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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:私たちが持つ、賞賛されたいという欲求について)

私たちの欲求について

このQ&Aのポイント
  • 心理学者マズローによれば、私たちは賞賛されたい欲求を持っています
  • 人々が必要以上に自己アピールすることは健全な人間関係を阻害します
  • 私たちが持つ欲求について、質問文で述べられている具体例を挙げています

質問者が選んだベストアンサー

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noname#158024
noname#158024
回答No.6

なんかまともな回答がきそうにないので書きますが 1・ノーベル賞授賞式に参加する人はノーベル賞授与されるシーンをテレビで映されニュースで流れ、大々的にとりあげられます。  オリンピックに出場が決まった選手は国民の注目の的にされている選手はCMやニュース等で賞賛されます。 2・相手に対して嫌味で自慢する人がいます。つまり「俺は出来たんだぞお前は出来てないなあははは」などという相手が出来ていない事を貶すかのように自慢する人 大まかに分けるとこの2パターンあると思うのですがどちらですか? もし1であればNO4で書いた通りの見解だと思いますが2の場合は目的が貶す行為と自慢の両方あるので不愉快だというのは一般的な気持ちだと思います。 ご自分がどちらに当てはまるのかによって対処方は違ってきます。 ちなみに私は対処法をなんとなく分かっている感じですが教える気はありません。どうしてもというのであれば教えてあげても構いませんが基本「そんなこと自分で考えろ!」って感じです

foosun
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! そうです、その2番目の人が暑苦しいんですよ。 もちろん僕も対処法はなんとなくわかりますけどね。 それを実行できないのは僕もプライドが悪い意味で高いからなんでしょうけど。

その他の回答 (7)

回答No.8

 どうやら私はfoosunさんに、「私は頭がいいんだぞ!(ドヤ)」か「私は偉いんだぞ!(ドヤ)」のどちらか、あるいは両方に分類されてしまったかも知れません。  「面白い回答をお待ちしております」と云っているので、もう少し余裕のある方かと思っていましたが?  もしかすると“必要以上にアピール”してない人に対してもしばしば“反発心”が起きてしまうタイプではないでしょうか。  今回のやり取りでは「気に入らない回答なんか受け付けるような俺ではない!(ドヤ)」とアピールされたようで、貴方との健全な人間関係を阻害されたような気分になりました。  ☆ 貴方にとって面白くない回答を皮肉を込めて試みましたが、プライドが高いと云っているので、それが「ドヤ」という姿勢を受けて、ご自身が“否定”されたような気分になり“反発心”が起き、こうした質問を通して自身の正当性を、確認してみたくなったのだと思います。  

foosun
質問者

お礼

正当性の確認をしたがっているのはあなたも同じでしょう。 もう不毛なのでやめましょうか。

回答No.7

 質問の中で「ドヤ、ドヤ」と必要以上にアピールしてくる人に、どう対応しているかと聞いてますが、タイトルは「賞賛されたいという欲求について」となっているので、それについて考えてみたのです。  人間として生まれた「人」は高度な精神を持ち、他の動物のようにただ生きようという意志だけでなく、理性や感情を通してより良く生きようという意志が働きます。  この“より良く”という気持ちが“そうしているよ”と自慢に転化するように思います。  そして自慢と云う形で自己表現する心は、自分の価値を認めてもらいたいという気持ちの表れではないかと思ったのです。  子供は親に認められたい(お前はおれの子だと)し、社会人になれば社会に自分の存在(価値)を認められたいのです。  と、こんなことを考えてみました。    

foosun
質問者

お礼

回答ありがとうございます 人は社会に認められたいと思っている そんな事は当たり前でしょう 僕はその先の事を聞いているのですよ 当たり前の事をさも「君はわかってないみたいだから教えてあげるよ」みたいに言ってくるのは、何か意図があるのですか? 喧嘩腰ですみません でも、少し腹が立ったので言わせていただきました

