- ベストアンサー
人と人の間にある垣根
特に身近な人などですが... 仲良くしている時は、思いやりが存在していて手助けしたり、何かを与えたりします。 相手がミスしても寛大だし、フォローしたりできます。 いつか、どちらかの暴言や、許せない行動を...きっかけに 垣根がぐずれて...ルール無用のデスマッチに こんな経験を何回もしました。 徐々に修復を進むものの不安定で、心の奥底には嫌悪感が残っているのを感じます。 一旦、許せない垣根を超えた人との修復って不可能ですか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
>一旦、許せない垣根を超えた人との修復って不可能ですか? これだけは一般に言えると思います。 「不可能ではないが非常に困難だ」と。 自分一人の問題ではないですから、相手の行動パターンも理解できないと難しいと思います。 たまたま修復したかのように見えても、根本的な変化がなければ、また同じ結果になると思うのです。 そしてここからは私の経験であって、一般論ではないと言うことをお断りしておきます。m(_ _)m でも、何かしら参考になれば幸いです。 私の知る限り、許せない垣根を越えてくる人とは、大抵、自尊心が はなはだ高く、かつ、自分に非があるとは決して認めません。 そして、平気で過去を作り替えたり、自分にとって都合の悪いことは無かったことにします。 だから、自分には決して間違いはなく、いつも間違っているのは相手の方だと確信を持った話し方をします。 「お互い勘違いしていた」 「お互い非があった」と言うのは、その人物の頭の中には決して有り得ないことなのです。 10:0で相手が悪いという信念を持っています。 そして、何かにつけて人に深く干渉してきます。 垣根越えをしてくる人は、何故か人に頼られるのが好きだったりします。 それも得意分野が限定です。それ以外だと、思いっきり嫌な顔か無視です。 自尊心が傷つくことを極度に嫌うからです。 ともかく、自分を大きく見せるのが好きなのです。 理想が高い為なのか自尊心が傷つきやすく、自尊心が傷つきやすいが故に、傷ついた自尊心を癒す為に、平気で人の自尊心を傷つける行為を執拗に繰り返してきます。 垣根越えをする人が「頼ってくれ」というのも、実は相手のためを思っているというよりも、頼られることで自分の渇いた自尊心を満たすのが目的の場合が多いように思えます。 その場合、何かにつけて干渉してきます。 「何故、ここまで?」というぐらい。 それを真っさらな親切心だとこちらが受け取って、素直に接していると、向こうは時折、蔑みの感情を向けてきたりします。 それは、何故ここで蔑みの感情が入ってくるのか理解不能なタイミングで、突然だったりします。 そこで、一旦 気持ちを切り替えて、これは尋常ではないと気が付き、そういった人物から距離を置くようにすればいいのだけれど、 「いや、人を疑ってはいけない。だってあんなに親切にしてくれたのに。悪く思うなんて自分の方が間違っている。自分の気配りが足りなかったからだ。きっと、不快に思わせるようなことをしてしまったんだ」などと思おうものなら、それこそ向こうの思うつぼ。詫びれば詫びるほど、 「それ見たことか!! やはりあんたは、おかしい。あんたは失礼だ!! やはり私が正しかったのだ」と、あちらは なるわけです。 垣根越えをしてくる人は、猜疑心も強いから、詫びるときは10:0でこちらが悪いと言わないと納得しません。 自分の自尊心ばかり大切にしているから、 「全て私の勘違いでした。失礼に気がつけず申し訳ございませんでした」という言い方をしないと納得しないのです。 公平に非があるというのは納得しません。特別扱いを望んでいるのです。 しかし、そう言う人物に目を付けられる側も、人より依存心が強かったり、猜疑心がなさ過ぎたりします。 そんな人は、垣根越えをする人の自尊心を満たす良い鴨なのだと思います。 結局のところ、垣根越えをされてしまう状況を作ってしまうのは、共依存という言葉が端的に表していると思います。 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/3875/kyouizon.html でも、これも極端な例で、共依存と言うほど脅迫的な感情を垣根越えをしてくる側が持っていなかったとしても、深く関わる内に互いに依存し合う関係になってしまうと、二人の垣根はあってないようなものになってしまいます。 垣根を壊したがるほど、深く関わりを持ちたがる人には、寂しがりやな人が多いと思います。 その様な人は、本気で相手のことを思うということ、友情や愛情の表現が上手く出来ず、自分に欠落した自信や価値観を相手から得ようという行為に走ってしまいがちなのだと思います。そして手元から離すまいと何かと縛り付け(干渉)をしてくるのです。 拗れた関係を修復したかったら、自分自身も自立して、「親切と干渉の違い」を見極められるように変わっていかないと難しいと思います。 そして、垣根越えをしてくる人には、あまり弱みを見せないことです。 自分で出来ることは、きちんと自分でやることです。 自立していることが相手にも伝わるように振る舞えば、向こうも簡単に垣根を越えて来ようとはしないと思います。 垣根越えをする人は、どうも自立心の弱い人に向かってくる傾向があると私は思います。
その他の回答 (4)
- youchan37
- ベストアンサー率37% (248/669)
