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なぜほとんどの人は宗教を「向き不向き」で考えるのでしょうか?
- なぜほとんどの人は宗教を「向き不向き」で考えるのでしょうか? 宗教の意味を履き違えていませんか? 私は全ての宗教は間違っていると思います。
- なぜほとんどの人は宗教を「向き不向き」で考えるのでしょうか? 科学的な根拠があるにも関わらず、宗教の教えを信じる人々がいる理由は何でしょうか?
- なぜほとんどの人は宗教を「向き不向き」で考えるのでしょうか? 宗教の意味や目的について再考してみる必要があるのかもしれません。
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興味深いご質問ですので回答したくなりました。 また、添付映像で紹介していただいた"10 Questions that every intelligent Chiristian must answer"は大変面白いものでした。知人にも教えてあげようと思います。 さてご質問のうち > ほぼ全ての宗教は科学や論理的に間違っているということが証明されているのになんでまだ信者が存在するのでしょうか? > 根拠や理由がまったく無い物を信じることはおかしいと思います。 について、質問者さんのお考えは良く理解できるのですが、それに対する回答は 1)人は「正しいから信じる」のではなく「信じているから正しい(と思いたい)」ものだから 2)宗教が存在し続けるのは、それを必要とする人々が存在しているから と言うことになろうかと私は考えます。 1)について補足すると、宗教とは言えませんが、似たような例で超自然現象のビリーバーさんについて考えてみましょう。 ミステリー・サークル、降霊術、ネッシー、アダムスキーのUFO等々、いずれもブームになった火付け役の人たち自身が「実はインチキでした」と告白したりインチキの証拠が明白になったりしたのにも関わらず、ビリーバーは相も変わらず信じ続けていますね。 まあ超常現象ビリーバー程度なら他者に与える実害は少ないと思いますが、これが政治心情的なビリーバーだったりすると社会に与える影響も大きなものがありますし、時として怖いものになりますので要注意です。 2)について補足すると、「宗教を必要とする人々」には大きく分けて二つの階層があると思います。 その一つの階層は「信じていたい」人々で、この社会に生きていて不幸なことや悩み抜いていることに対して何か納得のいく説明や将来の希望を持ちたいと願う人々です。 その人がたまたま触れた宗教(何でも良い)の教義や指導者の導きによってその願いが叶えられ(たような気がして)、その宗教に基づいて自分の世界観を構築してしまっていて、今ではそれで上手く生活できているので、いまさらそれを崩されてはアイデンティティの喪失につながり不安になる人々です。 もう一つの階層は、宗教団体を組織している側の人たちです。 この人たちは組織人員を増やすことと内部の結束を固めることが「聖なる」仕事ですから、これはもう多少の科学的矛盾など屁でもありません。 困ったことに、この後者の宗教組織指導者階層が時の政治権力と結びつきあるいは一体化した時には、信者たちが兵隊に駆り出されて様々な恐ろしい悲劇・戦争を起こすことが歴史的にも数々あったし、現在も起きています。 日本国憲法はじめ先進国の憲法が「政教分離」を掲げているのは、この歴史的な苦い経験からでしょう。 なお私自身は無神論者ですが、神主さん、お坊さん、牧師さんにも知り合いがいます。 あの世の問題については意見が違うでしょうが、「この世の問題」については見解やなすべき事で一致できるところも結構ありまして、そういうときには協力して何かを一緒にやったりもしています。 さて、ご質問は「なぜ人は宗教を信じる(信じたい)のか」「宗教が人間にとって良い方向に働く場合と悪い方向に働く場合があるのはなぜか」など、人間性の根本についての深い問題を秘めているのは確かだと思います。 ここでのQ&Aのやりとりで解決できるほど単純なものではないのは間違いないでしょう。 ぜひご思索・ご研究を続けてください。 (なお、あまり回答/お礼のやりとりに熱が入りすぎると、不本意ながらQ&Aが丸ごと削除されてしまう場合があり、それではあまりにもったいないので、やりとりは冷静に軽くいなしていきましょう) 既にご存じかもしれませんが、宗教というものを考える上でおすすめの本があります。私は大変勉強になりました。 ●リチャード・ドーキンス 「神は妄想である―宗教との決別」垂水雄二訳、早川書房、2007 アメリカご在住でしたら原書がいいのかもしれませんね。 ●Richard Dawkins "The God Delusion”Houghton Mifflin,2006 以下、Amazon.co.jpの内容紹介より: 『人はなぜ神という、ありそうもないものを信じるのか? なぜ宗教だけが特別扱いをされるのか? 「私は無神論者である」と公言することがはばかられる、たとえば現在のアメリカ社会のあり方は、おかしくはないのか……『利己的な遺伝子』の著者で、科学啓蒙にも精力的に携わっているドーキンスはかねてから宗教への違和感を公言していたが、本書ではついにまる1冊を費やしてこのテーマに取り組んだ。彼は科学者の立場からあくまで論理的に考察を重ねながら、神を信仰することについてあらゆる方向から鋭い批判を加えていく。宗教が社会へ及ぼす実害のあることを訴えるために。神の存在という「仮説」を粉砕するために……古くは創造論者、昨今ではインテリジェント・デザインに代表される、非合理をよしとする風潮が根強い今、あえて反迷信、反・非合理主義の立場を貫き通すドーキンスの、畳みかけるような舌鋒が冴える。発売されるや全米ベストセラーとなった超話題作。 』
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人それぞれの考えがあっていいんじゃねーの?どうがんばってもあんたが他人の精神的な部分は変えられないだろ。 生まれたときから、こうだと言われ続ければ宗教でもある種洗脳みたいになるだろ。 まぁ神じゃないにせよ、何かを信じたりしてもいいんじゃね? 気持ちの持ちようでうまくいくことだってあるだろ。 ばかかおまえは?
補足
>人それぞれの考えがあっていいんじゃねーの?どうがんばってもあんたが他人の精神的な部分は変えられないだろ。 人はそのことに関しての「考え」が欠如してるから信仰するんです。なぜもっと早く宗教をやめなかったか?と聞かれたところ多くの人は「宗教を辞めてもいいと思わなかった」や「宗教の矛盾には気付いていたが、辞めると言うことを考えたことが無かった」というものです。ついでに私は人の心を変えようとはしていません。なぜ人は非論理的なもの信じられるのか知りたいだけです。 >生まれたときから、こうだと言われ続ければ宗教でもある種洗脳みたいになるだろ。 宗教はほとんど洗脳です。 >まぁ神じゃないにせよ、何かを信じたりしてもいいんじゃね? 人に自分の宗教を押し付ける、なんの根拠も無いくせに正統性を訴えるから戦争が起きたり教徒じゃない人達が虐殺されたりするんです。現にイラクの戦争やテロも、魔女狩りも、アメリカの奴隷制度も、世界大戦も宗教が無ければ起きません。根拠の無いものを信じる行為自体に問題があるんです。 >気持ちの持ちようでうまくいくことだってあるだろ。 その気持ちは別に宗教によって生まれたわけじゃありません。その人の心の中にもとからあったものです。 >ばかかおまえは? なんの根拠も無いくせに、理由すら挙げれないくせに否定しかできないあなたが一番馬鹿だと思いますが?反論するなら理由をせめてひとつでも挙げてください。
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3634/18947)
自然の振る舞いをあるがままに受け入れ困ったときは祈り都合のいいときは感謝するという自然崇拝の原始宗教にとどまっていれば問題はなかったのです 多くの宗教の言い分は「化学は万能ではない」ΣΣ(゜Д゜;) 科学が解決してきた多くの事実を無視して未解決の事柄だけを取り上げて科学は無能と決め付けています 科学者は互いに議論して正しい道を求めていますが宗教はそれぞれが自分たちは正しいと主張するが宗教間で真理を追究する議論はせずに相互不干渉の道を進んでいます 教祖様は人々のために教えを説いたけれどそれを保護すれば人々を操れることに気付いた支配者たちによって都合よく捻じ曲げられています 聖戦の名の下に異教徒を殺戮する 来世に希望を持たせて人々を搾取する 懺悔をすれば罪が消える 神を信じぬ野蛮人を殺しても罪にはならない 宗教が犯した罪は多いですね しかも反省しない 平安時代の聖人たちは意外に科学的だったようですね 随筆を読むと非科学的なことを風刺していて面白いです
お礼
まったくそのとおりですね。 ナポレオンも「宗教は下民が貴族を殺すのを抑える」といっていました。 面白い風刺は他にもあります。 人を一人殺せば犯罪 一万人殺せば英雄 人類を半分殺せば神 というのもあります。 >教祖様は人々のために教えを説いたけれど キリスト教やイスラムなど教祖が実在したかのかどうかすら疑問です。モルモンなど論外です。日本人はあまりモルモン教のことを知りないと思いますが、モルモン教の教えと始まりはキリスト教徒ですら「馬鹿じゃねぇの」という程ばかげています。
