• 締切済み

忍辱山流とはどういうものですか。

以下は奈良県忍辱山町の円成寺の歴史です。 756年、聖武天皇の御願により、唐僧虚朧和尚の開基と伝える。 1026年 命禅上人伽藍を再興。 1112年 迎接上人阿弥陀堂を建立。 1153年 仁和寺寛遍上人が入山。伽藍整備と密法の流布に努める。世に忍辱山流と云う。 ここにある忍辱山流とはどのようなものでしょうか。 仏教の素人でもわかるように教えていただけたらうれしいです。

みんなの回答

  • yanhua
  • ベストアンサー率72% (508/701)
回答No.2

No1.つづきです 忍辱山流の内容、いくらか当りましたがかするほどにも届きません。 以下いくらかの追加です。 真言宗(しんごんしゅう) http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran7/page009.html 加持祈祷の原点について触れています。 感想です: 修法においては、経典・曼荼羅により仏具も用いるにあたり、 解釈や作法が派生し、発展消滅するのはどの宗教にも見られることでしょう。 密教においては、“師弟直伝・心身で感得”すべきものとされてきた故、 伝法の関係上文書化は必要とせず(むしろ不可)、外に伝聞される筋合いのものでは 無いのでしょう。 参考: 1.事相、流派に固有 http://www2.city.ritto.shiga.jp/hakubutsukan/sub178.htm 引用:「~修法が大きな成果を挙げると、その流派の特別な修法として伝えられる こともあったのです~」 栗東歴史民俗博物館 2.Namazu全文検索で文献2件あります、内容は見えません。忍辱山流ではhitなし。 http://www.inbuds.net/search/namazu.cgi?key=%CD%FD%BC%F1%B7%D0%D2%D8%E8%B8%CD%E5&max=20&result=short 2-1.検索語:{ 寛 遍 } and { 修 法 } 内田 啓一「高野山遍照光院蔵の一字金輪曼荼羅 図像とその背景をめぐって」 著者: 不明 日付: Sat, 30 Nov 1991 00:00:00 『密教図像/密教図像学会』, 10 19911130 うちだ けいいち Uchida, Keiichi こうやさんへんじょうこういんぞうのいちじきんりんまんだら日本 日本仏教/真言宗/仏教美術 深賢/成賢/寛助 金剛頂経一字頂輪王瑜伽一切 http://www.inbuds.net/search/ib.cgi?0200-120 (536 bytes) 2-2.検索語:{ 寛 遍 } 森田 竜僊「御遺告及び御手印縁起の研究(下編)」 著者: 不明 日付: Thu, 01 Jan 1970 00:00:00 『密教研究』, 76 19410225 もりた りゅうせん Morita, Ryusen ごゆいごうおよびごしゅいんえんぎのけんきゅうげへん日本/紀伊国高野山 弘法大師/後醍醐帝/後鳥羽院/寛遍/道猷 御遺告/御手印縁起/宝簡集第48~59/ http://www.inbuds.net/search/ib.cgi?0078-005 (468 bytes) *図書館へお出かけになりますか?

noname#90931
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 大変参考になりました。 近所に図書館があり、しょっちゅう出かけています。 蔵書数が多くはありませんが、取り寄せてくれます。 ご紹介くださった本、読んで見たいと思います。

  • yanhua
  • ベストアンサー率72% (508/701)
回答No.1

私も素人です。 30年ほど前(今や昔ですね)某女と円成寺をたずね深い思い出があります。 貴質問を拝見し、これも縁かと思い調べてみました。 先ず、ご存知のことの重複乞ご容赦。 忍辱山(にんにくせん)とは柳生の里近くの真言宗の名刹円成寺の山号。 この山号が地名になり今も忍辱山町。 忍辱とは、身心の苦悩を堪え忍ぶという仏道修行の大切な徳目。 Wikipadiaで http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97 事相と教相 の項 ご覧ください。以下概要。 真言密教を学んでいくうえで、「事相」(じそう)と「教相」(きょうそう)が重要視さ れる。事相は真言密教を実践する方法、修法の作法を指す。「教相」は理論。 9世紀半ば(平安時代中期)から、事相の研究が盛んとなったが、 流派が分かれやがて三十六流になった。 真言密教の事相の流派は、すべて、広沢流・小野流の二流から分かれた。 広沢流 の項ご覧ください。 広沢流系流派略系譜 の内訳6派の5番目に、 ・忍辱山流略系譜(派祖・寛遍)空海-真雅-源仁-益信-寛平法皇(宇多天皇)                   -寛朝-済信-性信-寛助-寛遍   があります。    広沢流においては、寛遍 の直前の寛助までは共通です。    すなわち、寛遍 が忍辱山流開祖となります。    寛遍 をクリックすると、彼の事歴があり、忍辱山流の祖と記述が見えます。    また、http://www.naranet.co.jp/enjyouji/ には    仁平3年(1153)仁和寺の寛遍(かんぺん)僧正が東密(真言密教)の一派    忍辱山流を始められたとあり、    忍辱山流はの名称は彼が円成寺に入る前からのものか、    忍辱山の山号との前後関係など、さらに確認が必要に思います。 つまり、真言密教の実践に際しての実践方法や修法の一流派である、ということです。     その内容は存じません。 他参考URL http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/fujii-masako-gouda.htm   真言密教正統の受法 http://www.go-kito.com/top/modules/tinyd2/content/index.php?id=3   <諸流遍学>の項に続いて“事相面での研鑚は、まさに諸流遍学という~”   の記述があります。 おまけ:真言密教金剛峯寺根本大塔内の本物の祭壇で     おみくじと相性占いができます。 http://www1.plala.or.jp/eiji/sub7.htm

noname#90931
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 わざわざ調べて下さったとのこと、恐縮です。 忍辱の意味や、成立の過程などよくわかりました。 具体的な内容はなかなかググってもでてきませんね~。 そういうことはあまり口外しないものなのかもしれませんね。 大変参考になりました。

関連するQ&A