- ベストアンサー
(孔子、釈迦、ソクラテス) 神託を聴いた?聴かない?
クセノフォーン著、佐々木 理訳「ソークラテースの思い出」(1巻1章6節) すなわち、どうしてもしなくてはならないことは、自分でこうするのがもっともよいと思う方法で以てそれを行うようにすすめ、また、結果がどうなるか明らかでないことについては神託所へ人をやって、行なうてよいかどうか訊ねさせた。彼は、家あるいは市を正しく治めようとする者は神託が必要だと言った。 これはソクラテスが不敬神どころか神殿の神事による神託を十分尊重していたことの証言の一つです。では、 1 孔子の時代、中国では神託を伺う風習がありましたか。あった場合、孔子は自ら神事を執り行い、あるいは他者に依頼して神託を伺うことがありましたか。また、世間に神託を伺う風習があった場合、それをどう思っていましたか。 2 釈迦の時代のバラモンは自ら神事を執り行い、あるいは他者に依頼して神託を伺うことがありましたか。 3 解脱した後の釈迦は自ら神事を執り行い、あるいは他者に依頼して神託を伺うことがありましたか。また、世間に神託を伺う風習があった場合、それをどう思っていましたか。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
お礼
理解の深さは違うにしても、私の日頃の印象と合致するお答を頂きました。 プラトンによって脚色されていない、つまりクセノフォンの伝えるソクラテスは私の見立てでは孔子にそっくりです。親を敬うのも友人が大切なのも結局のところ己の損得と結びついていて、判り易いような物足りないような、これでいいような軽いような、思想になっているようないないような、世間知に留まっているようないないような、私には何だかよく分かりません。この印象が何時まで続くことやら、それも信用できません。 有り難うございます。またの機会にもよろしくお願いします。 今後、応えて下さる方は忘れずにいて、しかも可能であれば、世間の神託を伺う風潮を孔子がどう評価していたかにもお触れ下さいませ。