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両方ともあったの?(俳句『三日月の・・・』に関するエピソード)

花見の季節になんですが、 「三日月の頃より待ちし今宵かな」 という俳句にまつわるエピソードについて、おたずねします。 後に挙げるようなエピソードが紹介されてまして、 芭蕉と一茶のそれぞれについて、相当に似通った話のように思います。 どちらのお話のオチも、 俳句連衆から「今日は満月なのに、三日月はないだろう。」と笑われて、 おもむろに、「ころより待ちし、・・・」ということなんですが、 ◎どちらかが思い違いなのか、 ◎それとも両方ともあった(と伝えられている?)話なのか、 お分かりでしたらよろしくお願いいたします。 ---- 1.観音院 寺子屋 創作愛好会(http://www.kannon-in.or.jp/kanji/old/hk.htm) 高橋昭三という方の俳句教室でのお話で、 『 名月の晩でした。芭蕉は旅の道すがら、庄屋の庭先で、七、八人の 俳句連衆に出会い、 ・・・・・・  すると主らしい人が、「お前さんも歌心があるのだろう。一句詠ん でみないか」と短冊を差し出されました。  酔興におされて、芭蕉は「三日月の」と詠み始めました。・・・・』 2.毎日新聞・新季語拾遺(http://sendan.kaisya.co.jp/shuuibak_07.html) 「何かの本で読んだ小林一茶にかかわるエピソード。」として、 『 月夜の町をぶらついていたある男が、とある町内にさしかかると、 ・・・・月見をしている一団があった。みんなが短冊を持って俳句を作っているようす。 通りかかった男がニコニコしながら見ていると、 「おまえさんも俳句を作ってみるか。もしうまく作ったら、ごちそうするよ」 と短冊を渡された。 男はすぐに「三日月の」と書いた。・・・・』

みんなの回答

  • Kilgore
  • ベストアンサー率45% (10/22)
回答No.2

前回の質問で答えた者です。 私もご指摘のサイトで見てお答えしたのですが、 どうも単なる伝説のような気がしてきました。 調べたわけではないので自信はないけれども、 「三日月の」で、みんなに笑われて 「頃より待ちし今宵かな」とオチがくるのは 俳句と言うよりは、落語の小咄ですよね。 くわえて「待ちし」というのも臭い。 それを言うなら「待てり」ではないか…… 後代の人による捏造の可能性もあるんじゃないでしょうか。  回答になってなくてすいません。

mayapapa
質問者

お礼

ありがとうございます。 こちらで、#1~#2 でいただいた回答へのまとめてのお礼とさせていただきます。 ---- 芭蕉、一茶のそれぞれに、別々にあった話なのか、 後で誰かが創作したりということもあるのかどうか、 伝えられるうちに名前が入れ替わったりということもあるのかどうか、 など、いろいろ考えられるのかも知れませんね。 それと、芭蕉は、江戸前期、一茶は江戸後期ということからすると、 ・芭蕉については、本当にあった話で、 ・一茶はその話を知っていて、ちょっとしたいたずら心もあって、自分でもそういう場面を作って、・・・ というようなことかも知れないとか。 また、何かいい機会があったら確かめてみたいと思います。 ---- Kilgore さんの、「待ちし」、「待れり」についてのお話ですが、 「待ちし」の方が、英語での現在完了形のような、 その頃からこれまでずっと待ち続けたというニュアンスが出ていいのかとも思いますが。 --

  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.1

同じ句で作者が二人とは面白い話ですね。 私は芭蕉の句だと思います。 芭蕉は三日月に関しては、多くの句を詠んでいます。 三日月や朝顔の夕べ蕾むらん 朝顔は前の夕べの日から、蕾をつけている。 満月になる前の三日月と同じだ。 三日月の頃より待ちし今宵かな この句と、同じような発想の句だと思います。 【芭蕉俳句全集}】というHPがあります。 「み」のところをクイックしてください。 三日月の言葉が入った他の句が見れます。 http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/Default.htm

参考URL:
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/Default.htm
mayapapa
質問者

お礼

ありがとうございました。 #2 のところで、まとめてお礼をさせていただきます。