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池田晶子さんの思想について
池田晶子さんはその著書の中で 「自己と他者は同じこと」 「誰でもない、と云うことは全てであること」 と云うようなことを言っていますが、 若干、論理が飛躍しているように思えます。 お詳しい方がおられましたら、その辺りの消息をご説明ください。
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- kigurumi
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>ダイレクトに言ってしまえばロマン主義的な「世界精神」を読み取ることが出来ました。 ええ、彼女の思想はロマン主義ですが、ロマン主義は見方によっては、夢と現実の混交。 そして現実の拒絶、逃避。 >「自己と他者は同じこと」 >「誰でもない、と云うことは全てであること」 リピドーとデストルドーの交錯のすえ、デストルドーが勝った。 youtubeで<エヴァンゲリオンを1.5倍ぐらい楽しくする動画 Part7>を観てみてください。 他者とつぎつぎ融合するとき、喜びに変化していってます。 ロマン主義。逃避。 <エヴァンゲリオンを1.5倍ぐらい楽しくする動画 Part8> 再生。 彼女に観て欲しかったですね。 ユングの場合、統合失調症の人を主な研究対象にしたそうです。 別の世界を現実世界だと思ってしまう症状の人たちを対象にした研究だった。 統合失調症を文学者はこう表現しています。 「自分の納得のいかない世界への抗議として別の世界を産んだ。」 彼女は統合失調症を発病してはいなかったと思いますが、別世界を現実世界に置き換えようとしたように思えます。 彼女は現実に拒絶されていると思っていたと思うんですね。 勘違い。 その勘違いが、夢(自分と他人は同じ=仲のよい世界=心が平穏な世界=やすらぎ)を生んだ。 夢の終わりは現実の始まり。 そこに彼女が気づく前に、命が尽きたみたいですね。 私は彼女をいくじなしと呼べません。 「そんなに辛いのなら逃げ出してもいいのよ」と言うでしょうね。 逃避も一つの生き伸びる手段ですから。 ただ、いつまでも、避難所にいるわけにはいかない。 現実世界に戻らなければ魂(自我)が消えてしまう。
- shift-2007
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2つともなんとなくわかる気はしますけどね。 「誰でもない、と云うことは全てであること」 もし、私が私という一人称を使わなかったら、つまり誰でもなくなったら、私と私以外(世界)という区分けはなくなりますので、その瞬間に全てになるんじゃないでしょうか。 >若干、論理が飛躍しているように思えます。 その間のプロセスが理解できていないからです。 つまりこれはわれわれの問題であって、池田晶子さんには関係のない話ですよ。
仏教では、この世を、仮の世界といいます。この世界は、不調和世界の、脳の自我意識と、調和世界の、自然の心の無我意識が、出会うために作られました。だからこの世には、ふたつの対立する、異なる世界が、同居しています。だからこの言葉の意味は、無我意識世界の事をいってます。だから自我の世界とは違います。
お礼
ご回答有難うございます。 私は、理性(論理と言い換えても良いですが)を用いて万人に理解出来 る言葉で語ることが哲学であると考えています。 「仏教の世界では」と云う条件節により、 門外漢をシャットアウトしてしまう論法では申し訳ないのですが納得出 来ません。 正直言って、 >脳の自我意識と、調和世界の、自然の心の無我意識 ってよくわかりません。 しかも、なぜそれらが 「出会うためにこの世界がつくられたのか」 サッパリ分かりません。 貴重なご示唆には感謝しております。
1です 池田晶子は、作家でしょ? でも「考えること」が大事だといっている。 池田晶子さんに関して飛躍しているかしていないかが議論の論点ですよね?弁証的な思考が理解の基礎です。 いずれにしても 哲学をうんぬんして、それでもキリスト教を信仰するひととか 「かみはXXと悟りました では質問します・・・」とか「かまってクン」のヘリクツ偽善者より、元も子もあると思いますが・・・
- kigurumi
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No.5です。 こっちの方がわかりやすいかな? 彼女の思想はタナトスから出たものじゃないかと。 http://homepage3.nifty.com/mana/chu9.htm
お礼
彼女の思想がタナトスに支配されていたとの読み方は、 悲しいかな、可能であると思います。 ただし、彼女はフロイディアンなどではなく、 むしろユングにより類縁性のある考え方をしているようです。 ヘーゲルの思想を標榜しているところも見られますが、 ダイレクトに言ってしまえばロマン主義的な「世界精神」を読み取る ことが出来ました。
- kigurumi
