました。また、はじめの文では余り前面に出ていなかった、質問者さんが女性であることも判りました。そう判ってから、改めて質問文を読んで見ると、確かに、この質問は女性かららしいということが、出ていないでもないですね。 私が若い頃、著者名の本の題名も忘れましたが、ある哲学の入門書を読んでいたら、「哲学とは、それが何を論じているかが判るようになった時に、判る学問である」と書いて在り、強烈な印象を持ったことがあります。その点、他の学問は研究対象がもっとはっきりしている。だから、こんなわけの分からない哲学をやるより、もっとまじめな学問をやろうと考え、結局、物理屋として生業を立てて来ました。この学問で擦った揉んだと苦労をした結果、実は、物理学も、それは何を論じているかが判るようになった時に判る学問であることが、ようやく判りはじめました。きっと全ての学問が、そうなのでしょうね。 そんな私にとって、哲学とは、何も論理的に理詰めで物事を分析するばかりの学問ではなさそうだ、と思うようになったのです。実際、我々は芸術作品などを見せられて、この作品には哲学がある、なんて表現することもありますね。私は、日本人が生み出した世界的な超教養人、南方熊楠の大ファンなのですが、この熊楠神の、かの有名な南方曼荼羅などは、言葉を使わずに、彼の世界観なり哲学を表現していると思っております。要するに、私にとって哲学とは、その人の持っている世界観の表出のことであると言う、独断と偏見を持っております。 理詰めで認識するのも哲学、笑い飛ばすのも哲学、歌や詩に感銘して涙を流したり、あるいは噴飯したりするのも哲学だという、思い切った拡張解釈をしているわけです。そう言う意味で、私の笑い飛ばした回答も、私の世界観を表出して哲学だと、自分勝手に考えております。それに共鳴できる#2さんと、それに共鳴できない質問者さん、それぞれに違った世界観を感じておりす。 私も、#2さんの、 >懐メロ歌謡曲の人の反応というものに関しての哲学的分析というものは、やりはじめるときりがないという弊があります。 に同感です。正直な反応として、何か笑い話を解説してくれ、なんて言われているようで、そんなの解説したら笑い話にはならないよ、と言った感覚を貴方の質問から受けたのです。それを、そのままの感想として表現したのが、私の回答です。 また、質問のお礼の文を読んで、あっ、ジェンダー問題か、と理解できました。勿論、この問題から男と女の性差を論じて、遂には男とは、とか女とはなど、ヴォーボアールのような、大演題を論じることも出来ましょが、私には、この教えて欄で論じるには、場所が狭いような印象を受けました。多分、#2さんも同じようなご意見だと理解しています。 ジェンダー、男と女、雄と雌、、、興味の尽きない問題ですので、ヴォーボアールあり、源氏物語あり、都々逸あり、歌謡曲あり、、、であらゆる方法を使って、皆様、ジェンダー哲学を論じているようですね。 直接関係ない話であるとは分かっておりますが、日本語では書類に書く時に、男か女と書きますが、英語ではmaleかfemale、すなわち、雄か雌かと書きます。ジェンダーなるカタカナ語を使うにも、それを日本人が使うのと、英米人が使うのとでは、全く異なった意味に使われてしまうことがあるかもしれませんね。 貴方の質問の答えにはなっていないと、また怒られてしまうかもしれませんが、貴方の質問文を読んで、こんな頓珍漢な反応をする多様な世界に住んでいるのだと言う驚きを感じてくれたら、上で紹介した私の尊敬する先生の墓碑の具現化と認識して頂くことにして、請うお許し。
お礼
>請うお許し。 つい吹き出してしまいましたが、回答者さまにおかれましては、この単語を、比較的よく用いられていらっしゃいませんか。それは、ともかくと、許しを乞えるという資質は、たいへん大事なことだと思っております。 この点は、他のかたにしても、この質問者に対して何をやってきたか思い当たることが多々あろうはずですが、今ここで深く触れても仕方のないことですから、これ以上は言わないでおきます。ただ、「許し」という単語が出たところで思い起こしましたが、 これは回答者さまも御存じあられるはずの、さるおかた(ご年配に似合わぬその質問と反論意欲凄まじきことで知られているであろう、と示せば思い当たられますか。笑)のごとく、過つならわれあるのないの、と言うならば、それでは、過ちを認めてこそ、われありとなるわけですから、認めないかぎりは、「ある」ことになりません。したがって、発言のご本人のお望みどおり、そのような存在は、「ない」ものと処しております。 もちろん、回答者さまは、こうして許しを乞われたのですから、私も真っ直ぐに向き合って申し上げます。 許しております。 また、私の質問の拙さを思い知らせてくださって、そして、学識者であると否とを問わぬ男性の典型的視点というものを確認させてくださって、ありがとうございました。
