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嘲笑と優越感
嘲笑には優越感が含まれているでしょうか。
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嘲笑を嘲笑されている相手に聴かせている場合には、その相手の価値基準に従っての優越感ですから、意外にも劣等感の裏返しのようにも思います。自信のある優越感というのは、むしろ相手に対する憐みのようなものを伴い、嘲り笑うというような心情とは無縁のものだと思います。言葉としては優越感と自分の優越性に対する確信とは違うようにも思います。自分の優越性に対する確信は嘲笑より憐憫によって特徴づけられるように思います。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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嘲笑と優越感が相伴うことはありましょうが、お互いにそのないようとしているものではありますまい。 概念も、観念も、内容も、質も異なるものでしょうね。 時、人、事情により伴うことはあるかもしれませんね。
お礼
krya1998さん、どうもご回答ありがとうございます。 本当にその通りだと思います。 たいへん貴重なご見解ありがとうございました。
- jwcdg
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こんばんは。 含まれていると思います。 自身が、認めたくない欠点/恐れる状況 から目を逸らしたい。精神上の臆病心からくるものだと思います。 他人からの、視線/評価 を気にし、 『他人から蔑ろにされたり、否定されたり、笑われること』を最も強く恐れているからだと思います。 嘲笑しておかなければ、自分が嘲笑の的と曝されてしまう。自己評価が保てなくなってしまう から。 >優越性に対する確信が逆転するというようなことはないでしょうか? あると思います。 >「だって先生、これはただの浴槽ですよ」 いじめの実態で見られる性質の、真面目側が冷笑されてしまう。 しかし、質問者様の、この例は奥が深いようで。 この患者は、馬鹿にされたと考え、傷付いた自尊心を取り戻す為に、反撃に出てしまう。 >精神病治療に独自の見解を持っていた医者 が、患者の表情や様子の変化を、常日頃から、心を使って注意深く考えることが出来る医者でないと、患者を正しく判断するのは無理だと思います。 精神科であるが故に、外見的な特徴などの偏見で見ないようにし無ければならないと思います。 ※私は素人です。見当違いな回答でしたら、笑って下さい。
補足
jwcdgさん、どうもご回答ありがとうございます。 >自身が、認めたくない欠点/恐れる状況 から目を逸らしたい。精神上の臆病心からくるものだと思います。 なるほど臆病心からくるものですか。 >『他人から蔑ろにされたり、否定されたり、笑われること』を最も強く恐れているからだと思います。 嘲笑しておかなければ、自分が嘲笑の的と曝されてしまう。自己評価が保てなくなってしまう から。 やはり臆病心からくるものでしょうか。 >この患者は、馬鹿にされたと考え、傷付いた自尊心を取り戻す為に、反撃に出てしまう。 この場合は、意識的にではなく患者が先生に先生が患者に転換したとは言えないでしょうか。 嘲笑する側から不条理にも嘲笑される側へ転落した。 先生にはまったく予測できない事柄であった。 >※私は素人です。見当違いな回答でしたら、笑って下さい。 あっは! ともし私が嘲笑したら道化師へと転落ですか。 しかしそのお言葉で教える側と教わる側の優越感が同一化されました。 大変参考になりました。
- born1960
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含まれていると思います。 嘲笑とはなにか?人のことを馬鹿にした笑いです。 その人の「間違い」が分からない限り嘲笑はしませんね。 嘲笑の意味を考えれば完全に上から目線です。
補足
born1960さん、どうもご回答ありがとうございます。 この優越感が逆転するというような事はないでしょうか。 例えば、精神病院にて。 一人の患者が毎日浴槽に意図を垂れて釣りをしていた。 精神病治療に独自の見解を持っていた医者がたずねた。 「今日はよく釣れるかね」。 患者は疑わしげに医者を見つめるとあきれたように叫んだ。 だって先生、これはただの浴槽ですよ」
お礼
NO1でもご紹介しましたが、優越性に対する確信が逆転するというようなことはないでしょうか? 例えば、精神病院にて。 一人の患者が毎日浴槽に糸を垂れて釣りをしていた。 精神病治療に独自の見解を持っていた医者がたずねた。 「今日はよく釣れるかね」。 患者は疑わしげに医者を見つめるとあきれたように叫んだ。 「だって先生、これはただの浴槽ですよ」
補足
kaitara1さん、どうもご回答ありがとうございます。 >嘲笑を嘲笑されている相手に聴かせている場合には、その相手の価値基準に従っての優越感ですから、意外にも劣等感の裏返しのようにも思います。 なるほど相手の価値を剥奪しようという怒りのようなものが含まれているかもしれませんね。 >自分の優越性に対する確信は嘲笑より憐憫によって特徴づけられるように思います。 確かにそのとおりですね。 たいへん参考になりました。