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人間は何のためにこの世に生まれてくるのでしょうか?

人間は何のためにこの世に生まれてくるのでしょうか? つまり、人生の目的は何なのか?  人は自分の一生をどの様に生きるべきなのか?

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noname#95353
noname#95353
回答No.38

あなたの答えがここにあるかもしれません。 ●「ブッダの智慧で答えます」(Q&A) http://www.j-theravada.net/qa/index.html 特に59番 「なぜ生きるのか」 その他 ●幸福の道は友情で完成する 動画 http://www.j-theravada.net/index.html ●「37の菩薩の実践」 http://www.tibethouse.jp/culture/37.html ●「四つの聖なる真理」 http://www.tibethouse.jp/culture/37_02.html#12 この世は無常、この世は苦です。 どんなことにも必ず裏には苦しみが存在します。 コインの裏表のように・・・すべては「苦楽表裏」です。 ●よく「今が楽しければいい」「一度きりの人生 楽しまなければ損だ」という人がいます。 それは童話「アリとキリギリス」でいう、キリギリスタイプの人の考え方です。 そしてそれは、結局、後で苦しむのは自分だ、ということです。 理由はわかりますよね? ●43番「喜ぶ」と、徳を消費するか http://www.j-theravada.net/qa/gimon43.html 楽しんだり、楽をしたりすれば、持っている徳を減らすことになります。 それは、徳という貯金を使って楽しんでいる状態、使ったら当然なくなります。 無くなったら・・・ 楽しむんだったら、常に貯金し続けなければなりません。 無くなって困るのはあなたですから。 次に人間界以上への転生は無理で、人間界以下(地獄、動物、餓鬼)です。 高い世界へ転生するためには膨大の徳が必要ですから、 もし人間界に生まれても、貧乏で貧しく苦しい人生で願い事も叶いません。 容姿が良いのも徳の表れと言われています。だから徳がないと・・・ よって、知恵ある者は、徳をすり減らす生き方はしません。 徳はいわば、願い事を叶えるエネルギーです。 車にたとえるとガソリン(燃料、エネルギー)です。 どんな高級車でもガソリン(燃料、エネルギー)がなければ走らないのと同じです。 人生で成功している人(ビジネス、スポーツ、億万長者等)は徳がある証拠です。 過去世で徳を積んだのでしょうね。 その徳を何に使うか、人生の成功に使うか、来世高い世界へ転生するために使うか、 よく考えて使いたいですね。

toto77japa
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 大変、参考になりました。 特に、最初のサイト「ブッダの智慧で答えます」に、私の疑問について、明快な回答がありました。 曰く: 生命には「何のために」生まれたということはありません。 1.生まれてきた目的はない。 2.もしあったとしても、それを知らなくても問題はない。 「私はなぜ生まれたのか」という疑問よりも、「私はどのように生きればよいのか」ということを大事にすべきである。 よくわかりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (38)

  • mmky
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回答No.8

人間は何のためにこの世に生まれてくるのでしょうか? 人間の心は不死ですから、いろんな経験を通じて心を鍛えるために生まれてくるのですね。 これを転生輪廻などといいますが、そのたび毎に今回はこんなことしてみょうという自己目的は確かにあるのですね。 各自がそういうシステムの中にあることに気づくことは自己目的達成以上のものですが殆どの人はそこまでは至らないでしょう。自己目的にでも気がつけばそれは大変幸福なことですね。 自己目的はだいたい職業に反映されていますので職業を通じて目的は達成できるのでしょう。質問者さんのようにそれ以上を望む人も多いと思いますが、それ以上は信じることができなければ到達できない領域だということですね。 現代の日本は豊かで平和ですからそれ以上を望む人達が多くいますね。それがかなう時代でもあるのですね。でも、同時に不信の時代でもあるのですね。それ故、望みの達成は難しいともいえますね。

toto77japa
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 >心を鍛えるために生まれてくる ⇒この考え方は、よく耳にしますし、私も、その様な気になることがありますが、本当なのかどうか、信じ切れない気持ちになることもあります。 でも、心を鍛えることは良いことだから、少なくとも、それを生きる目的の一つに据えて生きて行きたいと思います。

