• 締切済み

人間って何故・・・?

初めましてこれが初投稿となりますが、これからも何卒よろしくお願いします。 では本題に入らせていただきます。 何故人間には『飽きる』という 事(?) 物(?) 感情(?) があるのでしょうか? 自分はお茶漬けが大好きで、毎朝の朝食が楽しみなわけなのですが、朝食がお茶漬けとして出てきて一ヶ月したころから「初めて食べたときの感動やうまさがないな~」と思い始めました。 そしてある朝も大した感動もなくお茶漬けを啜っていたのですが、ふと飼い犬を見ると、毎日同じメニューなのに飽きもせず美味しそうにがっついていて「飽きるという感情がないのだろうか?」と、疑問が生まれました。 少しインターネットで情報収集しましたところ、人間以外の動物には飽きるという感情みたいなものが存在しないという記述を見つけました。 自分なりに色々と考えてみて「人間以外の動物はその時の食べないと次はいつ食べれるかわからないので、飽きるとか云々を言うまえに生きるために食べ、毎日の食事に飽きて食べれないということがないように飽きるという感情が退化してしまったのでは?」という考えに行き着きました。 それに対して人間は「長い歴史の中色々な味を知ってしまい、新たな刺激というものに依存(?)しそれが人類が生き、進化していく過程で「飽きる」という感情になってしまい今に至る」という考えが思い浮かびました。 誤字脱字が多く長い文章になってしまったかもしれませんが、皆様の『飽きる』という感情についての貴重なご意見等等をお聞かせ頂ければ幸いです。 では、よろしくお願いします。

みんなの回答

  • anshu
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.9

世阿弥『風姿花伝』の中の「別紙口伝第七」に、 すっきりした回答が見つかるもと思います。 ぜひご一読を。↓ http://nobunsha.jp/book/post_13.html

参考URL:
http://nobunsha.jp/
  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.8

参考程度に 「飽きる」 動物と人間の違いは明白に存在しますね。 「本能」という言葉と「飽きる」という言葉は相反してますね。 動物はほとんど本能のままに生きてますね。本能は今風に言えば「プログラムされた。」という意味ですから、プログラムどおり動く、生きるということですね。この本能の元では止めたい、いやだなどの感情表現の「飽きる」は存在し得ないですね。 一方、人間には本能というのはあるけれども自身で制御できる、あるいは新しく作れるという動物に無い特殊な才能「あえてここではプログラム」とよびましょう。が備わっています。 自身で制御できるということは、両極端が存在できます、それは「良く飽きもせず。」と「まあ飽きてばかり。」という表現に対応する人間ですね。 一般的には両極端の中ほどの人がほとんどですね。とはいえ誰しも「飽き」はあるわけですが、その飽きの理由は何かといえば、他の回答者の答えにもあるように、「発展・進歩」のプログラムが組み入れられていると考えるのが妥当な考えだと思いますね。 科学的にはエントロピー増大の法則ですか。 つまり、同じプログラムのままではいられないようなプログラムが内在しているという考えですね。 これは、例えば世界中の人間が美は美としてとらえる醜は醜としてとらえるということをプログラム的に考えると、改変プログラムも同じ土俵で考えられるということですね。 そうであれば「飽きる」ことが正しいことになりますが、それでは「飽きもせず」に対する答えになりませんね。「飽きもせず」は改変プログラムに違反しますので、改変プログラムを正しいとするならば「破壊プログラム」がないといけなくなりますね。 これが想像と破壊の破壊とも考えられますね。収穫逓減の法則のようですが、飽きて他のことを始めないと進歩が無くなる。停滞が起きると破壊プログラムが動き出す。戦争も一種の破壊プログラムなんでしょうね。 というように、「飽きる」を考えるだけでも人間の神秘を感じますね。

