意味を考えずに歌を聴くと、確かに私にも「いかみ」と聞こえました。ところが、日本人がこの言葉を文脈の中で聞く場合、「青春のいかみ」では意味が通らないので、脳味噌が無意識のうちに「青春のいたみ」と修正してしまって、日本人の多くの方には「いたみ」と聞こえてしまうのでしょう。
こう言うことは、外国語を聞くと、どこの国でもあると思います。私の個人的な経験では、昔アメリカのオスーチンと言うの町を訪れた時に、アメリカ人の方から飛行機の中で、どこに行くのかと聞かれたので、オースチンと答えたら、どうしても通じませんでした。最終的には相手も分かってくれて、それはオーステンと、テンの部分を数字の10のように発音しなさいと教えてくださいました。そして、そのことが分かってから改めてアメリカ人の発音を聞いてみると確かに、テンと言っている。ところが、それを教わる前は、私には、どうしてもチンとしか聞こえなかったのです。
このように、人間の頭は、音を決して物理的な音の振動としてだけ聞いているわけではなく、脳味噌が、文字の形や、文化の環境の影響を受けてしまって、実際の音とは違って聞こえていることが、幾らでもあるようです。
似ている例では、昔のソ連の首相は、日本ではフルシチョフと呼ばれておりましたが、アメリカではクルシチョフと発音しております。ところが、面白いことに、このアメリカ人の発音を日本人が聞くと、フルシチョフと聞こえるのです。
我々は、ありのままの外界を見ているようで、実はそうではなく、環境や文化に影響された脳味噌が作り上げた、現実には存在しない架空の世界を見ていることがしばしば在りますが、これはその好例の一つです。この錯覚は、聴くことばかりではなく、物を見る時にも起こり得ますので、一見何かを見ているようで、実は、本当の物を見ていない可能性もあります。ですから、「私は現にこの目で見たのだ」という言葉も、額面通りには受け取れないこともあるようです。
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早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。