回答No.5

私の“回答”が、「お前も同類だ」と言っている様であれば、表現を変える必要があるかも知れません。 マズローが言う「称賛されたい」という欲求は、「認められたいという欲求」と言い換えることで、その心の内側(心理)を、証せるのではないでしょうか。

foosun
質問者

お礼

返答ありがとうございます ですが、すみません 言いたい事ははっきり言ってもらえませんか? 何を言いたいのかよくわからないです…

noname#157945
noname#157945
回答No.4

笑ってしまいました。 相当な劣等感の持ち主ですね 劣等感を感じないのであれば 「私は結婚してるんだぞ!(ドヤ)」 「私は頭がいいんだぞ!(ドヤ)」 「私は金もちなんだぞ!(ドヤ)」 「私はモテるんだぞ!(ドヤ)」 「私は友達が多いんだぞ!(ドヤ)」 「私は人気者だぞ!(ドヤ)」 「私は偉いんだぞ!(ドヤ)」 そんな自慢されても痛くも痒くもないはずです。 『(自分も自慢したいのに)自慢してくるなんて生意気だ』と自ら公言してるようなものです。 言っておきますがこの世の中に自分を賞賛してはいけないという法律はありません。 もし本当に相手が自慢だけを目的として言っているのであれば不愉快な気持ちにはならないはずです。

回答No.3

優越感は、逆転した劣等感ですので、 そういう類の人は、 自身が烈しい劣等感を抱いていることを 自ら表明しているようなものですな。 【類は友を呼ぶ】 質問者さまの周辺に、 そういう人が多いのであれば、 日ごろ、質問者さまが自慢話などで、 逆転させた劣等感を多々顕現させているのでは ないでしょうか。これからは、 そうした人が寄って来ないような 【類】を醸成するようにしませんか。

回答No.2

 ☆ 軽蔑の眼(まなこ)で視つつ、自分にもこう云う処あるなぁ、と思っています。  「私はアピールしませんよ“ドヤ”」と、今回の質問で“アピール”してますが、こうした形で自身の“主張、思い”を表現できる場が、ここ哲学カテの広場。  foosunさんは、「賞賛されたい」、言い換えれば“自慢”したいけどしないタイプ、ですね。  大方の人はマズローが指摘する“人”になるので、foosunさんもその中の人。  ・・・・・と、考えていたら・・・  「人のふり見て我がふり直せ」なんて格言が、思い出されました。  そう思うと物事には批判すべき事柄と、自身を顧みる事が出来るような“事柄”とが有るように思いました。  

foosun
質問者

お礼

参考になる意見ありがとうございます! たしかに私も同じ穴のむじな…ですね(笑) ただ、やはり実際にドヤ顔をしてくる人がいると暑苦しいのは事実でしょう 回答が「お前も同類だ!」で終わってしまっているのは残念です

回答No.1

生きる目的が「意志の充足」である時、自己による評価 こそが本質的であり、他人による評価は社会的営為の 中で二次的に利用されるものに過ぎません。 ところが現代社会では、そうした自己存在の本質に根ざ した自覚に基づく自律的生ではなく、お金や出世といった “馬車馬の目の前のニンジン(社会的二次的価値)”に よって他律的に生かされるようになり、結果として自覚も 他人の評価に依存して行われるようになったのだ。 考えて見れば分かるが、尊敬されたいとしても、「オレは 偉い!」と威張っている人間を、誰が尊敬するだろうか? 相手の立場に立ってみれば、どうすれば尊敬されるか 別の道が見えるにも関わらず、自我の目覚めの不完全 な幼児には相手の立場にも立てず、相手に甘えてダイ レクトに「オレは偉い!」と主張し、子供に「バ~カ」と言 われても腹が立つのです。 内容を伴わずに「オレは偉い!」と威張るなら、その実質 的意味は「オレは短絡的な人間だ」であり、「オマエは バカだ!」と言われても腹を立てるのではなく、(あなた がバカでなければ)「オレは判断力が低い」と告白して いるのであって、その人間の評価を下げるだけでよい。