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過去の哲学者の発言をすぐ持ち出すのは何故ですか?
ページ数を膨らませたい物書きや、哲学者、自称セレブな人がよく 「ゲーテは○○と言ったが、」 「ニーチェが○○と言ったように~」 と言い出しますが、 その人がそれを言ったから何なんでしょうか。 別にその発言が正しいだとか的を得てるという証明も何も為されていないのに、その発言を持ち出す意図が分かりません。 ハイソ感覚を共有したい者同士がそういう発言を半ば合言葉的に用いるというのなら分かりますが、 たまに、自身の何らかの主張の後ろ盾になると考えて発言している人もいるみたいで・・・ どなたか教えてください。
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>「ニーチェが○○と言ったように~」 ニーチェを正確に理解している人にとっては、長々と説明されるより効率的に理解できるでしょうね。 ですから、本来は時間と労力の節約の為の表現方法だったと思います。 しかし、いつの間にか「ニーチェ」という言葉が「正しさの保証書」の役割をもち読者の怠惰を助長しだしたのだと思います。 怠惰を許す者に人気がでるのは一般的なことです。
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- owlsjp
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訂正: と、言うわけで、すぐに教養や有名な哲学者の言を持ち出す人の気持ちが 『身にしみて』解ったんじゃないでしょうか^^ ⇒と、言うわけで、論理的に反論できず、追い詰められたが故に 教養や有名な哲学者の言を持ち出す人の気持ちが 『身にしみて』解ったんじゃないでしょうか^^ 結論として、やっぱり質問文にあるようなケースもあるという事の証明になったようで。
- cyototu
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数学者でない限り、自分で何を言ってるのかを判っている人はこの世の中には居りません。数学を言語として日々それに頼っている物理学者と言えども、自分で何を言っているのか判らないほど、この世界は複雑に出来ております。自然科学者も人文学者も、そんな複雑な世界を何とか自分の言葉で理解したいと日々努力しているのです。 そして、その連中は自分自身の認識の程度の不完全性を心から体得し、認識しております。ですから、その連中は、あらゆる手段で自分を納得させる方法を探しております。そんなとき、その人が誰から教わるでもなく、重要だと考える概念を自分自身で見つけ出したとします。自分の不完全性を十分理解している人には、そのことを人から教わったのではなく、自分で見つけ出したときに、常に自分の見出した認識が果たして本当に重要なことなのか、それとも取るにたらない詰まらないことなのか不安なを持っています。そんなときに、歴史的に評価されている人も同じ結論に達していたと知ることは、どんなに心強く、歓喜に値することでしょう。 ですから、自分自身で物を次々と創り出すことの出来る人達に取っては、自分が到達した概念が既に先人達に知られていたことを知ることは、喜びなのです。その反対に、自分自身の創り出したことが既に先人達に知られていたことを知ってがっかりする人は、自分自身の創造性の自信の無さに失望している人達なのです。 そのように創造力の豊かな人は、次々と先人達と同じ意見を自分自身で生み出し、運が良ければ、先人達の言わなかった何かを人類の歴史に付け加えることが出来るかもしれません。しかし多分殆どの場合、歴史に残った先人達と同じ創造のレベルを自分自身で達成した段階で一生を終わっているのだと思います。そのような人達は、たまたま生まれた時が遅過ぎて、自分の名前を歴史に残せなかったのです。 ですから、本当に創造性の豊かな人は、喜びを持って自分自信の意見を 「ゲーテは○○と言ったが、」 「ニーチェが○○と言ったように~」 と、堂々と言うことが出来るのだと思います。 貴方も、自分自信の創造した意見が既に人に知られていることを知ったときに、歓喜出来る人になって下さい。
- owlsjp
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>ニーチェ云々以前に全く教養を感じさせられない文章を書くのはどうなのでしょうか^^ 大体私の考えには同意の上で、「教養」を持ち出してきたということですね、ではニーチェやゲーテなどの大御所 ?の言や、聞きかじった専門用語を使って説明しろというわけですか、それこそ質問タイトルが表すような事になりますね。 「ゲスの勘繰り」「痴呆者」がやはりハイソじゃなかったんですかねぇ^^ 教養を持ち出すことで、自分が質問に挙げている人間と同様になってますよ。 と、言うわけで、すぐに教養や有名な哲学者の言を持ち出す人の気持ちが 『身にしみて』解ったんじゃないでしょうか^^
- wiz0621
