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大正時代の船で
大正時代に台湾から東京まで船で行く場合、どの位の時間がかかったのでしょうか。また、当時船の上から電報を打つことはできたのでしょうか。電報のことは調べたのですが、渡航期間のことや大正時代の電報のことは分かりませんでした。 宜しく御願いします。
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下記URLは戦前の台湾航路についての記事です。この中に、昭和13年の時刻表があります。画面右側の記事ですが、拡大すると、「台湾のキールンを第1日目の午前十時に出て、門司に第3日目の正午着です。 一方、電報については、一般の人向けの電報サービスを行っていたかは不明ですが、 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00145753&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA の記事の「大阪商船会社台湾航に優秀船」の段落を読むと、明治時代に開設されたけ内地台湾定期航路(神戸基隆線)において、「無線電信による船内新聞の発行」も行われていたとのことです。
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- debukuro
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回答No.1
速力は約6ノット、東航するときは黒潮が利用できるので7ノットくらい 距離と航海時間は地図で調べてください 無線電信が普及するまでは重要な連絡は伝書鳩 提示連絡は無く陸上信号所を通過するときに手旗で行い信号所から電報で送るのです
質問者
お礼
まずは、御礼するのが遅くなりすみませんでした。そして有難う御座いました! 普及するまでは伝書鳩、ということは船の上から飛ばしていたんですね、鳩のすごさには感心するばかりです。 船の速さなども教えて下さって有難う御座います。地図という点をすっかり忘れていたので、地図とにらめっこしてみます。
お礼
まず御返事が遅くなったことをお詫びします。そして回答有難う御座います。参考urlも見てみました。台湾から門司まで意外とかかるんですね、時代故といったところでしょうか。 また電報は、下の方の情報と併せて考えると、一部の有力な商事などの船が無線電話を使う技術を持てっていた、ということなのでしょうか。 教えて頂いたページをもっと熟読して、参考にしたいと思います。 有難う御座いました。