- ベストアンサー
去る者は追わず 来る者は拒まず。
この原則(α)についてさらに詳しい中身を問い求めます。 まづなぜ 疑いが生じるかと言えば (β) 九十九匹よりも一匹を〔優先させるべし〕。 ☆ というのも もう一方の原則であるからです。《去って行った者》が この《迷える一匹》にあたるならば どうするか? です。 ここで妥協案を示すなら こうです。 (γ‐1) まづその条件を決めます。相対的にして時間的な問題を扱うという条件です。――ということは 哲学としてというよりは すでに具体的な政策として考えるということになるのだと思います。 (γ‐2) この条件の具体的な内容は こうです。社会にあって (β)の原則を実践するひとたちが 三分の一を占め これに次の三分の一が共感し あとの三分の一は お呼びでないひとたちが占める。この状態を目指すという条件です。 (γ‐3) すなわち最後の《お呼びでない三分の一》は (α)の《去って行った者》であるから (β)の《迷える羊として われわれが探すべき一匹》には入らないという考え方になります。 ☆ この(γ)の妥協案について吟味し ふるってご見解をおしえてください。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
noname#135843
回答No.7
その他の回答 (8)
noname#117439
回答No.9
noname#117439
回答No.8
- 来生 自然(@k_jinen)
- ベストアンサー率30% (80/261)
回答No.6
noname#135843
回答No.5
- hornet3
- ベストアンサー率19% (12/62)
回答No.4
noname#117439
回答No.3
noname#117439
回答No.2
noname#135843
回答No.1
補足
Hidocchi さん ありがとうございます。 見通しが立ちましたようです。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ もし、同じ職場、(同じ地域等の)共同体の仲間でしたら、多少無理をしても来させるべき と考えております(その地域等におきまして、不必要な無秩序が発生してしまうからです。また日本人なのからかもしれませんが、顔見知りのひとには“お節介”なることをどうしてもしてしまいたくなるからです)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは 多少とも長くおつきあいしていれば その間たがいに信頼関係が築かれているのだから 一度や二度たしかに《訣別するのだ。》と言って去って行ったとしても この発言をじゅうぶんに受けとめつつも いろんな角度から捉え直して考えなおす余地はある。と受け留めました。 そしてぎゃくに たしかに《ほとんど面識のない》場合には はっきり《去る》と言って行動したのなら 去るに任せるしかない。これにひとこと付け加えるなら ほかにもその人と交通(まじわり)ができる者は いくらもいるはずだと考えられます。(α+β)原則を実践する人びとは 知り合いでなくても互いに同志のような者ですから。 ううーん。だいぶんすっきりしました。 ★ つきましては、時折には、間に仲介者を挿んででも、粘るべきかな、と思ったりもしております。 ☆ こういう場合も考慮に入れるということですね。 〔別の一面として こういう場合があります。対話は切らさないが その話はまるで絡み合わないという場合であって これも考えているのですが いまは措くことにします。複雑です〕。 ★ “護送船団方式” ☆ 金融行政は特に《雁字搦め》であったように聞いています。ただ 経営者によっては ひと工夫もふた工夫もおこなったのではないかと民間側に肩入れして楽観的に捉えていました。 コンビニなる商業形態を創成した場合とか 宅配便という事業を起こした場合ですとか 行政側とは けんかをしてでも信念をつらぬくということだったのでしょうから そういう民間の知恵と努力を買いたいという気持ちからでした。 また 乱暴に言うのですが 《護送船団方式》も 廃業と創業を活発にするに任せるといった大前提があれば 社会もそれほど窮屈でもないかも知れないと思ったりします。ま そうなると もはや行政指導の出る幕ではないのでしょうけれど。 見通しが立ちました。ありがとうございます。