回答No.7

人間の目的と言った事柄に関する質問に対する回答は、 そんなものは存在しない。と、木で鼻をくくった様な回答しかないのですが、 それでは余りにも、芸がありません。ちょっとひねくってみます。 1)人間は何のためにこの世に生まれてくるのでしょうか? 2)人は自分の一生をどの様に生きるべきなのか? この二つは、別々に考える必要があるのではないでしょうか。 1)に対する回答は、最初と同様、そんなものは存在しない、と言う事になります。 2)に対する回答は、個人の自由、好きに考えればよいでしょう。 補足的な説明をすると、 1)の場合、事実的には殆んど正しい事なのですが、殆んどの人が、なぜか認めたがらない。こうした現象まで拡大解釈してよいか不安ですが、柄谷氏の指摘している、超越論的仮象でしょうか。要するに、存在しないにもかかわらず、どうしても存在して欲しいもの、といった表現が判り易いでしょうか。 2)に関しては、個人の価値判断であって、そもそも多様であり、自分で探す、と言った回答で充分でしょう。ただし、1)の問題と混同して、規範性を求めると、少々ややこしくなる。人間は百年先や百年前の事を、あれこれいつまでも考え続けるようなことは、できないようになっています。簡単にいえば、現在、この場所での、自分の役割を、美しく演じ切る、と。あれ、美しく、って規範性が混じってしまった、2)関してはそれでOKか(笑。 1)は存在論で、2)は認識論と言う事になるのでしょうか、存在論と認識論は邂逅の予感を示してはいますが、両者の統一と混同は、厳密に区別するべきでしょう。 参考までに、ロールズ哲学史講義から、ヘーゲル関係の二つの文章を引用しておきます。 「自由な意志とは自分自身を自由な意志として意志する意志のことだ」 「権利ないし法の命令はこうである---『一個の人格であれ、そして他人の人々をもろもろの人格として尊敬せよ』」 ヘーゲルはしばしば、歴史上の大人物の偉大さを、人間の社会的生の制度構造を前進させ発展させることにたいしてなした貢献と言う点から特徴づけている。歴史的人物の行為は時間を越えて図らずも大きな社会変革を実現するのであり、このことを哲学は、出来事のあとになって顧みて、理性の狡知という言葉でもって理解する。偉大な人物は自分自身の狭い目的を追求するが、そのときは自分が精神の実現に奉仕しているのだということはわかっていない。ヘーゲルは、無感覚かつ無関心でいる私たちに有無を言わさず襲いかかるといった仕方で、諸個人が負わされる運命や苦悩についてしばしば語っている。彼らは歴史の行程のなかでたいていは材料として使い尽くされる。彼らは、諸制度なり文化なりの、いっとき限りでしかも誰とでも取替えのきく部材として、やって来ては立ち去っていくのである。それでも社会的な枠組みは、おのれの堅牢を保ちつづけるのであり、精神が実体から完全に自己自身を意識するにいたった主体へと移行するという目標において創り出した成果を、目には見えないおのれの潜勢的なあり方を完全に分節化しつくすにいたりつつ、明示するのである。p530 ご参考までに、鵜呑みにされませんように。

toto77japa
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 >1)人間は何のためにこの世に生まれてくるのでしょうか? 2)人は自分の一生をどの様に生きるべきなのか? この二つは、別々に考える必要があるのではないでしょうか。 1)に対する回答は、そんなものは存在しない、と言う事になります。 2)に対する回答は、個人の自由、好きに考えればよいでしょう。 とても、簡明で断定的なご指摘。心が軽くなります。 >1)は存在論で、2)は認識論と言う事になるのでしょうか、存在論と認識論は邂逅の予感を示してはいますが、両者の統一と混同は、厳密に区別するべきでしょう。 勉強になりました。 >2)に関しては、…1)の問題と混同して、規範性を求めると、少々ややこしくなる。 なるほど。 私は、人間の生き方に何がしかの「規範性」を求めていましたが、「規範性」を求める必要はないのかも知れませんねぇ。

