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勉強が好きな人や、頭の良い人は皆、精神的に弱いんですかね??
「頭も心も良い人」は所詮は存在しないのですかね? 頭が良いから心が駄目、 頭が馬鹿だから、心が良い、 のどちらかにしかなれないのですかね? オウム真理教の皆さんを見ても三島由紀夫を見ても解るでしょう。 頭が賢いから精神は破綻している、と。 親や教師が子供達に、 「賢い子になりなさい。」と「心を強く持ちましょう。」 と両方言うのは所詮は矛盾なんですから、もうやめにしませんか?? みっとものう御座います。 分身の術若しくは、両方の特性を持てそうな双頭龍か、キングギドラにでも生まれ変われない限りは、無理だと思いますね。 そう思いませんか??
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>>> 「賢い子になりなさい。」と「心を強く持ちましょう。」 と両方言うのは所詮は矛盾なんですから、もうやめにしませんか?? みっとものう御座います。 分身の術若しくは、両方の特性を持てそうな双頭龍か、キングギドラにでも生まれ変われない限りは、無理だと思いますね。 そう思いませんか?? <<< 「無理だから言わない」のではなく、「無理を承知で言う」ということがあります。 建て前と本音、理想と現実、知と情と意、理性と感情、賢き者と心強き者・・・ いずれも対立項のごとく見えますが、「一つの心」に宿るものです。 片方のみ、一つのみでは、心は成り立たない・・・ 人が生きるということは、可能性の先へと想いを馳せながら、歩むことでしょう。。。 そうして、その途中に、宗教とかニーチェとか平和とか坂口安吾とか生死とか墓碑とかいった「もの・碑」を通した先を見ようとするとき、自身の人生について、深く洞察するのかも知れません・・・ >>> 2008年6月9日の私の日記からの引用です。。。 私が幼かった頃に読んだ本。。。 「かみさまのおはなし」(藤田美津子)、日本の神話(三部作)。。。 http://www.akahashi.ac.jp/kamisamanoohanasi.html 「ぎんのほし」(福音社、1981年)、キリスト教系。。。 http://books.yahoo.co.jp/book_detail/05350483/minnadetail?myshopid=tukinoshiduku そうして、科学的思考、宗教・哲学を彷徨ってきた。。。 和辻哲郎、ニーチェ、中村 元、ユング、河合隼雄、ドーキンス、竹田青嗣、ゲーデル、宮崎 駿、デリダ、柄谷行人、ナンシー。。。 。。。 神様のお話を、我が子にしなければならないときがある。 そのときに、ふと、思い返される原初の二冊の本(正確には四冊の本)。。。 様々な思考体系を越えた、「思い・情」のありようを語ろうとするときに垣間見られる切断面。。。 言葉・記号・シンボル・概念・モニュメント。。。 その切断面に「おはなし」としての「神概念」(知的切断面)を挿入しつつ、「おはなし」を語る。。。 父として、今までの知的・情的な変遷を経て、語りえぬものをあえて語る。。。 あたかも、「ここが彼岸だよ」と教えんがために、泥船を作って大河を渡ろうとするかのごとく。。。 しかし、彼岸は悲願であり、たとえ泥船が沈もうとも、「思い」の大切さを見つめて欲しいという願いがある。彼岸という知的切断面にたどり着くことができなくても、一度でも大河を渡りきろうと思わなければ、大河の存在すら、脳裏に浮かぶことはないだろう。。。 否定するにしても、肯定するにしても、「思い」を横断する共通了解可能な(モニュメント・記号といった)概念形成が前提条件になっている。。。 その大河が「忘れ去られようとしている」のではなく、元々「無い」かのごとく扱われることに、現代社会の抱える重大な問題点が隠されていると思う。。。 <<<
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あまりこのカテには来ないのですが、たまたま読んでしまったので、二言だけ技術者としての意見を述べさせて下さい。また(1)は、非常に限定された場面での話だという事を、最初にお断りしておきます。 (1)会社にて 自分は20年ほど技術専門職としてサラリーマンをやって来ました。なので、そんじょそこらの会社員より非常に頭が良いはずですが、本人がそう思っていません。自分が「頭が良い」と思えるタイプは、以下のような人です。 仕事の算段がうまく、上司を上手に扱い部下には圧力をかけず、役所とのディペートにも強く、専門知識の説明をされれば技術的詳細はおいといて原理を一瞬で理解し、工程管理は名人芸・・・。 要するにバランス感覚の優れた人です。それが頭が良くて強い心(良いかどうかは?