補足
>逆鱗に触れてしまったようですので いえいえ、それは、こちらのほうがやってしまったのであろうかと思っておりました。 >私の回答も生産的な意味があったという点では無駄ではなかったのかと 生産的と申しますか、学識経験者と一般男性との何ら変わりなき男性視点と言うものを、非常に端的に確認させていただきました。 >何処に論点を絞れば良いのかはっきりしなかったのですが これは、多少、意図的でございました。質問本文の末尾を読めば、そこは感じとることができるであろうと思っておりました。 >自惚れて烏滸がましいですが、私にもソクラテスの産婆の爪の垢の役割ぐらいは出来たのかな、と これは、むしろ、質問者側からこそ試されることも多々ございますようで。 最初の御投稿のようなものに恐れ入って、さっさとスレを閉じてしまう質問者も多うございますからね。それでは、なんともなりません。 このへんにつきましては、あなたが御共感やまぬらしいところのNo.4さまへ私が返しました内容に、お目通しください。より御理解を進めていただけると思います。 >質問者さんが女性であることも判りました。そう判ってから、改めて質問文を読んで見ると、確かに、この質問は女性かららしいということが、出ていないでもないですね。 実は、このお申し出での部分が一番拾えるというか、おもしろく思いました。 私の色気などと、おっしゃられましたので、一瞬?状態でしたが、 なるほど、この質問者が男性であったら、全く違う解釈と異なる流れに進んで行ったであろうことも、じゅうぶん考えられます。 >理詰めで認識するのも哲学、笑い飛ばすのも哲学、歌や詩に感銘して涙を流したり、あるいは噴飯したりするのも哲学だという、思い切った拡張解釈をしているわけです。そう言う意味で、私の笑い飛ばした回答も、私の世界観を表出して哲学だと、自分勝手に考えております。それに共鳴できる#2さんと、それに共鳴できない質問者さん、それぞれに違った世界観を感じておりす。 結構なお考えかと思います。ただし、笑い飛ばすのが、シャットアウトであってはならないということは、お忘れなきよう願いたいと思います。そこに至れば、すでに、もう終わったということです。最初から終わっておったのでは、なんともなりません。 また、No.2さまについては、回答者さまとは、また違った面から、かねて存じ上げているかたですが、実は、今回の質問に、水面下で関係の深そうなおかたでもいらっしゃいます。ですので、その「御反応」は、かなりの程度、予想通りと言えなくもありません。 >私も、#2さんの、 >>懐メロ歌謡曲の人の反応というものに関しての哲学的分析というものは、やりはじめるときりがないという弊があります。 >に同感です。正直な反応として、何か笑い話を解説してくれ、なんて言われているようで、そんなの解説したら笑い話にはならないよ、と言った感覚を貴方の質問から受けたのです。それを、そのままの感想として表現したのが、私の回答です。 このあたりについても、No.4への質問者の返答を御覧ください。ここは心理学のカテゴリーとは違いますから、それが中心には据えません。 >私には、この教えて欄で論じるには、場所が狭いような印象を受けました。 ここは私には理解できませんでした。 場所が狭いなどということがありましょうか? まあ、強いて解釈するなら、適切に応じられる人材はいなさそうだということだけは分かりました。 >ジェンダーなるカタカナ語を使うにも、それを日本人が使うのと、英米人が使うのとでは、全く異なった意味に使われてしまうことがあるかもしれませんね。 回答者さまは、たしかアメリカ御在住のよし。 ならば、そのことを、ここでの御回答にて展開されてもよかったのですよ。回答として、じゅうぶんに、すばらしい題材だと思います。
