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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:なぜマルクス主義がそこまで人をひきつけたのか?)

なぜマルクス主義が人をひきつけたのか?

このQ&Aのポイント
  • マルクス主義がなぜ人をひきつけたのか、その理由を考える。
  • マルクス主義の思想が当時の人々に何をもたらしたのか。
  • マルクス主義の理念が口頭伝達で広まった可能性について考える。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.10

 マルクスが生きていた当時の資本主義というのは、ご存知のように労働基三法など労働者の基本権が全くない時代でしたから、資本家は好き放題労働者をこき使っていたわけです。  そうして当時、社会の仕組みを総合的に説明する理論がありませんでしたから、マルクスが資本主義を打倒することで労働者にとってバラ色の社会が生まれることは、経済学的(資本論)にも歴史学的(唯物史観)にもさらに哲学的(弁証法的唯物論)にも必然である、と説いたのは画期的なことで人々の関心を呼んだのは当然でした。  ところが、マルクスは、資本主義が高度に発達した結果、桎梏化してやがて革命により社会主義国となると書いていますが、実際のところ最初に社会主義国家となったのはモンゴルでした。 > 仮にナチではなく、マルクス主義者が政権を担っていたとしても、ドイツは幸せな国にはなってはなかったのに、と思いながらページを繰りました。  という見解はまさに正しく、それは実際にマルクス主義政権(ソ連邦・東ドイツ・チェコ・ポーランドなど)がどれほど国民の自由を奪い弾圧してきたかという歴史を知ることが出来るからですが、残念ながらそれを予見することは不可能でした。  他の回答者のコメントにあるように、マルクス主義は唯物論でありながらキリスト教(唯心論)のメシア教義(終末教義)に則り、資本主義はかならず滅びて楽園がくるという思想で、その理論は難解なあまりこれを理解できる者がプロレタリアート(革命意識を有する労働者)というエリートとして無知な大衆を導くというこれまた教会の牧師(神父)と信者の関係になっていました。  それは、回答者No.9の文章にも明白です。 > 被支配階級のなかに、文字の読み書きができて、文書作成ができる指導者があらわれて、理論家になっていくのでしょう。「カムイ伝」を読んでみて下さい。    同じくNo.9によれば、 > たくさんの理論のなかで、実際に歴史を大きく動かした理論が、社会主義・共産主義ではないでしょうか。現実が人々を動かします。歴史の激動期に、その犠牲を最小限にする理論家・指導者があらわれます。  ところが、エリートの扇動によって暴力革命が発生し、膨大な犠牲を伴って社会主義政権が生まれ、その体制は民主主義ではなくプロレタリアート独裁という形をとりました。こうして権力を握った連中はさらに権力闘争を経て個人独裁まで行き着きこれを維持するために、秘密警察を活用しさらに多くの反対勢力を粛清し、あるいは強制収容所におくりこんで死ぬまで働かせることになりました。事実旧ソ連の強制収容所の数は、悪名高いナチスドイツの収容所などと比べ物にならない膨大な数に上りました。  そのソ連が崩壊したのはまさに自由を求める市民(国民)の意志によるもので、マルクス主義(社会主義・共産主義)が歴史上拡大するどころか消滅しつつあるのは、これまた人類の英知の必然でしょう。          

kojiramone
質問者

お礼

大変遅くなりましたが、有難うございました。 社会主義の分野はしっかり理解しようとすると 奥が深くて一朝一夕には腑に落ちませんね。 勉強し続けたいと思います。

その他の回答 (9)

