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ベジタリアンを批判する。

ベジタリアンという生き方を批判する考えで、説得的・論理的なものに出会ったことがありません。 そこで、説得的な批判があれば教えていただきたいです。 価値の押し付けをするから、暴力的だから、というイメージによる批判はお避けください。 以下の批判は説得的でないと思われます。 ・「植物も動物も同じ命であり、平等に同じように食べるべき」との考えについては、同じ命であるからといって、その価値が同じであるとは必ずしもいえないと思います。花を折るのと動物を踏みつけるのは同じでしょうか。 また、動物を生産する過程でその数倍の植物を消費するため、動物を食べたからといって、植物の命を大事にしたことにはなりません。 ・「動物の命を大事にすべきというのは感情的だ」との意見については、命の価値を論じるにあたって、主観を排除することは不可能であって、感情論であることは批判にならないと思います。命は大事であるという前提そのものが、感情論にすぎないからといって、否定されるべきとはいえないのと同じことです。 ・「肉を食べることは原罪であり、その罪から目を背けることは偽善であり傲慢だ」との意見については、誤解によるものではないでしょうか。ベジタリアン自身も生きていくうえで他者の命を奪っているという矛盾を抱えて苦痛を感じています。殺したくない者がなるべく殺さないようにすることのどこに偽善や傲慢があるのでしょうか。

みんなの回答

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

[ベジタリアンという生き方を批判する考えで、説得的・論理的なものに出会ったことがありません。 そこで、説得的な批判があれば教えていただきたいです。] ですか。 これむずかしいですね。理由は、殆どの人が持っている常識に間違いがあるからですね。世界中の常識では、人間>動物(魚類などを含む)>植物>鉱物 のような固定的差別を当然としているからですね。 捕食者という立場から見れば弱肉強食ですからこの順序は正しいのですが、生き物という意味では全て対等なものですね。鉱物だって生き物なんですよ。ただ寿命が人間の認識範囲をはるかに超えているだけですね。花は開花のときに花の精霊がきて花をひらかせるのですね。 この事実に気がつけば、捕食者としての人間が何を食しても同じことなのですが、固定的差別を信じている限り何を説明しても納得はしないと思いますね。

gabuncio
質問者

補足

回答者様は、生き物はすべて対等に「大切」と捉えておられるのでしょうか、それとも対等に「無価値」と捉えておられるのでしょうか。 他に食べ物があるのに敢えて人間を食べることについても倫理的な問題はないと考えておられるのでしょうか。 すこしわかりにくかったので、補足をいただければ幸いです。

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  • indoken
  • ベストアンサー率37% (173/457)
回答No.2

残念ながら、質問の要点が、伝わっていないのかもしれません。 「倫理的な観点から、動物を殺したくないと考えて食べない立場」の人に対して、「批判するべき」なんてことは、ありえないと私には思われます。 動物を殺したくないと考えた人が動物を食べない のは、全く当然のことであって、それを批判するなんて、ありえないことと存じます。

gabuncio
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 言葉足らずですみません。 ベジタリアンに対して、某所では「非論理的で感情的で自己満足に過ぎない」という意見が多かったので質問させていただきました。

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  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.1

動物の肉を食べないという事実に関しては何も批判するいわれはないでしょう。 ただ、なぜ食べないかについては突っ込みどころはあるでしょうね。 例えば宗教的理由ならば教祖の真似をして何になるのかなど。

gabuncio
質問者

補足

回答ありがとうございます。 質問に書き忘れていたので、補足します。 「倫理的な観点から、動物を殺したくないと考えて食べない立場」に批判するべき点があるでしょうか。

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