>特に身近な人などですが... とありますので、すると一層修復は可能だと思います。 極端な話、親子喧嘩・兄弟喧嘩が全くない家族の方が稀でありましょう。 一度でもそんなことがあれば、以降修復できないなどということは、 まず有り得ません。 >心の奥底には嫌悪感が残っている~ この「険悪感」には、多分に「自責の念」も含まれていると思います。 「大事な人を傷つけてしまった。何て自分はヒドい人間なんだ」です。 ですから逆に、この自責の念が無い方が、より深刻です。 ケンカ別れしても何も感じない。完全にセイセイした。 「険悪感」というか「自責の念」が全くない。 だとしたら、これはなかなか深刻です。 ですから、貴方様の心にある「険悪感」を、じーっと見つめてみて下さい。 そこには「自責の念」がありませんか。 モヤモヤした嫌な気持ちの中に「自分はヒドイことをした」という、 自分で自分を責める気持ちがありませんか。 これをしっかり自覚され、そしてこの気持ちに対して素直になるのが宜しいと思います。 すると、相手を許し許されたい、という気持ちが湧いてくるものです。 それはつまり、自分をも許す・許したいということです。 端的に言えば「反省」でありましょう。 苦しい。苦しくて仕方ないから、自分で自分を許したい。 となると、自分で自分を許すためには、相手を許し、許して貰うしかない。 要は仲直りするしかありません。そういう流れになっていくと思います。 ご自分の真の心に、素直になろう、と。そんな心がけを試してみて下さい。
お礼
おっしゃる通り身内のトラブルです。 何回もトラブルが起きた相手が、 「どう思われても良い」...的な行動に出るケースが多々あります。 それが、火に油を注いでいるんだと思いました。 お礼が遅くなりました。すみません
- fiyocco
- ベストアンサー率12% (10/77)
私は修復可能だと思います。私自身過去何度も暴言をはいたことがあります。そのつど自分の心理状態を説明しました。なぜ暴言をはいてしまったか、相手のせいにせず自分がいかに未熟者かを認め、謝罪もして自分の胸の内を明らかにする。こうすることで今のところまだ信頼を失わずに済んでいます。
お礼
相手にもよると思うんですが、 あり得ると思っています。 それ以降は、以前以上の良好な関係が築けるのかな?... あまりに楽観的... と言うより、いったん解決すると忘れるたちなんです お礼が遅くなりました。すみません
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
信頼は一度失うと、ほぼ修復不可能ですから。 罪と罰という小説がある。 主人公は、超えてはならない垣根を越えることで、超人になろうとした。 人を殺したことで、人ではなくなってしまったわけです。 人は人を殺す能力がある。 だけど、それを行使しない。 戦争で相手を刺さなければ自分が死ぬなど自己防衛という非常時には別ですが。 でも、やってはならないことだが、できるから、してしまう人もいるわけです。 勢いあまって売られた喧嘩でつい口が滑っての場合、日ごろはそんなことを言わない人であれば、何か調子悪かったのかなぁ と思ってもらえることがある。 「どうしたの あなたらしくない暴言を吐いて」と許される。 だけど、相手と良好の関係を築いていなければ、「それが本心か! お前を見くびっていた。お前は本当はそういう奴だと今はっきりとわかった」となり縁を絶たれる。 人は自己防御本能がある。 例えば一度腹痛を起こした物質が再び口に入ると、体がいち早く反応を起こして、多量にそれが入るのを防ぐ。 食料ではなくても、経験から、一度痛烈なダメージを受けた場合、以降同じものを避けて生存を高めようとする。 それが嫌悪感として、体がサインをして「危険」を知らせてくれるわけです。 で、体が「こいつは危険」と認識して記憶されたものを、再度「安全」と訂正するのは、かなり困難。 生存に関わることだと体が認識していた場合は余計に、修正は不可能。 >許せない垣根を超えた人との修復って不可能ですか? 私は無理ですね。 頑固だって言われますが、頑固だからではなく、相手が超えてはならない垣根を越えることをしたから。 できるがしない を選択せず できるからした を選択できたってことは、2度目はもっと気軽にやってはならない世界に足を踏み入れやすくなるわけです。 これが手痛いダメージを与える人を私が二度と信用しない理由。 他の人と違い、その人は超えてはならない境界を越える個性の持ち主という事実を、ごまかさずに認めるしかない。 それを認められない人は、何度も失敗を繰り返し、ボロボロになってしまう。 もちろん バカとかその程度の暴言なら私は屁でもないので怒ったりしません。 許せないって限界は人によって違う。 一度 他人に「あんたバカじゃない こんなこともわからないなんて」と言ったことがある。 二度と信頼されなくなりました。 どんなに取り入っても絶対に関係は回復しませんでした。 自尊心の無い私には、自尊心で立っている人が自尊心を傷つける言葉に非常に弱いと気づけなかった。 その人が自尊心が非常に高いと気づけなかった。 日ごろ 小さい頃からバカだとか言われてなれっこになっている私からすれば、「そんなことくらいで」なのですが、相手にしてみれば「とんでもないことを言ってくれた」なのでしょう。 接することで、相手の自尊心を傷つけられたという記憶が蘇るので、距離を置くことで、電信柱の影から繁栄を祈ることにしました。
お礼
>その人は超えてはならない境界を越える個性の持ち主という事実を、ごまかさずに認めるしかない。 それを認められない人は、何度も失敗を繰り返し、ボロボロになってしまう。 何度も繰り返す傾向があります。何回目かにいよいよ気づいて... そんなにボロボロになった自覚はありませんが、修復する気にはなれません。 お礼が遅くなりました。すみません
- mendokusa
- ベストアンサー率13% (359/2726)
修復には長い時間がかかるでしょうね。 最初から他人を信頼しない事です。
お礼
簡単には解決しないでしょうね。 お礼が遅くなりました。
お礼
>そしてここからは私の経験であって...から以降の回答は、今自分が直面している問題にピンポイントでした。 相手の心理が見えてきて、 自分の中の、似た部分も発見できて... 複雑な心境です。 お礼が遅くなりました。すみません