aadfnhaadf
質問者

お礼

ただ本能のままというのは生きることに意味があるのでしょうか。何故人間だけそんな特別な「プログラム」が備わったのでしょうか。本能のままに生きて、食べて寝る。確かに楽かもしれません。ただ私たちは変わっていけることを知ってしまいました。だから、決まった未来なんかじゃなく、自分達で選ぶ未来がほしいのかもしれません。それが「飽きる」ということへの考えの一つかもしれませんね。 戦争をそう考えたことはありませんでした。ただ人々の思惑のために意味のない殺傷を繰り返すあまりに悲しい出来事、としか捕らえてませんでした。その裏には人間の本能的な何かがあるのかもしれませんね。今まで考えたこともなかった事でした。 とても参考になる良いご回答をありがとうございました。

noname#100496
noname#100496
回答No.7

動物よりも、人の脳が発達してるのが原因です。脳は変化や刺激で発達します。人類は、ことばの刺激で脳が発達しました。だから脳が、自我が、変化を要求します。だけど人が脳の要求に応じ過ぎると、心がストレスになります。現代人の娯楽は、脳を刺激するものが多いです。昔の日本人の娯楽は、脳を休ませるのが好まれました。だから水戸黄門のドラマみたいな、ワンパターンの繰り返しが好まれました。なぜかというとストリーが単純な方が、脳が休むからです。脳が休むと心が癒されます。だから脳が発達していない動物は幸せです。人も動物を手本に脳を休ませましょう。そして幸せになりましょう

aadfnhaadf
質問者

お礼

仰るとおり人間は他の動物より群を抜いて頭が発達していますね。それなら、動物の中でも頭が良いとされている「カラス」や「イルカ」等も飽きるという感情が強いのだろうな、と思ってしまいます。ただ一概に脳が発達していなくて「飽きる」という感情が薄いことが幸せなのでしょうか?私は思索して色々な事を考える事も一つの幸せと考えます。 現代社会人には仰るとおり脳の休みが必要ですね。私たちは急ぎすぎているのかもしれません。ただ進化の歩みを止めるのではなく、駆け足ではなく少しゆっくり歩いて、少し周りを見渡してみるということも大事なのかもしれませんね。 とても参考になるご回答有り難う御座いました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.6

食べ物に関しては、味じゃなくて匂いが食欲を刺激する。 風邪ひいて鼻つまってくると好きなものなら食べれると思っても「味がしない」となるが、実際は匂いがわからず食欲が出無いから。 好みだったものがそうではなくなったってのは、人間は刺激に対して耐性をもち、慣れると刺激ではなくなることがある。 例えば時計を買ってチクタクという音がうるさくて眠れない状況が続くが、チクタクが日常の音ってなると、無視できるようになる。 ところが、チクタクの後のぼっかーんって爆発したという経験を持つと、チクタク音が強化され、時計の音を聞くだけで、ドキドキとなり、いくら毎日爆発することはないって経験を積んだとしても、無視できないままになるわけです。 で、好きってものすごい感情が続くと、人間は常に興奮状態になるので、あの人の代りに死んでもいいと思った相手と結婚して、数年後 あの気持ちは今は無いと思っても、それはそれでよい。 ずっと興奮状態だと疲れるから、美しい妻は日常の風景になっていくわけです。 で、美しい妻が日常になると、別の刺激に対して針をふるようになる。 がさつな女ってのは非日常なわけで、逆に新鮮になってしまう。 で、がさつな女とづっとつきあっていて、ふと家に戻ると妻が美しいと思って、「こんなしぐさしていたっけ?」とか新しい面を見て刺激されるわけです。 ほんで それもやがて日常になって、新しい刺激がないと興奮しなくなるので、キャバクラとか行って 珍しいものを見て刺激を感じて興奮して、快楽物質を放出するわけです。 ケンタッキー たまに食べたくなる。 カップラーメンも、マックも時々食べたくなる。 毎日食べてたら飽きちゃうけど、疲れているとき塩気のあるものが欲しくなるので、「ああ ケンタッキーたべたーい」となる。 (で、塩食べ過ぎてお便秘になる。) ってことはやはり味なのか???? んーーー だいふくはストレスが溜まっていると、食べたくなる。 甘いものを食べることで、幸福感が増す体質。 甘い匂いも緊張した状態を緩和する作用があるんじゃないかと。 で、ゆるゆるになり、今度は腹が下る。笑 おちゃづけってのは塩入ってますから、塩って人間の体に必用なものだから、肉体が疲れていると塩気欲しくなるのは、体が求めているからじゃないかと。 電解質だったか何かが活発になるとかなんとか。 ということで、人間の欲求って肉体が必用とするものを、食べたがる傾向にある気もするんですね。 匂いで記憶して、このときはこの食べ物ってなっているのかも。 で、飽きるってのは、今は必用じゃないってことで、刺激に対して針が触れないだけかもしれない。