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No.10です。 実は私も大学は理系ですし、ビジネスもがっつりやってるんですが、 そもそも質問者さんは論文引用をどうやってましたか? 普通に『国連の○○○○第×次報告書によれば~』とか、 詳細の説明もなしに引用する人も沢山居ますし、学術論文の引用だって 説明なしに名前+年号というスタイルは認められていますよね。 むしろ専門用語を好む傾向は理系の方が強いと思います。 理系ってそれこそ概念立証からいちいち説明してたら、 時間や枚数が足りないですからね。 つまり理系であっても全く同じです。 ある程度の前提を求める姿勢と、相手にどの程度専門分野に 踏み込んだ話をして良いのか。引用というのはやはりそれを図る 紳士的でスマートな、伝統的技法であると私は思います。 初めて接する情報は、知らないのが"当たり前"です。 引用元を出しているのですから、その正当性については後から 当たればいいんですし、もし引用の書籍(しかも古典的命題の) を知らないのであれば、その場は頭を下げて聞いてみてもいいんじゃないでしょうか。 だって相手が悪意を持っていようがいまいが、そもそもこちらは知らないんですよね? 悪意を持った相手に対して反撃の機会を伺うにしても 悪意を持った相手から学ぶにしても、そもそも聞かないと始まらないです。 会話というのは話し手の問題であると同時に、受け手の問題なのですから。 相手が文系の学生だから悪い、とか私が知らないからその問題を論ずるな、 というのであれば、紳士的という言葉の対極にあるその姿勢を理系とはいえないと思います。 そもそも知らないほうが悪い、という論理の上でのストロングスタイルこそが 解釈論の介入の余地が薄い"理系"が是するところですしね。
- masa2211
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>過去の哲学者の発言を持ち出す う~ん、認識が違う。 ・過去の哲学者のうち、現在でも有効とされる発言を持ち出す。 要するに、過去の哲学者のなかでメンバーは限定されます。 現在でも有効とされるということを皆が認めているかたの発言オンリーです。 こういった発言は、長年の年月の間、真理があるからこそ生き抜いてきた 発言であるわけであり、 「私はこう思う」というのより信憑性があります。
補足
「有効」の意味がよく分かりません。 その「有効」性のご利益に自分もあやかりたいという心理なのでしょうか。 その偉人の発言を良く理解できている人なら、信憑性云々を頼りにするのではなくて、その発言の根拠を単純に口頭説明すればいいと思いますが・・・
- o-sai
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単純に知識人ぶりたいからです。 写真や報道でも、取材した「知識人」の場合はふつう本棚を背景にします。 こんなに本読んでるぞ、というイメージを視聴者に与える為の演出で、 ラーメン屋のオヤジなら「頑固そう」に腕組んでる写真が用いられます。 政治家や官僚は漢字や横文字が大好きだし、芸術家はベレー帽を好みます。 自称しないとわかってもらえない職業の方々は、自発的に演出しますからね。
補足
なるほどですね。 そういう発言をしていれば、哲学をかじっている人だという単純な表明にはなりますね。
- wiz0621
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聖書(福音書)の中に『荒野の誘惑』という話があります。 そこでは悪魔とキリストの問答という形で、宗教への解釈が記されている わけですが、キリスト側の回答はすべて『~と書いてある(言っている)』 となっているんです。これに限らず、新約聖書はこういう想定問答集の ようなもので、要するに2000年前から人間社会は同じなんです。 さて、この話がどういう内容かというと、要するにユダヤ教の異端審問です。 ナザレのイエスはユダヤ教の中では改革派の人であったので、 常に審問を受ける立場にありました。 『神が使いに指示を与えるとき、あなたを支える』と書いてあるだろ。 ごの絶壁から飛び降りても助かるはずだ、という指摘を受けたときに どう応えるべきか。キリストの回答は『聖書には神を試みてはならない とも書いてある』となっています。 ここで重要なのは、前提(この場合聖書)が正しいか否かではありません。 そもそも聖書はこういう矛盾だらけの書物ですし、両者ともそこを論点に していないんです。問題となるのは前提となる書物を読んでいるか否か。 つまり、ある命題に対して”勉強しているか否か”なんです。 『○○にこう書いてある』、というのは 深い考えも無しに、単に批判しているわけじゃないよ。 私はこの本をきちんと読んで、分析した上で発言しているよという 意味を包含します。 この言葉に対する反論は『いや、○○はこうも書いている』であったり 『その前提は○○で否定されている』と繋がることで、 お?あんたも勉強しているんだね、という了解が出来てくる。 これは会話の初期段階としてお互いに勉強しているんだよね? という確認作業でもあります。 単に、その本を使った権威付けだろうという反論では 発展性がありません。会話はそこで終了し、何も生み出さない。 ひとつの共通の前提を置くことは人間の会話を発展させていく 重要なテクニックのひとつなんです。 発言者はもちろん、受ける側の対応をもってこの隠語は完成します。 要するに一言で言うならば"ハイソな隠語"としか成立しないんです。 (ハイソって数十年ぶりに聞いたような・・・ゲフン)