NO.3 です。 ご丁寧な補足をいただき、またお返しせねばならないのかという気になりました。 懐メロ歌謡曲の人の反応というものに関しての哲学的分析というものは、やりはじめるときりがないという弊があります。それでNO.1の回答者様同様にそこそこにしてごくありきたりの一般論におしこめておこうと思ったのですが、「慇懃無礼」と当の問題提起者様に分析されれば、ちょっと反省もしています。私自身通俗的知性以上の持ち主ではありませんし、こういうことに関わる資格はないのかもです。 >鼻にかかったお色気声が流れてきたとたん、私とは年齢が大きく離れた、当時お年頃だった兄が、食卓に着いて掻き込み中だったお茶漬けをブブッーと吹き出した お年頃だった貴兄のご気分はそれこそ醒めておられたのでしょうね。 どうしてこんなばればれの嘘をしゃあしゃあと人前で大真面目に唄えるのか(地方都市の安酒場の雇われホステスでももう少し高級な嘘をつくでしょう)、そんな大衆芸能の軽薄さ無責任さを(自分の過去のその種の失敗があったのならそれとともに)笑い飛ばしたかったのではないでしょうか。そういったひねた楽しみ方も通俗芸能の愉しみ方としてはさほど特殊ではないでしょう。 >おんなひとりとるためにぃいくさしてもイイじゃない♪」 ここが流れたとたんに、 「ぬわにをぅ!!!」と、新聞から目を離して、父が激しく気色ばみました ご尊父は戦争のご経験があられたのでしょうか。若い女が自分を死ぬ目に合わせた戦争を肯定しているという錯覚に怒りを覚えたのかもしれません。あるいはこどものために粋がって(か、無意識のうちにも)反戦的姿勢を見せたかったのでしょうか。当然これを書いた作詞家は若い女が「いくさ」をいう違和感と面白さを計算に入れていたと思います。しかしそういったご尊父の反応は他の世代には(私を含めて)あまりなかったのではないでしょうか。私はこの歌を聴くときはいつも音を消してヴィジュアルとして愉しんでいましたので、あらためてこの詩の斬新さに気がつきました。これがそっくり楽しめる世代はそういうことが理解できる感覚のひとなのでしょう。 >女性の知性云々して、男性自らの通俗的知性の檻に押し込めようと図るとは このあたりはよく理解出来ません。この作詞は皆男性だったと思います。なおこの曲2つとも女性にも人気があるということの理由は以前ご説明した積りです。 ご参考まで。
お礼
>またお返しせねばならないのかという気になりました。 このたびは私にとりましても予想外の御負担を強いたようで申し訳ございません、自発的に、最初の御回答の労をとっていただくまでもなかったであろうものを、甚だ痛み入ります。 質問の提示の仕方のマズさは、われながら後悔することが多いのですが、とくに今回は、ここの場において、至って関心薄い事がらでもあったようで、もう諦めます。ですから、これに対するお返しはお気になさらなくて結構でございます。今後は、回答者さまとお話しすることは一切ないことと思います。 たぶん、かつて、某所においても似たようなことでしたように、回答者さまをはじめとした方々からは、私側の問題意識のほうが、常からあまりに遠いのでしょう。 >NO.1の回答者様同様にそこそこにしてごくありきたりの一般論におしこめておこうと思ったのですが、「慇懃無礼」と当の問題提起者様に分析されれば ですから、そこのところが、いかにも、おっしゃるような「通俗エンタメを心から楽しめるレベルの知性」であるから疑問は微塵も持ち得ないわけなのでしょうか。 ここは、ひょっとして、カラオケルームでしたでしょうか。 なお、「慇懃無礼」と言いましたのは、もっと直接的レベルでのお言葉遣いのことについて指しました。 これは余談ですが、そういえば「無礼者」なる単語が、近頃、頻りに目についていたような気がします。やはり、このようでは、どうしたって、良い印象にはなり得ないようです。(笑) 最後に、再び申し上げますと、自分の質問提示の拙さが、どれほどのものであるか、今回、専門家を名乗られるような錚々たる学識経験者のかたに回答いただいて、何よりも、そのことを、あるいは、ほぼ、そのことのみを、かもしれませんが、教えていただきました。 ところで、「弘法筆を択ばず」という言葉もございますが、質問が、どのように拙くとも、単に切って捨てるのは誰にも容易いかもしれないが、そこからどう高みへ引き上げていけるかということも、言わば、腕の見せ所と言えなくもないでしょう。 今回は、図らずも、識者であるはずの おふたかたの力量の程も、端的に見せていただきました。 ありがとうございました。ほどなく閉めきろうと思います。
補足