回答No.6

「何のために」 「生きるべき」 。。。 難しい問題ですよね。 よく「何のために生きているのかを、探すために生きている」 とか言われたりもしますが、これは、既に「生まれてきた」ことを前提にし、(いつの間にか生じていた)何らかの目的を見失った情態(不安定な心の情態)に、はじめて気づいた時に発せられる問いに対し、「なるほど」と思わせうる答えの一つです。 しかしながら、ご質問のタイトルは、「何のために生まれてくる」であり、「生きるべき」かです。この背後には、生前・死後(すなわち死生観)を絡めての問いであるとお見受けします。 さらに、哲学カテでのご質問であるので、一般論として、すなわち、ご自身の問題ではあるものの、他者(とりわけ、これから生まれて来るであろう人々)に対する問題として取り扱います。 (ご質問の意図と食い違う場合には、その旨、ご指摘願います) (「ある・ない」に関わらず)生前・死後といった概念を含めての人生の目的を考える場合、何らかの宗教(的概念)を信じてしまう(信じてしまえる)のが、最も短絡的で、かつ、効果的な手段だと思います。既存の宗教概念が、全く自身の思いにそぐわない場合には、ご自身で納得のいく宗教概念(たとえば、「ボコノン教」※1など)を創造してしまうのも一つの手段になり得るでしょう。 また、死生観を絡めて「目的」というものが「そもそもある」のか?というのも一つの問いかけであり、「ある」を前提にしましたが、「ない」というのも一つの答えになり得ます。単純に「目的がない」としてしまえば、(短絡的には)自身や他者の命を軽んじたりすることに直結してしまうでしょうが、他との関連(関係)を排除することは不可能であり、その中で「生きている・生かされている」ことを深く考えるならば、「人生の目的の有無」にかかわらずに生き抜く(※2)ことが可能になるかもしれません。 さて、死生観を含めた目的の場合、様々な考え方があり、「人によって異なる」ことは、冒頭で述べた「一般論で」といったことに、ある意味矛盾しています。死生観を含めて無理矢理統一しようとするならば、宗教戦争は回避不可能に思えてしまいます。 しかしながら、冒頭述べた 「何のために生きているのかを、探すために生きている」 を、単純に一般論化という概念にて、そのまま援用すれば 「何のために生まれて来るのかを、探すために生まれて来る」 となります。すなわち、死生観すら選択肢の一つとなり、それぞれの人生において、それぞれの死生観を持つことを許容する考えになり得ます。(あってもなくても)それぞれにとっての生前であり、それぞれにとっての人生であり、(あってもなくても)それぞれにとっての死後であるわけです。 ※1:ボコノン教 「猫のゆりかご」CAT'S CRADLE カート・ヴォネガット・ジュニア Kurt Vonnegut,Jr 伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫 概要 http://bokonon.gozaru.jp/wboko.html http://www.geocities.jp/kurt_vonnegut_japan/bokonon.html ※2:たとえば、「スッタニパータ」の779 779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、勤め励んで行い、この世もかの世も望まない。 (「ブッダのことば」-スッタニパータ-、中村 元訳、岩波文庫)

toto77japa
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 >死生観を絡めて「目的」というものが「そもそもある」のか?というのも一つの問いかけであり、「ある」を前提にしましたが、「ない」というのも一つの答えになり得ます。 >他との関連(関係)を排除することは不可能であり、その中で「生きている・生かされている」ことを深く考えるならば、「人生の目的の有無」にかかわらずに生き抜くことが可能になるかもしれません。 >死生観を含めて無理矢理統一しようとするならば、宗教戦争は回避不可能に思えてしまいます。 >死生観すら選択肢の一つとなり、それぞれの人生において、それぞれの死生観を持つことを許容する考えになり得ます。(あってもなくても)それぞれにとっての生前であり、それぞれにとっての人生であり、(あってもなくても)それぞれにとっての死後であるわけです。 はっと気づかされるお言葉、心に染み入ります。 ご紹介戴いた本も読んでみようと思います。

