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アメリカは何故モンロー主義を辞め、覇権主義に走ってしまったのか?
アメリカは真珠湾攻撃までモンロー主義でした、そのアメリカが何故 真珠湾攻撃以降覇権主義に走ってしまったのでしょうか? 質問一 アメリカが覇権主義に走った理由は? Q.2 誰が覇権主義に走らせた?ユダヤ人? Q3 どうやって、国民までも覇権主義を容認させた?
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簡単に言うとこんな感じです モンロー主義=アメリカはオレの縄張り、ヨーロッパは干渉するな宣言 ↓ 縄張り制覇完了 ↓ フィリピン・グアムなどの太平洋制覇へ ↓ さらに中国制覇へ ↓ 満洲を狙う日本と衝突して、太平洋戦争へ
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- k16399638
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モンロー主義はみなさま言われているように、アメリカの縄張り宣言です。で、アメリカにおけるフロンティアの消滅が1890年で、いわば「国内を平定した」アメリカが、この時点から海外覇権を始めるわけです。米西戦争でフィリピン、グアム、キューバを得て、ハワイにも進出しました。モンロー主義(宣言)のもう一つの側面は、当時ロシア領だったアラスカを拠点に、ロシアが戦争しかけてくる可能性を牽制したものでもありました。 ユダヤ人、というのは(;^_^A アメリカ人ですよ。もっと正確にいえば、アングロ・サクソンで、白人で、新教徒です。 覇権主義は西部開拓時代からネイティブ・アメリカン相手にやっていました。一時的に南北戦争でストップしたのち、荒廃した南部で一儲けしようと言う形で覇権主義は南下もしましたが、大筋はカリフォルニアに金がでた、という話に乗った国民が、西に覇権主義を行ったのです。特に真珠湾は関係ありません。 スティネットという人が「真珠湾の真実」というユカイな本を書いていますが、無線傍受ができていて、暗号が解読できていたにしても、 作戦概要は本土からずっと空母「赤城」の金庫に保管されており、出撃命令も1941年11月20日に軍令部第一部長、福留繁少将から手交によって行われているので、無線の内容で攻撃目標が真珠湾である事や、作戦概要を知る事は不可能なんです。「ニイタカヤマノボレ」の暗号電は有名ですが、この電文の意味は「X日を12月8日午前0時と定める」だけです。一方、南方に向かっていた陸軍は別の暗号で(「ヒノデハヤマガタ」)12月8日午前0時作戦開始となるので、まあ、話としてはおもしろいですが、陰謀というのは苦しいかな、と。 真珠湾攻撃の時刻以前に帝国陸軍がコタバルに上陸して、戦闘をはじめていますし、クラーク飛行場空襲もフィリピンのバタン上陸も12月8日です。なので、あのタイミングで真珠湾やってもやらなくても、アメリカは対日戦争をはじめるでしょう。覇権主義なら、日本敗戦時にソ連が提示した「朝鮮半島を38度線で分割占領しよう」という案なんか、蹴るんじゃないでしょうか? これを飲んでしまったから、今日まで南北朝鮮は困ったことになっているわけですし。 あと、去年、アメリカ国立公文書館で戦艦榛名の昭和16年度航海日誌が発見・公開されたのですが、そこには無電を使用していないことが銘記してあるそうです。今後の研究をまちたいと思います。 陰謀論はおもしろいですけどね。
- gungnir7
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Q1 既に他の方が回答していますが、干渉するなです。 実際にその間、中南米や太平洋に一方的といって良い侵略戦争を続けています。 Q2 当然その通りです。正確にはユダヤ人ではなく、 ユダヤ富豪一族の最終目的は世界の富の独占です。 彼らにしてみればユダヤ人でさえ捨て駒です。 (ホロコーストの実態をみれば目を疑うことでしょう) Q3 真珠湾を奇襲攻撃させることによってです。 奇襲されて日本は卑怯だといっていますが、日本は戦線布告を出しており、 大統領は日本の攻撃を承知でわざとアメリカ軍に通達しませんでした。 この辺の資料は過去の米国の機密文書が公開されております。 アメリカは戦前から日本を戦争に走らせる工作をしていました。 日本は勿論、アメリカを評価しており日米開戦だけは避けるつもりでしたが、 アメリカは石油をはじめとした資源を日本に供給させず、 遂に困窮極まった日本が開戦に打って出たものです。 このようにジャイアン・アメリカは最初から日本とやる気満々だったのです。
- nacam
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モンロー主義の根幹は、覇権主義です。 つまり、「中南米は、アメリカの利権地域だから、他国は手を出すな」というのがアメリカの主張です。 モンロー主義は、アメリカとヨーロッパの相互の大陸に関してのアメリカの一方的宣言ですから、アメリカがアフリカやアジアに手を出すことを放棄するものではありませんでした。 ですから、アメリカは、ヨーロッパには手を出しませんでしたが、アフリカやアジアへの支配を伸ばすことに全く問題は無いとしています。 (アメリカが手を出さないのは、ヨーロッパに対してだけです)