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第二次大戦中の北欧地域での野戦食について
タイトルどおりですが北欧地域で食べられていた 野戦食はどのようなものだったのでしょうか? 同じ寒い地域にあるロシアの食事は酷いらしいですが
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>第二次大戦中の北欧地域での野戦食について まずは「カンパン」、そして、「缶詰」にした魚介類(主にイワシなど)、肉(鹿やトナカイ、鶏肉など)、野菜(トマトや人参、じゃがいもなど)、果物(ぶどうやももなど)でした。 北欧(スゥエーデンやデンマーク、ノールウェイなど)は、直接的な戦場にはならなかったため、自国の産業(農業や漁業など)はダメージを受けることがありませんでしたので、割合、当時としては「贅沢な」食料品を軍隊に届けることができました。 あなたの言われるように、ロシアは全国土が戦場となったことと、若者(働き手)が徴兵されたため、自国の産業は壊滅的打撃を受け、軍隊の食事も非常に「おそまつ」でした。市民は、それ以上に苦しい生活をしいられました。 (よもやま話)缶詰の歴史について: (1)1804年にフランスのニコラ・アペールが食品をビンに充填した後、密封し、熱を加えるという方法で長期に保存できる、まさに現在の「缶詰製造原理」そのものを発明しました。 丁度、ナポレオンの全盛期でした。 (2)しかし、ビンはすぐに割れやすいという欠点があり、やがて、1810年にイギリスのピーター・デュランドという人が金属製の缶に詰める方法を開発しましたが、熱の加え方が十分でなかったりした物もあり、缶の中で発酵して、缶が破裂することもありました。 (3)カメリカでの南北戦争などでも軍用食料として用いられました。 (4)その後、1833年にはフランスのアンシルベールによって、缶のふたの回りをはんだ付けをし、熱で溶かして缶を開ける方式が考案された。さらに、1860年代にブリキが発明されてからは、缶切りが登場するようになった。 (5)しかし、缶切りが発明されるまでは、開封は金鎚とノミを用いる非常に手間のかかるものだった。戦場では缶を銃で撃って開けることもあったが、撃たれた衝撃で中身が飛び散ってしまい使い物にならなくなることも多々あったという。このため内容物が固形物に限られ、液状のドリンク類は入れられなかった。缶切りが発明されると液体なども入れられるようになり、内容物のバリエーションが広がった。さらに今日では、缶切りが無くても開けられる様にプルトップ(イージーオープン缶)が発明された。
お礼
回答していただきありがとうございます やはり北欧らしくトナカイの肉などもレーションに取り入れられてるのですね