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松永久秀 宇喜多直家

戦国の悪人というと、松永久秀、宇喜多直家が浮かびます。 この時代に謀略、裏切り、下克上は当たり前だったはず。 何故彼らは悪人と言われるのですか? 彼らは存命中に、もうすでに周囲から悪人と言われていたのでしょうか。 それとも、後世に悪人と言われるようになったのでしょうか。 この二人が臣下の裏切りに遭ったという記述は、いままで見たことないです。 特に直家は有能な家臣に、小さい頃からよく支えられて盛り立てられています。 また彼に殺された金光宗高の子等も、後に宇喜多軍で、手柄を 立てています。 二人とも実際には非常に魅力のある人物だったのではないかという気もするんですが。

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  • hirarno36
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回答No.6

悪党とは現代で言う意味合いとは少し違った意味を持ち、強い人たちとのイメージがあったようです。 松永久秀については他の方の回答と同じくしていますので割愛。 宇喜多直家にはいろいろ逸話があります。 直家が病死する寸前、家臣(それも重臣)の一人に「殉死してくれるのか?」と訪ねたところ、その家臣は「普段から殿が可愛がっている法華の坊主どもにお頼みあれ」といったとか。直家が普段から僧侶ばかりを可愛がり、重臣たちに褒美が少なかったので家臣が嫌味を込めて言ったと言うものです。 また、直家自身が縁組した中山某(舅)を責め滅ぼしたり、娘(養子も含む)を嫁がせた家を安心させてから謀略(暗殺)を計った。 そのため、直家の弟、忠家は兄の前に出る時には鎖帷子を肌身に着けて出たと言われるほど用心していたという逸話は有名。 反面、宇喜多能家(直家の祖父)の仇を討つため幼少の頃から用心深く過ごし(敵に討たれないため)、ついには本懐を遂げるなどしている。 その幼少期も宇喜多家再興のため家臣が良く尽くしている。一子秀家も秀吉の養子の中ではとても出来の良いほうだったのを見ても、直家自身、名門を誇っていたと見て良いだろう。 ただ悪いだけでは備前、備中、美作の三国を治める事は叶わなかっただろう。

その他の回答 (5)

回答No.5

松永秀久は三好家の家宰(家老)であったのに主君の長慶を謀略し、また足利義輝を三好三人衆と共に室町御所で殺害し、さらに三好三人衆が篭る奈良東大寺に火をかけて大仏を消失させたと言われます。 宇喜多直家は浦上家の家臣でしたが、これも主君の浦上宗景を謀略で討ち、備前の太守に成り上がっています。 下克上を絵に描いたような人達だったみたいですが、松永久秀は【悪】と云われていたと聞いても宇喜多直家が【悪】とは聞いた事がありません。 直接の主君を討つっていうのは戦国時代には有りな話ですが、将軍を殺し、協力していた勢力(三好三人衆)を倒し、あまつさえ大仏を焼くっていうのは当時の人からしても悪逆非道だったのではないでしょうか。 織田信長も比叡山の焼き討ち後には【天魔】と呼ばれています。 当時は今よりも神仏への帰依が顕著だったので、かなり衝撃的事だったと思えます。 因みに秀久は後に織田信長に降りますが、2回謀反し最後は居城で爆死しています。 一方、直家は病気で若くして死にますが、その子の八郎は羽柴秀吉に庇護され秀の1字を貰い宇喜多秀家と名乗ります。

  • nene-k
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回答No.4

源義朝の長男・源義平(頼朝の長兄です)は、長年、領地を盗ったり盗られたりしていた叔父の源義賢(木曽義仲のお父さんです)を、父の手を借りずに、わずか15歳で倒して領地を拡大した時、自ら、「悪源太義平」という異名を名乗ります。 この時の「悪」は、叔父を斬った悪人という意味ではなく、親子ほど違う勇将を討ち破った強さを表現しています。 つまり、「悪源太義平」とは、「悪=メッチャ強い」「源=源氏の」「太=長男の」義平という意味になります。 南北朝時代の楠木正成なども「悪党」と呼ばれますが、これも悪いという意味ではなく、強いという意味で使われてします。 中世において同じような使われ方をするのに「鬼」というのもあります。 「鬼」も、今なら、「鬼のような人」と言えば、鬼のように冷酷で非情な人という解釈をされますが、当時は、「鬼のように強い」という意味で、武士にとっては褒め言葉となっています。 森蘭丸の兄・森長可は、越後の春日山城へと迫りつつある時、本能寺で弟が亡くなった事を知らされ、畿内へ戻ろうとしますが、その時、行く手を阻む武田の残党を斬っては捨て、斬っては捨てと、まさに鬼神のごとき形相で戦ったので、「鬼武蔵」という異名を持っています。 その事を考えれば、この「悪人」というのは、善人では生き抜いていけない当時の武士にとっては、褒め言葉だったのではないでしょうか。

noname#87391
noname#87391
回答No.3

現代の悪とはちがうでしょう 直江兼続の兜の愛も 今の愛の概念とはね 違うでしょう 愛宕権現の愛 常勝の願いです(本佛は勝軍地蔵)愛民の愛じゃない てな具合 ですから 極悪非道の悪じゃなくて 純粋の悪としての概念なんかないでしょう 生き残れば その手段は正しい時代ですから 大仏を焼き 貴人のだれそれを殺しても 並のヤツやないわぐらいですね また油断できないヤツと認識するための昔ことばです 宇喜田さんは聞きませんね 普通の謀略クラスでしょう それが普通でしよ

  • jamiru
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回答No.2

悪人と言われても根性がすごいんじゃないかな。 双方低い場所から上り詰めていますし。 悪事だらけの根性無しは名は残ってないでしょう。

  • J_Hiragi
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回答No.1

悪人と呼ばれていても人を引き寄せる魅力がなければただの罪人になり果てると思います。 ちなみに直家の逸話はしりませんが久秀は信長に仕えた間に家康に紹介された際に悪人とハッキリ伝えられたそうです。 (奈良の大仏を焼き、主君を裏切り、将軍の義晴を殺したうちの一人だと言ったそうです。)