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詐欺と邪推について
詐欺を防ぐ為には、邪推しなければなりません。 でも悪くもない人に邪推したら、相手を傷つけるだけです。 私も、邪推されて嫌な思いをしたことがあります。 しかし、詐欺にかかりそうになって、主人が邪推してくれて、 実害を免れたこともあります。 自分の直感なんて、信じられません。 たぶん、どっちかっていうと鈍い方です。 特に子供が思春期になったらとか、子供の純粋な気持ちを傷つけたくないし、全然、自信ありません。 どうしたらいいでしょうか?
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危険を予知するのは当たり前の行動ですよ。 運転中、子供が飛び出してくるかも知れない・・ 登山中、午後から悪天候になるかも知れない・・ 中古車を買うとき、エンジンが不調かも知れない・・ 売買契約を結ぶ時、相手は騙そうとしているかも知れない・・ こういうことは、邪推などという悪意ある感情でやるのではないのですよ。経験と頭でやるんです。 安心を求める確認行為であって、悪意がないんだから、相手が傷つくことなど無いのですよ。 一度詐欺を経験したにもか関わらず、ほとんど同じ状況で、 相手を信頼して再度詐欺に遭ったら単に愚かだということです。
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- Us-Timoo
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「邪推する」ことと「用心して物事を考える」のとは全く別の話です。 邪推は所詮「物事を悪くしか考えない」という被害妄想が根底にあります。 用心して物事を考えることは、良いことが前提にあるが、 もしもの事を考えて手立てをしておくことです。 申し上げておきますが、邪推というマイナス思考で悪いことのマイナスのことは避けられるかも知れませんが 良いこと(プラス)に対してはマイナスにしか働きません。 プラス思考とマイナス思考のどちらにも片寄らず 両方の思考をバランス良く持ち合わせ、 時と場合により適度に切り替えができる 考えかたができるようにならないとダメですよ。 邪推して人は幸せには絶対になれません。 それは心しておいてください。
お礼
ありがとうございます。 >邪推して人は幸せには絶対になれません。 それは心しておいてください。 そうですよね。だから、邪推するのも、されるのも嫌なのです。 最初に断わっておくべきだったかも知れませんが、わたしはアスペルガーです。 言葉の裏を読むことは、たとえプラスに読むとしても、私のような直観の鈍い人がやった場合、かえってトンチンカンになっちゃうのです。 例えば、大きなお世話になったり、もっと言うとストーカーにもなりかねません。 「もうけっこうです」「そんな遠慮なさらずに」 「嫌なのよ」「嫌よ嫌よも好きの内でしょ」 みたいな、だから何ていうか直観に自信がないから、 裏を読めないのではなくて、敢えて読みたくないのです。 言葉だけで傷つかずに、人を信じることは大切なことだとは思うのですが、それによってかえって誰かを傷つけることがある様な気がしてしまいます。 どうしたらいいのでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 注意深くものごとを考える事が必要だということですね。 臨機応変に場合、場合で考えて対応することだと言うことですね。 その場合が、どんなに経験をつんでも、わたしにとっては、想像もつかないくらいの数に思えてならないです。 しかし、悪意なく注意深くというのはとても参考になりました。