- RedSong
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難しい事は何も分かりませんが、 勝手な私のイメージで・・・。 宗教を最初に開設?した人は人を説得するのが上手な人だったんだと思います。 それに説得された親から産まれた子供は疑うことを知らずにソレを信じているんだと思います。 そのループが延々続いての現状なんだと思います。 幼い頃の出来事、信じていたものを切り離すのはできる人と出来ない人が居ると思うので・・・。 宗教がある程度知られてきたら、そこに入っていない貴方は異質だとか思われる様な環境もできてくるかもしれません。 人によっては、一種の神頼みとも取れるとは思います。 でも、日本人は全知全能の神は信用してない! みたいな意見をどこかで聞いたことがあります。 「宗教を疑う」という私の気持ちと 「宗教は正義or正しい」という人の気持ちは多分 似ているものなんだと思います。 長所=短所みたいな。 疑っているものは正しいと思いたくないし、 正しいと思っているものを疑いたくなんて無いので。 と言うことで、宗教に入っている人は「宗教を信じている」のでは無くて、 「日常」に宗教があるんだと思います。 私の勝手な意見でしたorz
お礼
あなたの言っていることは殆ど正論ですね。 >「宗教を疑う」という私の気持ちと 「宗教は正義or正しい」という人の気持ちは多分 似ているものなんだと思います。 これはむしろ正反対だと思います。根拠の無い物に対しての疑問と盲信は全く逆です。 >長所=短所みたいな。 実際に何でもうまくできる人には比較的苦手な分野でも凡人から見たら「この人はこの分野の才能がある」と思わせる人はいます。理不尽だと思うかもしれませんが、これが現実です。何のとりえも無いひとも存在しますし、全て平均的な人もいます。
自分というものは理解の対象にならないということが本当のことだとすれば、いくらほかのことには理解力がある人でも考えてもわからないこととして自分というものがあるということになります。自分のことがわからないことを平然と受け入れることはまず不可能だと思います。ほとんどの人(いわゆる常識人)は、このことをごまかして生きているのではないでしょうか。無神論といったって何か分からないものを信じていなかったら成立しないのですから宗教の一種だろうと思います。つまり自分とは何かを順を追って考えていくとかならず不可知論になるのだろうと思います。残念ながら自分のことがよく分かっていると信じている人(いわゆる常識人)が世の中を動かして戦争や金融危機を起こしているのではないでしょうか。多くの人が自分とは何かは誰が考えてもわからないということにきがつけば、謙虚にもなり差別もなくなると思います。
補足
>つまり自分とは何かを順を追って考えていくとかならず不可知論になるのだろうと思います。 まったくそのとおりです。 >残念ながら自分のことがよく分かっていると信じている人(いわゆる常識人)が世の中を動かして戦争や金融危機を起こしているのではないでしょうか。 あなたのおっしゃるとおり、非常に残念ですが世界の人口の大多数は自分のこと、宗教のこと、神々のことなどを深く考えたことのない人達、もしくは完全に理解していると信じきっている人達です。不可知論者が逆に異常者扱いされるのは非常におかしいことですね。 聡明な回答を頂き、ありがとうございました。
- takejan048
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私も無宗教ですがそれだけ人の心はナイーブなんでしょうね。 宗教にすがると安心するんでしょうね。いいことがあると信仰しているからいいことがあった、悪いことがあると信仰が足りないからだとか、今ある生活は●●教のおかげだとかなんてね。 でも世界では仏教はごみで、無宗教の日本人だったらそれ以下だなんて言われることもあるようです。
お礼
統計学的に見ると人は学歴が高い程、知能指数が高い程神、幽霊や宗教などを信じない人が多くなります。 宗教の信者達の多くはその教えの矛盾を理解しようとしない、理解できないというのが正しいんじゃないでしょうか? ちなみに日本人は他の国の人に比べて「無宗教」の人が多いですが幽霊の存在を信じる人はとても多いです。あと私は仏教は「宗教」と分類されるものの中では一番崇高な物だと思っています。
お礼
論理的な回答を頂きありがとうございます。 ついでに私はいまThe God Delusionを読んでいる最中ですが、やはりあなたと同じような事をいっていますね。 参考になりました。