>懐メロ歌謡曲の人の反応というものに関しての哲学的分析というものは、やりはじめるときりがないという弊が 俗に「歌は世につれ世は歌につれ」と申します。 (聞くところによれば、日本では一般に、夫を「主人」と呼ぶなどのことも、潜在的問題が潜んでいることであるらしいのですが、これについては、ここでは掘り下げません。) すでに本意申し上げてきていることですが、この質問は、くだんの歌謡曲に見られるような、性差の関わる文化やジェンダーをめぐる問題などについてであって、単なる「懐メロ歌謡曲の人の反応というものに関して」尋ねているつもりはございません。それなら心理学やアンケートのほうが本来でしょう。 >若い女が自分を死ぬ目に合わせた戦争を肯定しているという錯覚に怒りを覚えたのかもしれません。あるいはこどものために粋がって(か、無意識のうちにも)反戦的姿勢を見せたかったのでしょうか。 お恥ずかしいことに、うちの父は、「子どものために」などという意識の希薄な男です。ですから、そういうことよりも、かつて、自分の身如何がどうというような危険に曝されることからは特権的に守られているエリートの立場にあった父の感覚としては、危険な同時代を共にし、自分の身代わりのように若くして散っていった周囲の同胞たちの惨事を思うと、「いくさ」というのは、このような歌のなかで軽々に用いる言葉にあるまじき、という苦々しさを感じていたようです。 それと、当該歌詞を注意して読みますと、男性が作詞したというにもかかわらず、男性側を「かしづかせるべき」対象として、むしろ蔑視しつつ利用する対象として描かれております。そこに、まことには男性自身の自嘲すら窺えるものですが、心理学的に言っても、反転すれば、男性の女性に対する視線でもあり得ます。 >当然これを書いた作詞家は若い女が「いくさ」をいう違和感と面白さを計算に入れていたと思います。 そういえば、過去、『セーラー服と機関銃』なる題名からしてギャップが目を引く作品が話題になったこともありました。こういう違和感ならば、単にオモシロいものとして受け入れられるかということも興味深いですが、私などは、「いくさ」という単語の出てくるあたりの当該歌詞を読みますと、これも、過去に流行語であった「タカビー」このうえなき傲慢さの、あざといまでの演出を感じます。 当該歌謡曲が巷に流れたのは1970年代前半ですか、こうした内容のことは、どのような者が言っても、そぐうと認められはしないでしょうが、実際、その20年ほどあとに、この「タカビー」という単語が流行したとき、多くの平凡な一般女性までが、「タカビー」であろうとしたようです。(実は私にも些か覚えはあり) ※ここで、字数制限のために、一旦切りまして、残りをNo.2の補足欄にて述べさせていただいております。 大変長い補足となりましたことをお詫び申し上げますが、これに対するお応えは御心配無用ですので、お目通しのみ願い上げます。
NO.1 の回答者様が正直に述べておられることが私もこの回答のすべてだと思いますが、もう少し私なりに補足させていただきます。 懐メロ歌謡 というものは、質問者様の優れた状況描写が如実に物語っているように、日本のごく普通のスノッブ的知性がそのような感情の高ぶりを引き起こすようなものづくりを意図しているものなのでしょう。 そして例にある歌はその大成功に属するものなのだと考えられますね。 お兄様も、お父様も、それなりにその優れたつくりの歌謡曲をこよなく楽しんでおられたのでしょう。 ご参考まで。
お礼
おことばですが、先のかたのおっしゃったことは確かに、単なる正直な心情をぶつけておられるにはおられるのでしょうけれども、哲学的なお答えとなっているとは思われません。 どこがどう哲学としての答えになっているのか、お願いできますならば回答者さまに、そのあたりを代わりに答えていただけますか? >日本のごく普通のスノッブ的知性がそのような感情の高ぶりを引き起こすようなものづくりを意図しているものなのでしょう。 では、「日本のごく普通のスノッブ的知性」とは、いかなる内訳のものなのですか。 それは、性別や年齢に関係ある、または、ないことなのでしょうか。 なぜ、こうした歌謡曲のつくりが、彼らをして、そのような感情的高ぶりを引き起こしたのでしょうか。ただし、すでに質問文で申しておりますことですけれど、 父はというと、「こよなく楽しんで」いたどころか、怒りをあらわにしていたわけです。そして、以後、この歌が流れだすと、サッサとチャンネルを変更しておりました。 それには、どうやら、戦時の記憶なども絡んだゆえの怒りのようにも見受けられました。 ついでに、私自身はというと、子どもの頃、友だちとカラオケのマネごとをしていて、くだんの歌謡曲を、得意になって歌っておりましたら、母にも兄にも苦笑顔で止められたことがありました。 ですが、実は、いまでも機会あれば歌ったり致すのです。 たかがエンターテイン、 このように、私個人はというと、この歌そのものを嫌悪しているわけでは決してないのですが、なかには、こうした歌の内容について、嫌悪感をもって反発される人もおられます。 また逆に、共感を惜しまない人もおられます。どちらも日本女性でした。