aadfnhaadf
質問者

お礼

仰るとおり「あれが食べたいな」とかありますね。肉体が必要としている物なのに「飽きる」とうことがあるのを少し不思議に思ってしましました。 人間にとっては生きることに必要な食事さえも娯楽とするようになってしまったのでしょうか。傲慢な生き物なのでしょうか。人間は。

回答No.5

 飽きないのは、日月星辰や植物たちの日々、運行でしょうか。  動物も飽きますよ。我が家の猫ちゃんは同じフーズや料理に、最初は喜ぶけれども、段々飽きてきます。    観 世阿弥でしょうか。  初心不可忘 時々の初心不可忘 老後の不可忘  求道もやはり、日に新た 日々にあらた 允に日々にあらた  でないと、飽きますね。  人間も、宇宙も、全創造界が止まることと止まらざる(飛行)とを同時に行っている、飛ぶ矢の存在だからでしょうか。  変化に対応し、しかも進歩をしなければいけない。  しかも大地に足をつけていなければいけない。  この事情や状況は、大きくいえば宇宙生誕以来の継続なのでしょうか。日の下に新しきものなしとか。    飽きたり、倦んではならない。孔子のことばですけど。  私たちはただそうやって、自分を歩くのでしょうか。  何故飽きるのか、自分のいく価値性が雲って、翳んできたときでしょうか。  そんなことを思い出しています。自分の課題のために、飽きる時間がないのです。  不遜は承知の上で、いうまでもなく、いつも後悔の未熟者です。

aadfnhaadf
質問者

お礼

時は何に阻まれることもなくただ、誰にも平等に進み続ける。その中で歩みを止めてしまったものは、それは「死」を意味するかもしれません。私たちはそのことを本能的にわかっているのかもしれません。その表れが「飽きる」ということなのかもしれませんね。 とても参考になる言葉等の、私の知らないことがわかって、また「飽きる」ということへの見方が変わった気がします。 とても良いご回答有り難う御座いました。

noname#194289
noname#194289
回答No.4

飽きるという字に食がついているように、飽食することが飽きるの原型だと思います。人間以外の動物でもライオンなども大型草食動物の肉をたくさん食べた直後は全く食べ物になる動物に関心を示しません。また錦蛇なども大型動物を呑み込んだあとはひたすら休息のようです。いずれも飽きたに相当することではないかと思います。空腹感があれば、お茶づけも前と変わらず今でもおいしいのではないでしょうか。

aadfnhaadf
質問者

お礼

なるほど。仰るとおり満腹は一種の「飽きる」ということかもしれませんね。気付きませんでした。灯台下暗しとはこのことですかね。もっとこんな身近に「飽きる」という感情があったなんて新発見です。 今までとは違った視点からのご意見でまだ自分の「飽きる」ということについての知識が深まりました。とても良いご回答有り難う護持増した。

  • ijuko
  • ベストアンサー率29% (31/104)
回答No.3

重複する点がありますが、 人間は常に向上心を持っているもので、現状だけでは満足できなくなっていきます。それが飽きではないでしょうか。でも、好む刺激は早々変わるものではないので、しばらくするとお茶漬けがまた最高の味に感じる時が来るでしょう。 人間は本能以外に娯楽面で選択肢がありますよね(動物にはないものだと思うのですが…)。時には違うものを選ぶ幸せも感じたい=飽きなのではないでしょうか。 こちらこそよろしくお願いします。

aadfnhaadf
質問者

お礼

仰るとおり常に人間は向上心をもって、現状に満足することはないですね。その表れが社会に出ている気がします。企業はどんどん新商品を作り「より高みへ」と日々努力を続けていて、自分達はその刺激に惑わされる日々です。こんな現代が人間の飽きるという感情を促進?させたと考えらる気がします。 一つの物への感情が薄れたのではなく他の物が今までとは違った刺激を持っていて、それが新鮮に感じられるというのが「飽きる」ということなのですね。なんとなく納得できた気がします。 とても良いご回答有り難う御座いました。

