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中道

「中道」を考えると何にもできなくなりそう。 どちらにも偏らないようにするのは大変難しく、 何をやってもどちらかに偏ってしまい、何もできなくなる。 何もできないからといって何もしなければ、 何もしないという方向に偏ってしまう。 どうすればいいんですか? あと、真理の方へ偏ってしまうのは構わないのですか? また、自分が偏っていないとするよりどころは何ですか? よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • mmky
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回答No.1

>>>「中道」を考えると何にもできなくなりそう。 こういう「中道」を履き違えてとってる人が多いのですね。 勉強しない→少し勉強する→がんばって勉強する→死んでもいいから寝ずに勉強する この例では、「中道」の位置は「がんばって勉強する」なんですね。無理無理は先で倒れるのだからだめですよ。といってるだけなんですが、愚者(あえて愚者といいます。)は、「勉強しない」→「勉強する」の中ほどと考えてしまうのですね。 もっと良いたとえは、そうですね。バイオリンにしましょう。 バイオリニストはバイオリンの弦を張りすぎると弦が切れて演奏できなくなります。一方緩めすぎるとまともな音が出来ません。適度に貼ればよい音が出てよい音楽を奏でることが出来ます。 この良い音を出す弦の張り方のような生き方を中道、中庸というのですね。バイオリンをやるかやらないかという次元で使う言葉ではないのですね。バイオリニストなど上を向いて修行している人への修行の方法を言ってるのです。 つまり、自身に少し厳しく当たるのが中道の道なのですね。 修行者が楽なほうを選ぶ。それを戒めるのが中道の教えと思えばいいのです。 お分かりだと思いますが、上を向いた修行者〔どんな分野でも良いですよ)以外が中道、中庸を語ると、必ず「中道」を考えると何にもできなくなりそう。と考えるのですね。だからあえて愚者といったのです。 愚者は賢者の言葉を理解できない。の例えからとったのですね。

noname#106800
質問者

お礼

回答されてる例えは分かります。 僕が疑問に思っていたのは、バイオリンの例だと モーツァルトが好きだからとモーツァルトの曲を多く弾けば偏り もし「好き」という部分に問題があるなら「依頼」でも良いですが・・・。 演奏回数や演奏時間などの偏りでした。 中道とは適正ということですね。 ありがとうございました。

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