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梵我一如。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E6%88%91%E4%B8%80%E5%A6%82 イデア。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A2%E8%AB%96 アテン教。 http://delightchannel.tea-nifty.com/delightchannel/2007/01/post_6b02.html 新世紀エヴァンゲリオンのゲンド・ゼーレ・シンジ。 http://homepage3.nifty.com/mana/main-story2.htm#top 共通することは、全てが融合し一つに回帰することを望んだこと。 >若干、論理が飛躍しているように思えます。 どこからが自分で、どこまでが他の人と共通かって見極めができたとき、個は出現する。 この見極めができないと、曖昧になり、個を喪失する。 個があったほうがいいのか、無い方がいいのか、私にはわからないが、現在個なのだし、これを私は要らないと自ら捨てるつもりはない。 これを執着と呼ぶ。 執着は時に苦しみを生むが、愛でもある。
お礼
ご回答有難うございます。 「精神とは非人称の私」と仰っているところは理解出来ているのです。 そうではなくて、何故それが「自己と他者は同じこと」 「誰でもない、と云うことは全てであること」 となってしまうのか、その論理的なプロセスを理解したいのです。 プラトンのイデアについては池田さんを待つまでも無くそれなりに理解 しているつもりですが、ここでの問題とはちょっと違います。
- corpus
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池田晶子さんは、確か亡くなられましたよね。 著書も読んだことがあるのですが、 若い人にも読んで欲しいという情熱が感じられました。 でも、内容は、ほとんど残っていません。 池田氏は、思想ということは毛嫌いされていたのでは。 自分で考えることを大事にしよう、と主張されていたのでは。 どうか、ご自分で考えてください。
お礼
ご回答有難うございます。 池田さんは生前、意見と云うものを持ったことが無いと仰っていました。思想を毛嫌いしておられたかどうかは知りませんが。 自分で考えるためには、まずはお書きになられた書物を正確に理解することが必要であり、礼儀だと思います。
- raison777
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すみません、答えになってないのですが、 池田晶子さんって哲学と呼べないと思いませんか? そもそも論理が破綻している(ご指摘通り、飛躍しすぎている)というか、文章が稚拙すぎて読めないというか。ひどいトートロジーの連続w 理解できなくてもこだわるような人じゃないと思います。 読めばわかりますが、ひどい権威主義ですしね。 哲学やってる美人のお嬢さん、というキャッチで売れましたが、理解して面白いような人ではないと思います。ただ売れただけ。
お礼
ご回答有難うございます。 仰るような見方は解ります。 形而上学を勉強する際には この種のトートロジーを乗り越えなければならない様な気がしています。 売れなければ読むことも無かったので、 その意味では良かったような気がしています。
- darumazen
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池田晶子さんのお名前は知りませんでしたが。 「自己と他者は同じこと」 「誰でもない、と云うことは全てであること」 この言葉は禅の語録の中で見たような気がします。 結論だけで途中が無いので分かりにくいかもしれません。 でも禅をやった人にとっては、この言葉だけで「そのとおり」と思ってしまいます。
お礼
ご回答有難うございます。 >でも禅をやった人にとっては、この言葉だけで「そのとおり」と思ってしまいます。 仰りたいこと、よくわかります。 でも、私たちはこの曖昧さを乗り越えなければならない、 それが哲学を学ぶ者の務めであると考えています。 このような言葉に出来ないような問題について、 そのメカニズムを明証したいのです。
「こと」 を関係性と解釈すると飛躍してません。 若いころ 干される前の池田さんの哲学は、「娘の哲学」 あまり面白くないかも。 苦悩の歳月を送っている最中・最期の「哲学」に 女性的闘志の味があります。
お礼
早々のご回答有難うございます。 はあ、関係性ですか。 関係性と云ってしまうと元も子もない、 陳腐なお話になってしまうような気がしますが・・・。 「女性的闘志」ですか、 はじめて拝見する言葉なので、言葉の意味がよくわかりませんが、 池田さんの思想ってそう云う世界とはちょっと違うような・・・。
お礼
ご回答有難うございます。 私も図式的には何となく理解出来るのですが、 「全てであり何でもない」と云うのは言葉の遊びのような感じがしちゃうんですね。 >その間のプロセスが理解できていないからです。 仰るとおりです。そこをアドバイスいただきかったのですから。 感謝です。