ですが~~)につながると思います。自分が会った中で一番頭が良いと思った奴は、 「俺は、専門がない事が専門だ!」 と豪語したくらいです。感想を言うと、こいつは「頭が良い」のではなくて「賢い」のだと思います。それが「良い頭と良い心」の意味だと思えます。 (2)一技術者として 全ての技術(論理思考)の背景には、溶岩のような情緒(心)があります。そして溶岩のような情緒から技術は生まれます。そのような動機づけがなければ、あんな七面倒臭い論理思考の体系化を行うはずがありません。対立する論理と心をまとめあげるのが、人間だと思います。 以上、技術者としての意見です。狭い範囲での両立は可能と思いますし、現実にそういう事は行われていると思えます。後は、狭い範囲をどこまで広げられるか?、という事になるんでしょうか?。
頭と心は、両立しません。脳の論理思考は、情緒を排除するからです。だから論理の頭と、情緒の心は、両立しません。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。だから世界の聖人は、脳を否定しています。中国の老子は、無知を、仏教のブツダは、脳の休める瞑想、座禅を、日本の伝統文化は、論理を否定して、情緒を表現しています。宗教は、脳の発達した大人の自我を否定し、脳の発達していない無我の、赤ちゃん、子供を理想とします。世界の文化、現代日本の文化は、論理思考文化です。しかし昔の日本の伝統文化は、情緒思考文化です。日本人は、伝統文化で情緒に目覚めましょう。
- s1rot
- ベストアンサー率12% (5/41)
ー^-賢さは予見さと制御さに強いと言うことれすー^-当たりなしで荒波を乗り越える自身の諸刃の剣れすねー^-よはさはー^-
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
古い時代の道化者の物語を読んだりしますと、 諸侯や教皇のたぐいにたいへん好まれるところからも 人の心を読んで人の顔色の間を縫うように処世を渡れる賢さがあるのは確かです。 また、庶民愚民が彼らを罵ったり、嘲ったり、乱暴したりするにもかかわらず、 めげるどころか、そういう輩を嗤い者にすることで仕返しをするという強さがあります。 なんといいますか、 頭がいいなんて程度は、どこまでいってもたかが知れていますが、それでもどこかまで突き詰めていけば、 忍耐や責任をともなう、おめおめと判断を誤ることのできない地位を得た人々が世の中にたくさんいるわけですから、 例に出すとしても、少なくとも、オウム真理教幹部や三島由紀夫を指して言うことはないのでは。。。 精神が、 自由であることが、せめてもの強さであろうから、 硬玉のように強い心でなくとも、 人は地に足をつけて高く凧を飛ばせよと思います。 くれぐれも足もとがぶれないように。 どれくらい精神が自由であるかは、その人その人の自分自身が一番よくわかるはずで、 それがわかるという段階の頭のよさ、それから、それが実行できるという段階の頭のよさ、というものがあります。 双葉より芳しく、三つ子の魂なんとやらで、賢い子はたいへんけっこうですが、 親の物差しや、また学校や塾の勉強で、ポイントが高いなどという不自由なことで頭が良いことにしてしまうのはよろしくありません。 不自由な頭のよさは、頭のよさではない、むしろ行儀や素質のよさであると思います。 精神の破綻にみまわれやすいということがある場合、それは遺伝の要素がたいへん大きいものですが、 不自由な頭のよさにしてお行儀良くこの遺伝を持つ場合と、不自由なうえに頭が鈍いところにこの遺伝を持つ場合とがあります。 しかし、自由な頭のよさにしてこの遺伝を持つ場合をわたしは注視したことがありません。 この例は神様みたいと呼ばれてよいと思います。 読解力に問題があるというような事柄も、不自由な精神と繋がった問題で、 不自由な頭のよさがしばしば陥る難点に、読解力の不足があります。 こういうものがあまり良すぎても、しあわせかどうかはまた別問題であるということが肝心です。 稀代の犯罪者か伝説の道化者になるというわけにもいかない場合は、とくにそうです。
- ENERGEIA
- ベストアンサー率10% (3/28)
>全く持ってその通りですね。 もちろん、その場合は 自分の身の程 を知って、自分より限界の高い人もいる ということを謙虚に受け入れて生きていかねばなりません... つまり賢くて 心も強い(良い) 人間もいるということを 知るべきですね。 ここで他人を揶揄しても 得るものは無いでしょう。 自分より能力の高い人を 気に入らない と思う気持ちは解りますが。
- ENERGEIA
- ベストアンサー率10% (3/28)
それから、歴史と経験と常識で以って 判断し、論じる人は 自然と 精神が衰退し 破滅していくのかもしれません...