補足
(※本来、No.4の補足・お礼欄を使うべきところを、字数制限のため、こちらに移させていただきました。) >どうしてこんなばればれの嘘をしゃあしゃあと人前で大真面目に唄えるのか(地方都市の安酒場の雇われホステスでももう少し高級な嘘をつくでしょう) 地方都市の安酒場の雇われの、というのが、どの程度の嘘をつくものかは私は詳しくありませんが、「こんなばればれの嘘をしゃあしゃあと」それが、単にエンターテインに過ぎないからこそであって、巷では、並々ならぬ嫉妬深い奥方たちでさえ、安っぽい風俗業界の女性相手の亭主の浮気などに本気で目くじら立てるのは、さすがにバカげたことと考える女性は多いと聞きます。 このような種類の流行歌に対しても、おっしゃるような、ある意味、醒めているからこそ単純に楽しめる女性も多いわけで(私も一応は、そのなかに入るのかと思いますが)反面、明らかに文化的根深さを潜めた問題視の対象とする女性たちもいるわけです。 しかし、こうした同性内部での受けとめかたの違いというのも、女性と男性とになりますと、もっと根本的土台部分から性質を異にしているように思われます。 潜在的問題視の対象として気づいている女性、一応気づいていながらも、本音部分の共感と共に一種シニカルをもって楽しむ女性たちが多くいるであろうのに対し、おそらく、一部の男性は、内心で冷笑しつつ、全く気づかない女性たちという生きものを楽しんでいるかもしれませんし、その他の男性は、ほぼ全体が、ここでの回答者さまがたに代表されているように、一種エポケー的とでも言いましょうか、ごくアタリマエのこととして、些かの疑問を持つまでもなく、気づいていない。あるいは、気づいていたとしても、このカテゴリーにても大いに目撃されることですが、飽きもせず繰り返し続けている、見逃されてはならない見逃されがちなテツガク的問題を議論と称して、まあ、その凄まじい普段の喧しさからは想像もできない静かな無問題ぶりです。 そして、このことは、私自身も、そうであったように、多くの女性側がタカをくくっている以上に、実は始末が悪いことになっているのではないかと危ぶまれるのが、 「こんなばればれの嘘をしゃあしゃあと」というような歌に、意外なほど固執することが地の果てまでも延々とであろうかと思われるほどに、歌わせ続けることを、女性に要求しかねないのではということです。 男性にとって心地良いものを提供し続ける心地良さが、女性の側にもないとは決して申しませんが、ついには「拘束具」などと人権問題にも関わり深い単語を持ち出して楽しげに譬えられるまでに男性の要求は続き、せめて「拘束具のなかの自由」を確保することが真の上手とばかり、それに嬉々として従う姿勢を自ら示すことを、なにか女性一般の代表者(ここが大きに問題)であるかのように宣誓せんばかりの女性。また、それ、やはり女性の一般であることぞと、理性の外側で、ますますの「信仰」を積んでいっているのではあるまいかと思われる男性。 それでうまくまわっているうちならともかくですが、いざ、それを解除して「拘束具のなかの自由」から出ようとしたとき、「こんなばればれの嘘をしゃあしゃあ」な歌に固執する男性たちは、すみやかに、それを認めることができるんだろうか、単なるエンターテインがエンターテインでは、実は、すまなくなっているのではなかろうか?という危うさを感じております。 そういったあたりが、おっしゃったところの、以下の >>女性の知性云々して、男性自らの通俗的知性の檻に押し込めようと図るとは >このあたりはよく理解出来ません。この作詞は皆男性だったと思います。なおこの曲2つとも女性にも人気があるということの理由は以前ご説明した積りです。 というあたりにも感じられるように思いました。 いよいよ演技派女優への本格的脱皮を図ろうと望んでいた、かのM・モンローの悲願の挫折は、すでに「セックス・シンボル」として大成功をおさめたときに準備されてしまっていたということも思い起こされます。
- cyototu
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哲学的にお答えします。 今の貴方の歳になって、それが分らない方には、何を言っても、馬耳東風、馬の耳に念仏、猫に小判、豚に真珠、タイガーウッズに嫁さん、オバマに大統領、貴方に色気です。 それとも、言葉の遊びでもしたいのでしょうか。
