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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:読解力に自信のある人に質問⇒「世界の約束♪」の意味)

『世界の約束♪』の歌詞の意味を教えてください

このQ&Aのポイント
  • 『世界の約束』の歌詞の意味とは、二人が一生を誓い合う言葉であり、プロポーズ的な意味を持っています。
  • 歌詞の中の「二人の昨日から今日は生まれきらめく」という表現の意味は不明です。
  • 「思い出のうちにあなたはいない」という表現の意味は、思い出の中に恋人が存在しないということを表しています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hunaskin
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回答No.1

1)わたしとあなたが出会ったことは必然である。 2)二人でいられた過去があるから今の私はいきいきと生きることができる。 3)あなたのことはただの思い出では無い。私の中に生きている。 4)恋愛関係にあったが別れてしまった二人、をメタファーとしたあらゆる人間関係のような気がします。 5)これも4.と同様に特定していないと思います。

noname#179016
質問者

お礼

シンプルながらも 分かりやすい回答ありがとうございます! 自分一人で考えていたよりも 幅広い解釈と それに納得&スカッとしました

その他の回答 (2)

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.3

>読解力に自信のある人に質問 その言葉からして既に問題があるように思えます。この言葉は、この歌詞を書いた方に絶対的な表現力が在り、それを理解できないのはこちらのせいだという立場の表明になっておりますね。果たして谷川俊太郎の詩はそれだけの絶対的な正当性があるのでしょうか。もしその詩の意味が判らなかったら、谷川俊太郎の表現力の未熟さのせいではないのでしょうか。所詮、はやり歌は、その時代の雰囲気を何となく表現して、マスコミに乗ることを至上命令にしています。もし、貴方の感性がその詩にしっくり行かなかったら、分からないとはっきり言えば良いだけではないでしょうか。マスコミや流行に媚びることはありません。 私が若い頃読んだ印象に残るリルケの『若き詩人への手紙』にの中に、「恋愛に関する詩はできるだけ書かないように。どんな詩でも、恋愛について書く詩は陳腐になってしまうからだ。一生の間に、恋愛について詩を書けるの時は、ほんの僅かしかない」と言う趣旨のことが書いてあった記憶があります。私はこの部分に強烈な印象を受けました。何か、偉大な作曲家はピアノ協奏曲は幾らでも作るのに、バイオリン協奏曲は、ほとんどの作曲家が一生に一曲しか作らないことと、共通な理由があるのではないかと思いました。 我々凡人は、マスコミなどの世間受けする流行り物に、ついつい深遠な意味を探ろうとしてしまいますが、それは無駄なことだとリルケは言っているようです。また、男女としての動物のホルモンに翻弄されることを超えたところに人間の歌があるとリルケは言っているようです。彼は貴方が動物であること讃歌するか、それとも人間であることを讃歌するのかということを迫っているようです。 貴方は動物派ですか、それとも人間派ですか。

  • Ganymede
  • ベストアンサー率44% (377/839)
回答No.2

(a) 谷川俊太郎は現代日本の代表的な詩人の一人で、流行り歌の作詞家じゃありませんよー。とは言うものの、これは深遠な純粋詩でもなく、たとえばライトバース(light verse)のような作品かもしれない。平易な言葉の連なりであるが、惚れた腫れたに終始せず、さりげなく思想性も織り込まれていると考えられる。 (b) 話は飛ぶが「君が代」の「君」の意味は、天皇とも、愛しい大切な人とも言われる。国歌になる前(今のメロディーが付く前)から古い歴史があって、祝賀の歌だったが、一説には恋歌ともいう。いや、これは愛する人の死を悼む挽歌だった、だから葬式みたいなメロディーが付いちまったんだという異説まである。 話を『世界の約束』に戻そう。「あなた」とは恋人とも、超越的存在とも取れる。超越的存在とは平たく言うと神だが、神なんて言葉を持ち出すと宗教絡みみたいになって話がこじれるので、ひとまず超越的存在としておくのである。 (c) 谷川は西洋の文献などにも通じているはずだ。私はちょっと通俗解説書をかじっただけだけど。中世において哲学は「神学の婢(はしため)」とされたが、近代以降、理性は信仰から独立した。しかし、西洋現代の(影響を受けた)知識人は、孤独と虚無の中で枯れ果てて、底知れぬ不安に襲われることもあるようだ。彼らは頭が良いから考えすぎて、懐疑主義に陥ったりするらしい。私は頭が良くないから、次のようなまずい例文しか書けないけど。 「私は、世界が存在すると信じ込まされているだけではないだろうか」 「私の消滅と同時に世界も消滅するのではないか」 「いいえ、他者の死後も世界は存続しているようだ。もっとも、それさえも私が信じ込まされている幻かもしれない」 「これについて厳密な検証はあるか」 「私が認識しない物事について私は断定できない。私が消滅すれば私は認識しなくなるから、世界の存続の保証はない」 「存在とは何か。認識とは何か。『私が認識する』とはどういう作用か。『私が存在する』とはどういうことか」 「物自体を直に認識できるか。『観念にとらわれず、物自体と直接向き合う』などと考えることこそ、観念的な思い上がりではないか。『物自体』とは観念そのものではないだろうか」 ……。切りがない。 (d) 谷川もインテリだから煩悶しただろう((c)は一つの例である)。しかし、彼は詩才に恵まれているので、緑なす生を称えて歌う。恋の歌に託して、灰色の脳細胞どもを癒すのである。 徒に思い煩うな。世界は消滅しない。決して終わらない。大丈夫、この世の初めから約束されている。君は約束した覚えがなくても、超越的に保証されている。 君は一人じゃない。超越的存在ともつながっていた。そこから分かれて生を享けたのが昨日のこと。今はいっぱしの憂い面(づら)をして沈んでいるが、つながりを思い出せばきらめく。 死は消滅ではない。超越的存在へ吸収される。次はそよ風ともなって、再びこの世を訪れる。 人が死んだ後、生者の思い出のうちにのみ生き残るなら、それらの人々の死とともに、完全に死んでしまう。しかし、そうではない。君はそよかぜになり、せせらぎの音、空の色、花の香りにも転生して生き続ける。生前の君を知らない人たちとも、共生する。君は、私だ。 これを疑うな。世界の約束なのだ。 というぐらい飛躍して解釈しないと、わざわざ歌詞の意味を考える甲斐もあるまいと思います。

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