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人間はついに自然を克服するのか

歴史上、農耕、工業で、細々と自然を改革しては来ました。 しかし、いまだに、地震ひとつ、台風ひとつ阻止することもできません。大局的にみれば、自然に翻弄されている存在であるという事実には、太古とさほど変わらないと思われます。 これが、いつの日か、本当の意味で自然を克服し、自然の驚異から完全に自由な存在、神に近い存在になる日が、人間には来るのでしょうか?それとも、ある限界点に近づくだけで滅亡するでしょうか

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  • ベストアンサー
  • mazeran
  • ベストアンサー率42% (221/518)
回答No.8

以前にも同じような質問内容に回答させていただいていますが、この類の質問に対する回答は、専門家が100人いれば100通りの考え方が出てくるものです。 つまり研究している「物」は同じものでも、攻める「角度」や「場所」などの違いから、様々な考え方が出てくるわけです。 100通りの考え方はすべてが「真」かも知れないし、「偽」かも知れない。 誰にも「断定」できないものになります。 人間の「科学・技術」をどういう風に見るか・・・。 その「真」となる事実を客観的に見る見方によっても結果は大きく変わってきます。 たまたま私は、人間の「科学・技術」と言うものを、添付の図のように考えて実験や研究を続けています。 あくまでこれは人間の世界の考え方であり、人間が理解できる形で表現してありますので、実際は極めて複雑なものであると思います。 自然の真理と言うものは、「完璧なリズム」を持って且つ「完璧に連続」しており、三次元的になっている。 人間の「科学・技術」と言うものは、その自然真理に限りなく近づいて解明したように思っているが、実は「接することはできても、決して交わることは不可能」なものであり、加えて二次元的にしか理解できないもの。 つまり図の赤い丸は、三次元的な自然の真理を見ている人間が、目の前の透明なガラスの上に書いただけのもので、当然、見る角度を変えると、まったく違ったもの、又は意味を成さないものになってしまう。 自然は、三次元的に広がる連続したものであり、人間の科学や技術などと言うものは、二次元的に広がる点でしかないもの。 その点は自然の真理から見たら擬似的なものに過ぎず、その点を連続させる術を人間は知らない。 我々の機関の中ではこのような考え方で実験・研究を進めているので、そうなると、少なくとも我々は「自然を克服」など不可能と考えます。 赤い丸の大きさは、いくらでも大きくはできても、いくらでも白い線に近づくことはできても、決して交わることもできなければ、連続させることもできない。 身近なものを例に挙げると、台風の進路予測の精度は上げることはできるが、決して正確な予測はできない。 どんなに科学技術が進歩しても、決してパチンコ玉の経路の予測はできない。 なぜなら、「自然」と言うのは「複雑系」と考えているためで、連続して他に影響を及ぼすからです。 今私がこうやってキーボードを打っていることが、大リーグの松井選手に対して、次の打席でホームランを打つことに影響を与えているわけです。 当然、肯定も否定もできないことですが、同じ時間を共有している以上、決して否定できない自然現象だからです。 これらすべてが解明できなければ、自然の克服、コントロールなどは不可能となるわけです。

その他の回答 (11)

  • pwagptkf
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回答No.1

台風は核爆弾で消滅させることは可能と聞きましたが、まあやらないでしょうね・・・ 私個人の考えは、神に近づくほど滅ぶのかなと。元々神なんて見たことはないですけど、神が自然を自由に動かすことの出来る存在ならば、その神に近づくとそれをほしがる人(国)が出てくる訳で、仲良く共有なんて事にはならないとおもいます。 宇宙上すべての事や、原理が分かる日が来れば可能なのかなとも思いますが。 オゾン層破壊だってただ人間にはよくないだけで地球上のどこかに紫外線で生きている生物もいるかもしれませんし。 そのときは人間が地球からいなくなり別の生物が地球に住むんですかね。 人間神にはなれないでしょう。

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