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.9

過去形で、「なぜマルクス主義がそこまで人をひきつけたのか?」質問されたのは、もうマルクス主義は、なくなったのですか?名前をかえて、今でも生きているとか? 日本の政党に、「日本共産党」という創立88年になる政党があります。それぞれの国に共産党があったのですが、名前を変えてしまって、「共産党」の名前を残している政党が、指でかぞえられるほどしかありません。 「資本論」を是非読んでください。新日本出版社から、新書版で13冊で出版されています。 1982年11月に第一分冊の初版が出版されて、2005年の6月で38刷ですので、5000冊づつ印刷したと仮定して、19万部は売れているわけです。 翻訳、訳出に50人以上の研究者が参加して、今でも「資本論」が読まれている先進資本主義国は、日本だけです。第一分冊238ページに、「もし、ヨーロッパによって押しつけられた対外貿易が、日本において現物地代の貨幣地代への転化をもたらすならば、日本の模範的な農業もおしまいである。」なんと、日本の記述があるのです。初版が1867年ですから、日本は、徳川時代の末期、幕末です。坂本竜馬や勝海舟や西郷隆盛や大久保利通、高杉晋作、木戸孝允が活躍していました。 どこの国のどの時代にも、支配者と被支配者がいて、階級闘争なり労働争議、小作争議、農民戦争、一揆があったのでしょう。被支配階級のなかに、文字の読み書きができて、文書作成ができる指導者があらわれて、理論家になっていくのでしょう。「カムイ伝」を読んでみて下さい。 たくさんの理論のなかで、実際に歴史を大きく動かした理論が、社会主義・共産主義ではないでしょうか。 現実が人々を動かします。歴史の激動期に、その犠牲を最小限にする理論家・指導者があらわれます。

回答No.8

 ANo.4  歴史の移り変わりを、一定のパターンで順序経路つけた。  観念論の批判のための分析とそのカテゴリを示した。   歴史の必然性という、幻想は一つの予言の役割を果たしえた。  キリスト教国でもどこの国でも、一定の何とかしたいという高い志しの人の気持ちをひきつけることもあった。  それはマルクスの頭の中の構想での国家や文化についてであったが。  歴史の展開がなされていないうちは一定の説得性があった。  当てはまらない事ばかりであったが、剰余価値論や原始的蓄積は一応一つの認識用具とは為りうるが。  ということで、私たちもみんなもずいぶん夢中にはなったが、細かいところはずいぶん無理に目を閉じ突っ走りもしたものでした。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.7

~主義ってのは近代社会における「カルト信仰」ですよ。 日本で言えば武士道かな。

回答No.6

マルクス主義は基本的に聖書のモーゼを下敷きにしてる救済論だから 人を引きつけるのでしょう。 真理に目覚めた我々が理想郷を建設するという。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.5

マルクスはかじった、もいかない、なめた程度ですが、一応大学のときにいまどき珍しくマルクスの政治理論をとったので、その聞きかじりから。 マルクスは、階級闘争、つまり労働者 対 資本家 貴族 聖職者 の戦いを前提にしています。 そして労働者が階級敵を打倒したあと、一時的にプロレタリアート独裁体制をしいて、戦争の後始末、資本の再分配、平等社会の実現、を行います。こうすれば、結果として国家がなくなる、国家の死滅、がおき、皆がはたらいた分だけ幸せになれる社会ができる、そう言ったのです。 マルクスの理論は大英図書館の蔵書と、ドイツ語文化圏の上に立脚しています。著作は全てドイツ語です。マルクスの墓はロンドンにあります。 マルクスによれば、労働者が革命を起こす国はドイツか英国、というのが前提でした。先進工業国で革命がおき労働者階級が生産手段を確保する、つまり社会インフラの整備手段とそれを整える力を労働者階級が確保することが、大前提でした。 また、特にドイツでことのほかマルクス理論が突っ走った背景には、ドイツ帝国(帝政ドイツ)では社会保険が欧州で最初に整備され、さらに実はユダヤ人差別も新興国家ゆえ根深くなく、なんか理想社会はもうちょっとがんばればできるんじゃない? と、人々が思ったからです。 ですが、マルクス理論を使った政権奪取が、ロシアで起きてしまいました。工業国でおきるはずの「革命」が、農業国のロシアでおきてしまった。しかも、よく見れば単に共産党と労農赤軍がトップに座っただけ、という、クーデターの大型版にすぎなかったのです。 ソ連は結局、レーニンが生きている間に、市場主義経済を一部解禁(ネップ)したり、そのなかで富農(クラーク)が生まれて貧富の格差が再発生したり、しかたないのでクラークを強制収容所という物を発明して弾圧したりしているうちに、レーニンが死に、スターリン独裁になってしまいます。 ですが、なんか見た目には 「マルクス主義の国家が革命でできたじゃん。各国の干渉をソ連共産党ははねのけたじゃん」 と見えました。実際、ソ連は世界恐慌にも巻き込まれず、どんどん強力になります(実は、農民を大弾圧してやり繰りしていただけですが)。内実を知らないで、マルクス主義をわが国でも、と思う人が多くなったわけです。 ただ、特に戦後西側諸国では、工業の発展により労働者も豊かになります。そうすると、特に革命なんてしなくてもいいじゃないか、という層が増えます。日本的に言うなら、一億総中流社会の到来です。むしろ、日本がみな平等の共産主義だ、と言われたくらいです。日本会社主義人民共和国、なんてジョークがありました。 また、マルクスは資本論の1巻しか書いていません。2・3巻はエンゲルスの手が入っており、それらがソ連のマルクス・レーニン経済研究所で編纂され、各国の人が翻訳していますが、マルクスはドイツで法律の勉強をしたので専門用語が多々含まれており、本意が正しく伝わっているかの問題がつきまとっています。いま読まれるのなら、大月書店の国民文庫の方が、よいとおもいます。 脱線しますが、ナチス、というのはドイツの歴史で唯一、バイエルンを基盤にした政権でした。ドイツ人にとっても、なんか妙な政権だったのです。ベルリンでは20パーセント以上の得票をしていません。後押ししたのは田舎で没落し、ワイマール体制に不満のあったユンカー層で、政権基盤は国防軍です。で、ソ連共産党とちがって、非合法な手段で政権についたのでは「ない」点で、大きく異なります。