お礼
文系用のもっと上品な確認作業って無いものですかね。 「ニーチェが○○と言ったように~」 ↓ 「あ、知らなかったんですね、失礼(苦笑する表情)」or「流石よくご存知で(にこにこ)」 こうなるんですか? とある文系の学生さんで、こういう事を本当にやる人が実際いました。 一緒に高教養気分を共有したい相手なら気分がよくなる会話なのでしょうが、 相手によっては露骨に試されたと感じて、ちょっとムッとしたり萎縮したりするかもしれません。 品がある方法のようで、実は全然品が無いですよね。配慮が無いですから。 試す気丸出しで知識の有無を問うているだけで、全く「テクニック」とは言えません。 私は理系ですが、たとえば初対面でいきなり専門用語で試すような幼稚なことをする理系研究者などいません。 ビジネスマンでもそうですが、時事の話題などで少しずつかすらせていって、相手の知識レベルを量りつつ(量ってるぞと分かりやすい事はしません)、言葉を適宜噛み砕いたりして、上手く共通の域で話せるように調整していきます。紳士的でスマートです。
- owlsjp
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訂正 ある人が駄々をこねて「ああでもない こうでもない」と屁理屈を言い始め、単なる自己顕示、自己主張をし始めた時、その人間に対して権威や社会的常識を象徴するような何かを提示することで黙らせるのは効果的です。 ⇒ある人が駄々をこねて「ああでもない こうでもない」と屁理屈を言い始め、単なる自己顕示、自己主張をし始めた時、その人間に対して権威や社会的常識を象徴するような何かを提示することで黙らせることができます。 補足: >別にその発言が正しいだとか的を得てるという証明も何も為されていないのに、その発言を持ち出す意図が分かりません。 結論として、正しいとか的を得ているという証明のために「その発言を持ち出す」というケースは極まれでしょう。 無邪気に自己主張する人間を黙らせるのは有意義なことです。
- owlsjp
- ベストアンサー率18% (23/127)
ある人が駄々をこねて「ああでもない こうでもない」と屁理屈を言い始め、単なる自己顕示、自己主張をし始めた時、その人間に対して権威や社会的常識を象徴するような何かを提示することで黙らせるのは効果的です。自分の頭で考えることが出来ないのだから、そういった人間は、社会的権威や常識を提示するのが一番効果が在るでしょう。 いわば、そういった痴呆者とこれ以上会話を続けたくない場合の、最後通告として「有名な」人の言を用いているケースもあります。 しかし一般的には、「私は何処そこの出身です」と言うことが、挨拶代わりになると同時に、「そこの風土、風俗文化等の影響を受けていますから、そのへんを踏まえたうえで、私と接してください。それを知った上で反論するなり同意するなり、話の展開をするなりしてください、私は私の思考、脳味噌だけの影響を受けているわけでなく、あらゆる文化、風土、風俗、等の影響を受けてきていますので。」ということを表明していることにもなります。 ということで、 >ハイソ感覚を共有したい者同士がそういう発言を半ば合言葉的に用いる >自身の何らかの主張の後ろ盾になると考えて発言している人もいるみたいで これらはごく一部の人間に対して当てはまるか、もしくはこういった主張そのものが下種(ゲス)の勘繰りであると言うことも考えられます。 もしゲスの勘繰りでなかったとしたら、自分が理解できないことで、自分自信の存在のくだらなさ、無価値さなどを 思い知らされる のを防ぐための、自分をも ごまかすための狡猾な言である と考えられます。 >その発言を持ち出す意図が分かりません。 お解りでしょうか?
補足
ニーチェ云々以前に全く教養を感じさせられない文章を書くのはどうなのでしょうか^^
- sotom
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哲学というのは、思考を繰り返してある程度その形態が固まったモノ、 いうなれば、数学の公式みたいなものと考えてもいいかと思います。 まあ、数学と違うのは、完全なる正解を求める分野ではないという事です。 いずれにしろ、その途中の経過を省くような形で持ち出すのであれば、 それは大いに有り得る事だと思います。何せ、受験問題で、いちいち 公式を導き出していると、面倒くさくてやってられないでしょう? まあ、その辺りを判断するのは、その人の「学」レベルによります。
お礼
>哲学というのは、思考を繰り返してある程度その形態が固まったモノ、 いうなれば、数学の公式みたいなものと考えてもいいかと思います。 それはよく分かります^^ しかし物理などの公式をよく理解してなくて知ったように語るとあっという間にボロが出たりしますが、哲学だと言葉をゴチャゴチャさせてるとそれっぽく聞こえてしまうから厄介です。 無理解者の「ゲーテが~」がまかり通ってしまう。
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お礼
分かりやすいです。