お礼
大変辛辣なおことばではありますが、 「今の貴方の歳になって、それが分らない方には」というのが、はたして哲学的なお答えなのですか? 「言葉の遊び」がしたいわけではサラサラございませんが、あるいは、それがいけないことだとお考えですか?それでしたら、常の回答者さまらしからぬことと思われますが。違いますでしょうか。 女性と男性での受け止め方の違いとか、ジェンダー文化的視点からといった方面で、何か示していただけるかと思っていたのですが、回答者さまには、ご無理なようでしたら、また、何を言っても分からないと思われることを、わざわざ投稿されなくてもよいことだと思います。 私の色気、ですって? ここで関係ないでしょう、そんなものは(笑) ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 字数関係から補足欄を使用致しました。
補足
>笑って20点頂けるかと楽観していたのですが とは、楽観が過ぎるというものですね。ツッコミにお返しいただいたことには、お礼申し上げますが、なかなか聞き捨てならない慇懃無礼なことをも、おっしゃられたように思いますよ。 >「たかがこのような質問に”哲学的”もないだろうよ」という気分を篭めていわれたものであろうと思います。私も同じ気分ですが、これはある意味真面目ではない態度かもしれません。 もちろん、質問者は、「たかが」と思っているわけではありません。 まぁ質問文のほうも、そのつもりはなくても、多少、挑発的な印象ではあったのかもしれませんが、おそらく、質問文の表面的印象のみから短絡的に、まじめな態度をとる必要なしと判断されたものでしょうけれど、「言葉の遊びでもしたいのでしょうか」とおっしゃりながら、早々すでに自らそのようになさっておられたNo.1さまへのお礼の欄にて、この質問の本意は申し上げております。 このあたりについて、お答え不能でいらっしゃいますなら、無理にとは申しません。 ただ、さすがに、と言っていいのか、いかにもご年配の男性がたらしく、同時代の女性の側へと向けた視点が皆無であること、ジェンダーにまつわる考察などについても全くと言っていいほど、ご関心や御示唆いただけるほどのストックをお持ちでないらしいことだけは、やっぱりね、という気分も覚えつつ分かりました。 時代の背景や雰囲気実感についても、私個人は、当時まだホンの子どもでしたので、そのあたりの事情も加えていただけるかと思っておりました。 >(私は”嫌悪”ではないと思いますよ。) いや、嫌悪はあったと思うのです。それが明らかに表情に出ておりましたから。 >このような同時代における通俗エンタメを心から楽しめるレベルの知性 なんだかトートロジーっぽいような御説明なのだなと思いましたが、要は、通俗的レベルの知性に過ぎないのだから、そこに疑問は微塵も持ち得ないわけですか。 では、そのような人が、女性の知性云々して、男性自らの通俗的知性の檻に押し込めようと図るとは、なにゆえなのでしょうか。 また、その「同時代」を生きている、同じ男性どうし、それも親子であっても、同時代の歌謡曲という同じジャンルのものに、なぜ、反応の違いが大きいのかということ、それは、ここに並べて取り上げた、ある意味で対照的かと言える歌詞の内容そのものに微妙な問題が潜んでいるのだろうかということも私の疑問の一つなのですが、 ちょうど、個人的なことも思い出されまして、ある意味で、ここにも質問者の潜在的疑問が含まれていたことに気づきましたし、もしや、ご参考まで様ならこそ、お分かりになることかもしれませんので、これを機会に、お聞きしてみたいと思います。 >そういったものを意図して織り込むことだって通俗曲には(話題を作るという意味で)あると思います。いずれにせよ”反応する”という意味では同じようなものです。 全くのところ、「話題を作る」といった「意図を織り込」んだわけでないというにもかかわらず、「反応する」という現象が起きて、その反応の内容に、男性と女性とでは異なるものがあるのかどうか、回答者さまのご意見では、これは、あくまで男性の視点のみからなのでしょうが、「一般的に共感」だとおっしゃいますけれど、では、なぜ、片や反感を持ち、強制的に蓋をかぶせて抑え込むごとく隠蔽を要求したかと思うと、一方で露出をも要求するのか。 ある種の対照的な歌詞の内容を眺めながら、男性二人の対照的な「反応」を思い出しています。 眠気のため、ちょっと朦朧としたままになりました。