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蜜柑
芥川龍之介さんの作品に蜜柑というものがあります(皆さんご存知だと思いますが・・・)。蜜柑の主人公は私で、私と小娘の生活などを対比して書いていると思いますが、小娘の視点から見るとどのような物語になると思いますか? みなさんどのような考えをお持ちですか? 蜜柑というのを教科書で見て、ふと思いついた質問です。
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土曜日でひまなので,ちょっといたずらしますかね。 ------------------------------ 或曇つた冬の日暮。妾は横須賀発上りのうす暗いプラツトフオオムに、檻に入れられた小犬が一匹,時々悲しさうに、吠え立ててゐる声を聞きながら三等客車に乗り込んだ。それはその時の妾の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。 やがて発車の笛が鳴つた。妾は重苦しい不安を感じながら、眼の前の停車場がずるずると後ずさりを始めるのを見てゐた。三等客車は人であふれ,妾のやらうとしてゐたことができないことに気づいた。そこで日和下駄の音が鳴るもかまはず,車掌の何か云ひ罵る声も聞こえぬふりで、二等室の戸をがらりと開けて中へはいつていつた。妾は,気難しさうな,まだ三十には手がとどくまいと思はれる若い男の前に,ただ一つの空席を見つけて座りこんだ。男は汽車が動き出すとほつとした顔をして、巻煙草に火をつけながら、懶い睚をあげて、妾を不快さうに見下ろした。 その男は面長で神経質さうに苦虫をかみつぶした顔をし,頭髪は獅子のやうにすさまじく,如何にも都会者らしい風体だつた。着物も呉服屋に大金をはらって誂えたような気障があった。妾は怖くて霜焼けの手で風呂敷包みと、三等の赤切符をしつかり握りしめた。男は妾を明らかに気に入らぬふうで,田舎の愚鈍な小娘と見下してゐた。そして妾の顔を見ずに汽車旅を過ごそうといふ魂胆からか,ポツケツトの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見はじめた。 男は電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡して、なにごとか世間を倦んでゐるかのごとく長嘆息した。妾がずつと男を見てゐると,男はその視線を感じたものか,居心地悪さうに身じろぎした。この男の頭に去来してゐたものはなんであつたらうか。妾には到底わからない大人の,あるいは都会の何事かであつたらう。男は読みかけた夕刊を抛り出すと、又窓枠に頭を靠せながら、死んだやうに眼をつぶつて、うつらうつらし始めた。 妾には時間がなかつた。やるべきことがあつた。男の隣に席を移して、窓を開けようとしたが、重い硝子戸(ガラスど)は中々思ふやうにあがらなかつた。妾は顔を赤くして、時々鼻洟(はな)をすすりこみ,力いつぱいに力んだ。男は目を開け,妾にわずかの関心を示した。まもなく隧道に入らうというのに窓を開けやうとしていゐる妾を,不審な冷たい目で見た。間もなく凄じい音をはためかせて、汽車が隧道へなだれこむと同時に、硝子戸はとうとうばたりと下へ落ちた。さうしてその四角な穴の中から、煤を溶したやうなどす黒い空気が、俄に息苦しい煙になつて、濛々と車内へ漲り出した。男は手巾を顔に当てる暇さへなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、殆ど息もつけない程咳きこんだ。妾は男のことを気にしてはゐられなかつた。窓から外へ首をのばして、闇を吹く風に銀杏返しの鬢の毛を戦がせながら、ぢつと汽車の進む方向を見やつた。 汽車が隧道を辷りぬけ、枯草の山と山との間に挾まれた、或貧しい町はづれの踏切りに通りかかつた。それが妾の目的地であつた。三人の弟が、目白押しに並んで立つてゐた。弟たちは汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、せいいつぱいの声で妾にさようならを告げた。奉公が辛くてもくじけるんぢやねえぞ。妾は手をつとのばして勢よく左右に振り,懐にいだいてきた蜜柑がを弟たちに投げ与へた。 男ははつとした顔をしてゐた。なにかを理解したやうに口元がゆるんだ。それから東京につくまで,心なしか男が怖くなくなつたやうな気がした。