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背理法 万人が認める美はあるか?
私は万人が認める美が存在することを信じたい者です。 しかしながら私はあまり頭が良くないので、感覚だけでそれを信じているのであって「存在する」ことを証明することはできません。 この前その話をしていたら「存在しない」ことを信じている人にそんなバカなことをいうのはやめろと諭されました。 悔しいので、「絶対ない」というのなら「無い」ことを証明してみろといったら、「有る」ことが証明できない時点でそれは「無い」ことを証明しているのだといわれました。 彼はそれを背理法だと言うのですが、私にはよくわかりません。 たとえば箱の中にリンゴがあるとします。 箱の蓋は閉じているので中にリンゴが入っているかどうかわかりません。 それはリンゴが無いことになるのでしょうか? それでいいんでしょうか? 彼にはさんざん馬鹿にされましたが、私はそれを信じることはいけないことでしょうか?
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お礼
背理法の成否についてお聞きしたので言い換えは却下です。 なお「考えないことにする」という時点でそれはあなたが自分の感覚に嘘をつくということです。 私はもっと感覚的なお話をしているのであって、個人の好みの云々はあって当たり前ですから。 あと、その評価の対象を評価するにあたって、私の評価の反対をする意味で美しくないと評価するのでは自分が「美しくない」と認めたとは言えませんし、自分で評価したことがあるものであれば、「美しいと感じてもそう思わないことにする」→「実は美しいと感じたことがある」という矛盾がが発生しますのでそれも却下です。 あとは本当に言葉遊びですが、私があなたの決心を信じるという前提がなければ、その反例は成り立ちません。 「箱の中にリンゴはないよ」といわれても私が「ある」と信じることによってリンゴはあるように私には見えるのです。 お返事ありがとうございました。