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書物の歴史
現在インターネットなどによる情報流通が一般化してきていますが、書物は長い間私たちの情報伝達手段として使われてきたと聞きました。 そこで質問のですがなぜ現代まで使われ続けてきたのか、その理由だと思うことを教えて下さい。
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- potachie
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書籍ではなく、書物でしょうか? 記録を残さない文化と、記録を残す文化があります。 前者は口伝による伝承が、後者は竹簡、パピルス、羊皮紙などへ文字や絵にて記録されました。いずれもその国の生い立ち、国史の記録がその目的です。 ここでのポイントは、距離を通しての伝達ではなく、時代を通しての伝達が主目的だということです。 もし、ご質問の内容が、書籍についてであれば、メディアは、これまでに3回のパラダイムシフトが行われたといわれています。 1つめは、先に書いた記録としてのメディア。中世ヨーロッパの暗黒時代と呼ばれる時代は、教会など、一部の階層に、書籍は独占され、普通の人たちは、文化や記録を知らされることはありませんでした。人々は、日曜ごとに教会に行き、ありがたい説法を聞いて物事を知ったんです。 2つめは、グーテンベルクによる活版印刷が発明され、本の値段が家の値段よりも安くなり、誰でも知識を得ることができるようになったことを指します。ただ、発信元は1つ、受信者が大勢といういわゆるマスメディアの時代です。 3つめは、郵便の発明により、1対1の通信が、日常的に行われた時代を指します。それまでは、わざわざ行かくか、旅人に託さないと渡せなかった手紙が、全国どこへでも一定の値段で送れるようになりました。これをパーソナルメディアと呼びます。 電信も電話もこの発展系、テレビも雑誌もマスメディアの発展系であり、基本部分での進歩はありません。 そして、アラン・ケイという偉人によって、パーソナルダイナミックメディアという概念が1960年代に生まれます。これを実現しようと、これまで進んできました。これが4つめのメディア変革です。 グーテンベルクの発明から、まだ、わずか500年ほどです。それまでの数千年の歴史の中では、情報伝達の主役は書物ではありません。 ところで、そういう世界の歴史の中で、日本はきわめて特殊な文化を持っていました。欧米で一般の人が書籍としてやっと聖書を高額で入手していた時代に、江戸の庶民は、吉原ガイドブック(今でいうナイタイ・・・)や浮世絵(今でいうトレカですね)、戯作本(今でいうラノベです)などの流行を追っていましたし、瓦版という新聞までありました。 日本人って、かなりこの辺にどん欲な民族なんですよね。