- ENERGEIA
- ベストアンサー率10% (3/28)
とにかく、無理な人は無理 終わっている人は 終わっています。 もう遅い とは言いませんが、「今の在り方のままで居たい、変わりたくない」というのであれば、とりあえず今回は あきらめてください。 人には限界というものもありますので。 馬鹿で心がダメな人もいるでしょう、いえ、質問者さんのことはよく知りませんが... 真に賢ければ 精神が破綻することは無いでしょう。 邪推して判断を間違うと その虚偽 により 精神が破綻するのかもしれません。
- 来生 自然(@k_jinen)
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http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5483759.html あの妖怪「夢食い獏」は、仮にいるとすれば「夢食吐(ゆめじきと)獏」にでも進化すべきかと。なんて…………。(夢) に、投稿しようとしたら、直前で締め切られたので、こちらに出しておきます。 (無関係ではないと思いますので。。。) 日本ではプレゼントをくれるだけのサンタさんですが、海外(ドイツなど)では、悪い子には罰を与えるそうです。 http://jl1irb.wablog.com/505.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9 >>> ドイツの古い伝承では、サンタは双子で、一人は紅白の衣装を着て良い子にプレゼントを配り、もう一人は黒と茶色の衣装を着て悪い子にお仕置きをし、容姿・役割共に日本のなまはげに似ており、民俗学的にも年の瀬に来訪する年神としての役割の類似が指摘される。現在、ドイツでは聖ニコラウスは「クランプス」と呼ばれる二人の怪人を連れて街を練り歩き、良い子にはプレゼントをくれるが、悪い子にはクランプス共に命じてお仕置きをさせる。 (中略) イタリアにはやはり、良い子にはプレゼントやお菓子、悪い子には炭を配って歩く魔女ベファナの伝承がある(後略)。 <<< ブラックホールが取りざたされたあとで、ホワイトホールなるものが提唱されたり・・・対極が想定される場合、片方のみでは何だがバランスが悪いというのは、ことさら「中庸」とかいった概念を持ち出すまでもなく、だれしも思いつくことかもしれないですね。。。 国という単位でも、大きく傾いたあと、揺れ戻しがきたりしますが、大きく傾き過ぎることを吸収し、反対側への揺れ戻しのときに吸収したものを吐きだして、大きく揺り戻すことのないようにしてくれる(ショックアブソーバみたいに、ボトムアップ側の意見も取り入れて徐々に仕分けをしてくれるような)ものってないんでしょうかねぇ。。。 <--- ネーミングは強引に・・・たとえば「女所に皺毛」(徐々に仕分け) あと、極端な気象変動(温暖化、寒冷化といった大きな変動)も、おなじく弱めてくれるようなのがいいですよね。。。 <--- ネーミングは強引に・・・たとえば「黄醤油流夜花」(気象緩やか) いずれにしても、片方からのみでは、偏ってしまうことになるでしょう・・・
- trickworld
- ベストアンサー率27% (3/11)
親や周囲から色々求められると心が折れそうになる気持ちはなんとなく分かります。大抵の場合漠然と「いい学校」ぐらいしか言ってもらえませんしね。具体的にこうすれば、どうなるという答えも相手に無い場合がほとんどです。信頼って案外、相手の他人任せと背中合わせのような気もします。漠然とした期待が辛いですよね。漠然とした責任を押し付けてしまう責任感の無さというか、都合の良さというか・・・ 勉強好きにも色々あると思いますよ。 一方通行のただ言われた事を覚えるだけの人。なんとなく周りが「そうした方」がいい的な得体の知れない期待を押し付けられたり。親も世間体を気にするのであれば子供がもっと辛いでしょうし。 自分で実験したりして追及していく人。常識とは違うことを問いかけたりして周りから「変人」呼ばわりされたり。大昔なら処刑されたりした人もいましたしね。 まぁ色々ですが得体の知れない世間の目に押し潰されそうになりますよね。ある意味「貝になりたい」「殻に閉じこもる」のも有りだと思います。相手の期待を裏切って馬鹿になってしまうのも有りだと思います。今の社会を見ても世間で言う頭の良い人たちが先頭になっているのに現状ですからね。 どんな名前であっても、どんな説明書が付いていても、どんな身なりをしていても、どんな念仏を唱えていても「人」でしかないって事を心のどっかに持っておけばいいんじゃないかな? 周りの得体の知れない評価任せなんて苦しいだけです。有名なっても落ちても漠然とした期待や世間の目に押しつぶされそうになるし中間保つのも人間関係が難しかったり。 お互いただの「人」です。それなりでもいいじゃないですか?他人に同じことする無限ループを自分で止めてみるのも有りじゃないですか?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
オウム真理教や三島由紀夫を頭のよい人の例に出すのは不適当だと存じます。 頭がよかったかもしれませんが、きちんと判断ができなかったということでは本当によかったのかどうかはわかりません。 三島さんは文学、そして官僚のキャリアですね。優秀かも知れません。 どの人であれ、人間に対して固定的判断で評価する事は難しいが、頭がいいから、世間の理解できない行動に出たというのではないと存じます。 オウムについては、ヒンドゥの思想や行などについて、初めて接すると感激・感心して夢中になる人。 いろいろな経歴や心理状況から、感激・感心して夢中になる人がいます。 これも頭がよいからではないのです。 まじめで頭のいい人ではあったようです。そういう人が必ず踏み込んでいくものでもない。踏み込み方も違う。 やはり心理状況ではないでしょうか。人生の生き方の経過ではないでしょうか? 私もヒンドゥの思想とその精進をかれこれ50年ほど継続しております。 46年サラリーマン(一つの大学)、現役を退いて8年以上かな。 家庭、三子、両親を送り、名もなく、貧しく、まぁ美しいかどうか普通にやっています。 頭はよくないが、あの文学者や信者とかけ離れていない。 印象的受け取りから、関係ない事を関係あるかのように思うと、このようなご質問になり、いい結論が出にくいのではないでしょうか?
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お礼
全く持ってその通りですね。 皆様、御付き合い頂き、有難う御座います。