>そうですよね、インキと言っていました。インキがインクに変わったのはいつごろなのでしょうね。
1800年に著された吉雄元吉「蘭訳筌蹄」においては「集薬品以代墨、名之云インキ」とあります。
1838年の宇田川榕庵「舎密開宗」では「墨汁(インキト)」とあります。
江戸中期にオランダ人と共に伝来し、その発音からインキやインクトと呼ばれ、また「阿蘭陀墨」ともいわれています。
一方、万年筆が輸入され、また丸善にて国産化が始まるとともに、これまでのインキ壺やインキスタンドといった従来のオランダ語風英語から一線を画す違いから、この青色の筆記墨はブルー・ブラック・インクとあえて呼ばせることになる。
「新しきインクのにほひ栓抜けば餓ゑたる腹に泌むがかなしも」と詠んだように、石川啄木にとっては単なるインキではなくインクでなければならなかったものかもしれません。
お礼
そうですよね、インキと言っていました。インキがインクに変わったのはいつごろなのでしょうね。