  • au-soleil
  • ベストアンサー率30% (168/546)
回答No.2

「飽きる」って飽和の「飽」の字を使うくらいだからね…。 対象が物品だけでなく神経(精神)に於いても、飽和の状態を云うのだろう…。きっと。 人間は飽きるほど、その物を使用しなくとも、新しい物(代替用品)が出現すると興味は移行しますね。 犬だって大好きで夢中で遊んでた玩具を目前に、新しい玩具を与えると、途端に気が移り、古い物には見向きもしなくなる。 分析すると、犬も人間も古い物から新しい物へと興味は移行するのだろう。 お茶漬けだって「飽きないんだよね」という物(献立)があっていい筈。ただ、おおかたの人は、そのお茶漬けと出会う以前からお茶漬け以外の食べ物の味を知っているので、遅かれ早かれ、いづれ違う食べ物が欲しくなる…。 結構、「飽きる、飽きない」には、かなりの個人差があると思います。 飽きたからと言って伴侶を替える人は滅多に、と言うか、まずいないでしょう。 その対象が物品であっても、飽きるという感情を持つ以前に大切に取り扱う事を教えられ、美術品の様な骨董品の中で、まさしく飽きもせずに暮らしている人もいるようです。 ちなみに、私は物の多い暮らし(消費社会)に育ち、物の大切さを教える躾が緩かった?ため…要するに育ちが悪い…自分は飽きっぽいと自覚してます。

aadfnhaadf
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 確かに現代人は飽きるのが早い?ような気がします。父の話を聞いてみましたところ、昔は物一つ一つをとても大切にしていた時代のようで、「少しほつれたから」といってまだ全然着ることが服等を捨てたり、グローブが外の革が破れて中の綿らしき物が出てきても自分たちなりに直して、本当に擦り切れてグローブとしての役目が果たせなくなるくらいまで使っていたそうです。現代人は一つ一つへの感情移入が確かに薄い気がします。今、新商品がどんどん作られて、物の常識等が目まぐるしく変わっていく中で進化の道を歩むのも良い気はしますが、今までを振り返りそれを生かすことを考えるのも大事かもしれないですね。 後、au-soleil様が仰りました個人差も確かに存在しますね。友人の家をいつ訪ねても、「またそれなのか?」と言いたくなるくらい、いつもやっている遊びがあるのですが、本人曰く「面白い物は飽きない」そうです。やはり飽きにくい性格をしているんですかね。 今、壊れたらすぐ新しいのが手に入るという状況が「飽きる」という感情に影響しているのかもしれません。その物を一方向からではなく色々な視点から見て良いところを見つけ、少しは愛着をもって大切にしていきたいですね。そうすれば少しは、飽きやすい性格が解消されるかも?しれませんね。 とても参考になるご回答有り難う御座いました。

  • misaemasa
  • ベストアンサー率16% (87/532)
回答No.1

飽きるということは、現状では満足しない。 つまり、進歩する可能性があるということです。 成長するために人には心があるのです。 味覚だけではなく、ありとあらゆる物です。

aadfnhaadf
質問者

お礼

早速ご回答有り難う御座います。自分を違う意見を聞いて新たに違う方面から「飽きる」ということを見ることができました。 つまり「飽きる」というのか向上心の延長上?と考えていいのでしょうか。人間の自分で言うのは難ですが、人間は生き物の中で最も優れた生物に成り得ていると思うのです。地球に生物が生まれてから現在に至るまでの間に、全ての動物の中で王者に君臨した動物はそれ以上進化できず、環境の変化に対応できず、大規模な環境の変化が起こると生き残ることができない、と書籍で目に入りました。果たして人類はこれ以上進化し続けるのでしょうか?人類が今まで気づいてきた知恵や教えは今までの過去の常識にはとらわれないのでしょうかね・・・。 疑問は残るばかりです・・・。 とても良い意見を有り難う御座いました。

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