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「社会の底辺」とは
昔からある言葉で、また日常から何気なく使われている言葉ですが、 『社会の底辺』とはどう言うものなのでしょうか? 「社会の底辺に生きる」「社会の底辺に生まれる」「社会の底辺に落ちる」等の使われ方をしますが、『社会の底辺』の基準とは? ネガティブな印象ではあるものの、漠然として具体的な答えを見出せません。 よろしくお願いします。
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社会の底辺とは、やはり非常に漠然とした言葉であり、年齢や性別、地域によって異なると思います。 例えば、東京で年収600万円の場合、各種手当や制度の力を借りずに子どもを大学まで行かせるのは相当な努力が必要になると思います。家、車、教育のうちどれかをあきらめなければならず、それこそ底辺スレスレでしょう。しかし地方都市であれば年収600万円あれば家、車、教育の揃った標準以上の生活ができると思います。 これは公的な統計ではありませんが、参考としてhttp://wintory33.net/archives/2004/12/post_278.html「地域別給与分布 (2003/12/31)」によると、東京の45~49歳における平均年収は898万円ですが、秋田では510万円しかありません。しかも地方都市においても転勤などによって「東京の給料で」働いている人も多く、純粋に東京と地方都市のみでみた場合の平均年収の差はこれ以上だと思われます。 ですが、「社会の底辺」のひとつの指標として一応「年収二百万円以下」というものが挙げられるでしょう。 これは「東京都23区における生活保護の年間受給額が194万6040円(06年)であるから」(「貧困大国ニッポン」 門倉貴史 P4)です。生活保護で受給できる金額よりも年収が低いのですから、それは貧困ということができると思います。 ただしこれも複雑で、世帯としては独立しているが実際には両親からの援助を受けている人、個人としては200万円以下だが夫・もしくは妻の年収と合わせて世帯としては十分な年収がある人、また、年収が200万円以下ではあるものの経済的にしっかりとした異性との結婚と被扶養が決まっている人など、いちがいに200万円以下だから貧困、ということはできません。 成人以外では、子どもであれば年収を持って社会の底辺とは言わないでしょうし、年収があっても劣悪な労働環境にさらされている人なども社会の底辺と呼べると思います。 このように、社会の底辺という言葉は非常に漠然としています。ただ、無理やり具体的に定義するとすれば、「年収二百万円以下」、というものになると思います。
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- dai-ym
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本来は住む場所もなく着の身着のまま、明日どうなるか分からない人たちなんでしょうが・・・ 未だに日本ではホームレスの人が糖尿病になったりしているし、生活保護をもらっている人のほうが最低賃金で働いている人よりも優雅な生活が出来ていたりする・・・ 何が底辺なのかわからない混沌とした状態なのが今の日本なんだと思います。
お礼
こんばんは。 小説の登場人物のような、明日は明日の風が吹き、風の向くまま気の向くままと言う身上に、自由だな~と言う前向きな憧れを学生の時分には感じるたものですが、現実にそういう生活をするとなれば、今の日本の社会ではたちまち社会的信用が地に落ちてしまうわけですから、私には実行する勇気がでません。 最低賃金の元で不平不満を言わず、清く正しく生きているのに社会の底辺にいなければならない国・・・ある意味これも東洋の奇跡なのかもしれません。 本当に先の読めない昨今ですね。 アドバイス有難うございました☆
- h1r0s13
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具体的な街を言えといわれれば、 山谷(東京) 寿町(横浜) 西成(大阪) のドヤ街でしょう。 ドヤとは、宿屋のことです。一度体験されたらよーく、分かりますよ。 その「底辺に生きる」「生まれる」「落ちる」と言うことがね。 ちょっとだけ勇気が要りますけど、1300円から泊めてくれる所がありますよ。 ご参考まで。
お礼
こんばんは。実はドヤ街に行ったことが無いんです。 休日は様々な街並を散策するのが好きなんですが、意図して避けているわけでもないのに、どういう訳かドヤ街という所を通り過ぎたり、行き着いたことがありません。地理的な条件がなにかわけありなんでしょうかね。 日本は一応アジア最大の経済大国、福祉国家だと自他共に言われているにも関わらず、スラム街が存在すると言う事を考えると、実は欧米人からすると、まだまだ三流国家だと言う意味が解る気がします。 色々な怖い噂を聞きますがちょっと覗いてこようかな・・・ アドバイス有難うございました。
- tengenseki
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”社会の底辺”とはひどい貧乏の階層を指す事と思います。 その基準は無いでしょう。強いて言えば、例えば生活保護を 受けざるを得ないレベルから下という見方もあるでしょう。
お礼
こんばんは。 経済的な指標が鍵になるようですね。清貧と言う言葉の存在意義が問われてしまいそうです。ご回答有難うございました。
お礼
こんばんは。 アドバイス、注意深く読ませていただきました。リンク先のデータですが、私も現実的な統計だと思います。首都圏の所得水準をもちいて地方の所得水準を勘案すれば、地方住民の世帯の多くは社会の底辺の住民と言う事になります。しかしその低い所得水準の中で、人として文化的な生活を営んでいるところを見ると、一転して地方住民が社会の底辺の人間とは言いがたいものになります。また、壮年期の人間が、所謂フリーター的な就労をしつつ妻帯し、世帯運営をしているの相当数に上るはずです。 そういうことを踏まえて、「社会の底辺」と言うものが何かと考えると、社会の底辺と言われるものが非常に漠然としたものとして捕らえどころがなくなってしまいます。それがお察しの通り今回の質問の趣旨になります。 >無理やり具体的に定義するとすれば、「年収二百万円以下」 democ46の仰られるように、生涯所得を勘定に入れ文化的な生活を営む水準を考ると、200万円は生活できるぎりぎりの水準のようですね。 アドバイス有難うございました☆