noname#194289
noname#194289
回答No.5

私は生きているということは暗闇の中にいるようなものだと思っています。暗闇というのはどういうものか見てやろうと思って明かりをつけるとどこかに行ってしまいます。何か必ず見えますが、自分が生きているということだけは見えません。そして明かりを消すと暗闇が戻ってきます。つまり生きているということはどういうことかを考えることは、禁断の問いということではないでしょうか。アインシュタインだって自分とは何なのかについてわれわれと同じように何も知らなかったと思います。ほかの偉い人でもこの点では全く同じであって、私はここに人間は平等だという意味があると思います。案外人間はこの点において平等だと納得できるようになることが人生の目的なのかもしれません。

toto77japa
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 >つまり生きているということはどういうことかを考えることは、禁断の問いということではないでしょうか。 ⇒暗闇の喩え、示唆に富んだ、意味深い喩えだと思います。 明かされない方が良いのかも知れませんねぇ。 問うのではなく、必死で何かを探して、試行錯誤して、暗闇の中を手探りで進み、少しでも真実に近づいて、そして死んで行く。それだけの事なのかも知れませんねぇ。

回答No.4

人間がこの世に生まれてくるというより 人間がその人間の中にこの世を構築するのではないでしょうか。 そうすると、人生の目的は、宇宙創生ですね。 人は自分の一生を自由に生きるべきです。

toto77japa
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 難しくて、よく分かりません。

  • shift-2007
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回答No.3

人生の目的は自分を幸せにすること。

toto77japa
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 >人生の目的は自分を幸せにすること。 ⇒「幸せ」ですか、…。 人生の目的が分かり、それに合致した生き方が出来た時に幸せを感じるのかと思っていましたが、…。 私は、一体何を持って幸せと思うのか? 「幸せ」って何なのか? 自分の幸せだけを考えて生きていくと、他人を犠牲にする場合も出てくるようだし、そうなると、心の痛みに苛まれるし、かと言って、それを避けるために、自分の幸せと思える事を追求することを止めると、幸せな気持ちになれないし、…。 結局は、やはり、心の持ち方に落ち着くのかなぁ。

回答No.2

自分が納得のいく人生なら何でもいいじゃないかと 「人間は」ではなく「生物は」という話なら食って食われてして 世界を循環させることだと思うけど... まぁ普通は人に認められる人生ってことなんだろうけど べつに誰にも会うこともなく一生引きこもりの人生とかでも 自分が納得いく人生だと思うならそれでもいいんじゃないでしょうか?

toto77japa
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 >自分が納得のいく人生なら何でもいいじゃないかと ⇒私の人生は経済的には比較的恵まれているので、他の人から見れば、私はそれに納得すべきだと言われると思いますが、私自身は、自分の生き方に必ずしも納得がいかないのです。何か、心に空白があると言うような気分なのです。 と言うことは、私のものの考え方や心の持ち方が間違っているからなのでしょうかねぇ?もっと、感謝の心を持て、とか、…。 与えられた境遇に、「これでいいのだ!」と思えば、それで済む話で、要は心の持ち方の問題なのでしょうかねぇ。 納得とはそういうものかも知れませんね。

  • yyuki1
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回答No.1

「人間は何の為に生れて来るのかを考える為に生れて来る」と言う有名な言葉があります、哲学的には素晴らしい言葉だと思いますが。 実際の回答を導き出せる人は皆無で、おそらく人間にとっての永遠の謎だと思います。

toto77japa
質問者

お礼

お返事、ありがとうございます。 >実際の回答を導き出せる人は皆無で、おそらく人間にとっての永遠の謎だと思います。 ⇒やはり、そうなのでしょうねぇ。 逆に、「この様に生きるべし!」と言われても、その様に生きられない場合は大変困りますから、あまり知らない方が良いのかも知れませんねぇ。 そして、悩みながら、自分なりに、これなら良いかな、と思う生き方を、試行錯誤して生きていって、そして命が尽きる、という事なのでしょうかねぇ。 人間が知りたがってはいけない謎であって、知ってしまうとかえって不幸になる様なしろものなのでしょうかねぇ。

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