回答No.4

 素晴らしいということであったが、中に入ってみるとどうって事もなく、周りもそんなにひきつけられていたとは思いませんが。  歴史の歩みのパターンと、資本主義のありようとその運命を予言と指し示しをしていたように喧伝されていたがそんなものは実際的には観念的見方の一つで新規のバイブルなんかでは全くありませんよね。  当時(60年前)も今も信仰するのは無理を乗り越える無理がありますね。

  • aburakuni
  • ベストアンサー率30% (470/1562)
回答No.3

基本的に「思想」と言うものは、「なあ、そうだろう」と人を納得させる様に組み立てられます。 「資本論」は「論理思想」であり、経済の仕組みと言う唯物史観で世の中の事象を分析し、過去を説明しながら未来を予測したものです。 但しそれは飽くまで文科的なものであり、理科的な発明や発展の部分は重視されていませんでした。 マルクス主義の脅威に対抗した資本主義は「修正資本主義」を作り出し、現在の世界経済を造り出していますが、一旦葬り去られたマルクスの予言の一部は、疎外感と自殺の横行と言った現在の病理の底に流れている様な気がします。 当時の若者は「自分の納得できる論理」を求めていましたので、簡単に論駁できないマルクス主義に傾倒する人があったのだと思います。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

なんとかせんといかんぞ!この不平等。 というときに、スイッチポン(革命)でみんな平等になれると思われたのがマルクス主義。 なんせ、アウフヘーベンしちゃうわけなので。一種の英雄崇拝ですね。あるいはキリストの再来による千年王国。 そうは、言っても、ちょっとづつでいいから改善しましょうというのが、フェビアン主義。外から見ると、かったるくてやってられねーよという感じです。 フェビアン主義は、軍事天才のハンニバルに対抗して時給戦略をとった将軍から。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%93%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A0%E3%82%B9 この将軍も、戦っている間は、ローマ市民に「一気にケリつけろ この 腰抜け」とか言われ続けたそうです。 ちなみに資本論は資本主義の研究であって、革命の方法とか、革命後のバラ色の社会を描いているわけではありません。 このへんも、天国のことを書かない聖書といっしょです。

  • tgiokoo
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.1

なぜならマルクス主義は人を惹きつけるように作られているからです。マルクス主義に惹きつけられるご自分の思考を観察してみればわかると思いますが、これは思考の病気みたいな作用を持ち、旧日本軍もその「伝播性」を研究していました。マルクス本人はろくに働いたこともないような人間でしたが、彼に注目し資本論を書かせるために投資していたのはロスチャイルドです。…あとはいろいろ検索してみてください。

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