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「全てのものは変化する」への批判への反論2

以前、質問させていただきました「全てのものは変化する」のパラドクスですが、自己言及のパラドックス(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%A8%80%E5%8F%8A%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9#.E8.87.AA.E5.B7.B1.E8.A8.80.E5.8F.8A.E3.81.A8.E3.83.91.E3.83.A9.E3.83.89.E3.83.83.E3.82.AF.E3.82.B9.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82)と本質的に同じと考えます。「「クレタ人は嘘つきである」とクレタ人が言った」という例のものです。同じものだとするとタルスキー(?)が示した解決法でひとつの説明がつきそうです。 論理学的に同じと考えるのは適切でしょうか? *仏教思想的には「諸行」と「諸法」は別ものということで納得しています。

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noname#91529
noname#91529
回答No.4

同じといえば同じ 違うといえば違う という前提で解釈します。 自己言及のパラドックスにおける「クレタ人の例」は、 「全てのクレタ人が、うそを言う(ここの場面・時点では、うそは【偽】であると解釈されている)」という ことを 「真の命題」であると仮定する ことでおきるパラドックスです。 -真偽 -主客 -時空(歴史) -論理学の学的限界 が議論のテーマとなります。 第一段階 真実の言及にかんしては、 それは人が、「主」体的に「事象というオブジェクト=客体」を「明言」するという形式でなされる。  と解釈できます。 ここで、パーリ語・ギリシャ語などで見られる中動態(medium)という表現形式を中心課題として反省してみますと、 「真実の言及」ということで思いたつのはたとえば、音楽でしょう。 第二段階(比較) 万物は流転するという「日本語の命題」は、先人がつむいだメロディーを今のやり方でアレンジしたものであると解釈してみてはいかがでしょう。 このメロディーを主旋律として使うとどうかな、と考えるのは、当然わたくしたちです。 (ここで「考える」というのもキーワード=作曲理論をヌキニして作曲している人は果たしてどれほどの数存在するのでしょうか?) 音楽の歴史は哲学の歴史より長い。思考の歴史は、感情の歴史より短い。などなど これらのことに目を向けてみてください。音楽と哲学で比較するとどちらのほうが普遍性により近い生命様式でしょうか。 第三段階 第3の例示 音楽を創造する人間の営みというのは、自己言及のパラドックスの究極です。「何事も自分の中から しか 生まれない」のです。 この「何事も」というのがシカケです。 どうでしょう、難しくはないと思いますが。 第四段階はご自分でどうぞ・・・

noname#118718
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 質問の答えは何となくわかりました。 それよりもsanagi01さんの思考法を分析していたら、役に立つ読解法に気がつきました!たぶん奥義ですね! これは一生ものの資産になる予感がします^^ ありがとうございました。

その他の回答 (3)

noname#91529
noname#91529
回答No.3

niki00001さま  法則が普遍(不変)なもののヒトツであるというのが そう思えてしまうことの遠因ではないでしょうか。 ヘラクレイトス自体はそのようなことを述べているわけではありません。 いずれにしても、「例外のない法はない」という考えが一般的です。このQ&Aではそう(秘奥は不変なりと)考える人が少ないようです。 ・・・イエスも釈迦も便所に行った。世の中矛盾ばかり・・・ とか何とか聖人を嘲り、自問自答。自己に陶酔する人が多いところなので、仕方がありません。 個人的には「ドグマのパラドックス」とよんでいます。 レベルというより現代的立場では、ディメンジョンか、フェーズか、変数を伴ったベクトル・モーメントと理解するべきでしょう。 「時」と「場」のしがらみを常に内包した文化(非合理・主客滅却)のベクトルが背景としてあります。 たとえば「全てのもの」と万物とギリシャ語原語Περι φyσεωS Peri physeos またBios の違いをniki00001のおっしゃる「レベル」のヒトツとして解釈ください。 この関連が暴かれると職を失う哲学者も多くなるというのが現状です・・・ 読者の素養・出世というのもこのベクトルの中の一要素です。 ドグマ的立場から言えば、 注意していただきたいのは、 数学も権威付けのための道具・この種のドグマのヒトツでしかありません。 数学に対するロマン主義という点では、日本人が、デカルト・カントの影響下にあるということは言えるでしょう。ヒュームを詳細読解すると良いですよ。 回答のヒントとして 能動態・受動態と関連し、「Medium」という「態」をご存知でしょうか? 時空を超えた範囲で  万物は流転するという主張があるとすると 論理的には、流転のあり方が重要となるでしょう。 流転のあり方としては、ある一定のロゴスを起点基礎としながら、という一文が解釈の出発点となると思います。 原文に忠実に解釈するとすると、ロゴスの焦点です。

noname#118718
質問者

補足

回答ありがとうございます。 sanagi01さんの回答はいつも難しいです^^; あたかも暗号の鍵から暗号文を割り出せと言われるようなものです。 そこらへんの奥義を私が会得できれば対等にお話させてもらえるのでしょうが今は力不足で残念です。 ともかく、ヒントをじっくり考えてみます。 ありがとうございました。

  • magga
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回答No.2

「全てのもの」を厳密に定義しなければ、論理的にどうこう言えないでしょうね。 「l:あおjふぉ」は変化する!!といった人にどのように対応しましょう。「l:あおjふぉ」の定義を固めていかなければ語らいの中での、言葉として、論理としてさえ成立してませんからね。 まずは ●「全てのもの」ってなに?●の問いの答えで範囲ががっちりしてからでないと先の対話は無意味なものになるでしょう。 クレタ人のほうも範囲と根拠と論拠と他の他の根拠の洗い出し、それらから他の論をつくることは出来るか出来ないか。の検証が無ければ無意味な言葉遊びになってしまいますよねw 「論理学」がどの程度のものかは解らないので同じように考えるのが適切かは解りませんがw そのように思いました。 参考になれば幸いです。

noname#118718
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >「全てのもの」を厳密に定義しなければ、論理的にどうこう言えないでしょうね。 実はタルスキー(?)が示した解決法が、おっしゃるようにレベルをわけるっということらしいのです。 ちなみに、この質問はパラドクスに関するものなのでパラドクスが論理的におかしいとか言われると・・・^^; ありがとうございました。

  • shift-2007
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回答No.1

矛盾とは、ある事柄を絶対であると定義するところから生まれるんじゃないでしょうか。 「全てのものは変化する」は真理である。 本当に? これを絶対であるとするから矛盾が生まれるんじゃないでしょうか。 「常に嘘をつき続けるクレタ人」そんな人種見たことない。 真理と存在しない人種、次元が噛み合っていないように思いますよ。 もし同じというなら、それは言葉遊びであり国語の問題じゃないでしょうか。

noname#118718
質問者

補足

回答ありがとうございます。 この質問はパラドクスに関するものなのでパラドクスが論理的におかしいとか言われると・・・^^; >矛盾とは、ある事柄を絶対であると定義するところから生まれるんじゃないでしょうか。 矛盾を起こす考え方の是非ではなくて、なぜ矛盾を起こすのかを解明するのが目的なので矛盾を生む考え方が悪いというのは趣旨が異なります。 >「常に嘘をつき続けるクレタ人」そんな人種見たことない。 パラドクスなので・・・^^; >もし同じというなら、それは言葉遊びであり国語の問題じゃないでしょうか。 それが哲学なのですが、遊びではありません。 矛盾を起こすメカニズムを解明して、より精密に思考しようという試みです。

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