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汚れちまった悲しみに

中原中也の有名な詩に、「汚れちまった悲しみに…」というのがありますが、あれはヨゴレと読むのでしょうか、それともケガレでしょうか。どちらかだとはっきり証明するものがありますか。

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  • misoka
  • ベストアンサー率35% (56/160)
回答No.3

「汚れつちまつた」という表記だったかも...? 個人的には「よごれ」派です。 「けがれ」というようなやや固い、比較的文語的な 表現よりも、「よごれ」という口語的な表現の方が 吐露としての(?)この一句の調子にあうと思いますし、 「汚れ」の後に促音が入るなら、「よごれっちまった」 の方がより自然な気がします。 また、たとえば「汚れ役」というときのような 「よごれ」という語がもつ惨めさ(?)が 「狐の皮裘」とか 「小雪の降りかかる」などのイメージにあうんじゃないかな と思います。 いかかでしょう。

tacobe
質問者

お礼

なるほどその表記だと、「けがれっちまった」は変ですから、よごれ、でしょうね。解釈上のお説も興味深くうかがいました。

その他の回答 (7)

  • nom-san
  • ベストアンサー率16% (1/6)
回答No.8

「悲しみ」という感情の中で最も個人的で社会性を持たないものまでが「汚れっちまった」ことを中也が嘆いているのだから「よごれ」でしょう。「けがれる」と「よごれる」は似ているようで本質的に違います。そこに気づくと自ずと答えは出るはずですが・・・

noname#706
noname#706
回答No.7

高校生の頃、中原中也大好き先生が「よごれちまった~」と1万回ぐらい叫んでいました。(←大げさ) この詞が大好きな先生は教育要項も無視してこの詞のためだけに何時限もどう解釈するのかと熱く語っていました。先生の名前は忘れたけどこの詞だけは絶対忘れられないぐらいに。もし「けがれ~」だったら、あの先生に一筆書きたいぐらい。

回答No.6

私もヨゴレ派です。 気になって手元の岩波文庫を見ましたが、やはりふりがな無し。 詩を読み直すと、ヨゴレと読んだ方が、より表面的な汚れで、中心は白く輝いているイメージがあるように思えますが。 証明はできないのが残念です。

noname#1125
noname#1125
回答No.5

授業でならったときに先生は「よごれ」と読みました。 先生を信じてわたしは「よごれ」と読んできました。証明には ならないか~!

  • hi-chan
  • ベストアンサー率31% (29/91)
回答No.4

WEB上でこの詩が読めるところがあります。 「汚れつちまつた」と表記されております。 ふり仮名はないので、正しくはなんと読むか分からず、 本件の答えにはなってないのですが、ご参考までに。

参考URL:
http://www.gakkou.ne.jp/ken-h/yagino_h.htm#36汚れつちまつた悲しみに……
tacobe
質問者

お礼

これはいいサイトを教えてもらいました。ありがとうございます。

回答No.2

 「よごれ」だと思うのです。  根拠は、うたです。マニアックな話ですが、男性合唱の曲に、多田武彦作曲による「中原中也の詩から」という組曲があります。その中にこれが入っているのですが、そこでは「よごれちまった」とうたっています。  根拠に乏しいなぁ、、、

  • quark
  • ベストアンサー率25% (2/8)
回答No.1

回答。 文学者なら、もっと正確な解答をお持ちかもしれませんね。 私の普通の答とすれば、ケガレです。 悲しみは、物質的なものではなく精神的なものだからです。 単純でしょうか?